第25話 水棲生物

 わたしの前世は多分、海の生き物なのだと思う。






 物心ついたころから、わたしは水の中が好きだ。

 というかおそらく、陸上の生活が、苦手なのだと思う。

 どうしてだか、陸上にいると、なんだか息苦しいのだ。

 だからわたしは、お風呂に入るときはいつも、湯船に潜っていた。

 湯船の底で目を開けて、きらきらまたたく水面を見ていると、とても落ち着いた。


 そんなわたしなので、スイミングスクールに通い始めるのは、時間の問題だった。

 わたしはスイミングスクールで、文字通り水を得た魚のようになった。

 先生にしがみつかなくてはプールに入れない子もいる中で、幼児用プールだが、一人さっさと端から端まで泳いでしまった。


 こんな子供は初めてだと、途端にわたしはもてはやされる。

 もしかして神童なのではないかと、末にはオリンピックに出て、メダルを取るのではないかと言われる。

 そしてわたしは単純なので、すっかりその気になってしまって、将来の夢を水泳のオリンピック選手に決めてしまう。


 わたしはしかし、思ったほど順調だった。

 小学校に上がる前から、いくつもの競技会で優勝し、家中トロフィーや賞状だらけにした。

 小学生になっても、わたしの伸び代はとどまることを知らず、どでかい専用の棚を用意しても、トロフィーや賞状があふれてしまった。

 中学生になったころには、水泳連盟の強化指定選手に選ばれて、国際大会なんかにも出場した。






 わたしの前世は多分、海の生き物なのだと思う。

 広い海を自分の庭のように、ぐるぐると泳いでいたのだと思う。


 わたしの前世は多分、海の生き物なのだと思う。



 鮫や鯨や、一緒に泳いで、一緒に潜って、きらきらまたたく水面を見上げていたのだと思う。






 物心ついたころから、わたしは水の中が好きだ。


 というかおそらく、陸上の生活が、苦手なのだと思う。


 どうしてだか、陸上にいると、なんだか息苦しいのだ。

 どうしてだが、陸上にいると、なんだかふらふらしてしまうのだ。



 物心ついたころから、わたしは水の中が好きだ。




 というかおそらく、陸上の生活が、わたしは苦手なのだ。







 結局わたしの伸び代は、思ったほどではなかった。

 強化指定選手どまりでオリンピックには出られず、中学校を卒業するころにはタイムもどんどん追い抜かれ、高校生になったころには全国大会にも出られなくなった。

 両親やスイミングスクールの先生や、部活の顧問の先生や、先輩・後輩や、同級生たちは落胆の色を隠さなかった。

 結果の出なくなったわたしを慰めてくれるが、その顔色の裏には、せっかく期待したのに――というのが、透けて見えていた。


 だがわたしはというと、実はちっとも、がっかりしていなかった。

 オリンピックに出られなかったのか、残念だな――というくらいで、けろっとしていた。


 だって、わたしはただ、水中にいられればそれでよかったのだ。

 神童だともてはやされて、オリンピックに出たいと勘違いしてしまったが、ただ水底で水面を見上げていられればそれでよかったのだ。


 だって、わたしはただ、水中にいられればそれでよかったのだ。


 陸上生活が苦手なので、前世を思い出して、鮫や鯨と泳ぐように、水中にいられればそれでよかったのだ。



 だって、わたしはただ、水中にいられればそれでよかったのだ。



 今はわたしは、スイミングスクールで子供に教える、お姉さん先生をやっている。

 元水泳連盟の強化指定選手というのは、就職に大いに役立ち、わたしは晴れて常に水中にいられる権利を手に入れた。




 わたしは教え方も丁寧らしく、子供たちだけでなく保護者からも気に入られたので、きっと将来も安泰だ。






 わたしの前世は多分、海の生き物なのだと思う。






 神童も、二十過ぎればただの人という言葉があるが――。



 長い人生、ただの人くらいで十分じゃないのかしら。

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