第8話 ないまぜ

 彼女がシチューを引っ搔き回すのは、決まってイライラしているときである。






 キッチンで髪の長い女が、シチューの鍋を混ぜている。

 ぐるぐるぐるぐると、おたまでひっきりなしに、シチューに渦を描いている。


 背中でわかる。


 間違いなく、あれは怒っている。


 厄介なのは、彼女が怒っている理由に、皆目見当がつかないことだ。

 しかも彼女ときたら、そういうのは言わなくてもわかるべきだと、問いただしても白状しないのだ。



 キッチンで髪の長い女が、シチューの鍋を混ぜている。




 ぐるぐるぐるぐると、おたまでひっきりなしに、シチューに渦を描いている。




 思えば昔からそうだった。


 彼女との出会いは、高校生時代にさかのぼる。

 高校に入学して、初めてのクラス割りで、おなじクラスの、それも隣席同士になった。


 初めから二人は、息というか、波長が合っていた。


 しかし、ではいきなり仲良くなったかというと、それは違う。

 お互いイニシアティブをとるような性格でなく、二人は同じグループに属したものの、ただのモブキャラでしかなかった。


 グループのリーダー的存在の一人が引っ張ってくれて、それが心地よくて、その子に付和雷同していて、そんなだった。


 だから、距離を近づけるのも、非常にじっくりだったのだ。

 二人が交際に至るのは、グループの誰もが知っていたようだが、早くくっついちゃえよ――と、ずっと思われていたのだ。


 実際きっちりとくっついたのだが、そこはイニシアティブをとるでない二人のこと、会話の数は多くなかった。



 だから決まって、彼女が怒ったとして、その理由を口にすることはなかった。



 当時から、怒った彼女をなだめるのに、時間がかかったのを覚えている。

 理由がわからず、酷い時には一週間も、怒らせっぱなしだったのを覚えている。


 実際きっちりとくっついたのだが、そこはイニシアティブをとるでない二人のこと、会話の数は多くなかった。


 調子のいい時はその言葉数の少なさが心地よかったが、調子の悪い時はその言葉の少なさが針の筵のようだった。



 彼女をなだめるのに時間がかかり、酷い時には一週間も、怒らせっぱなしだったのを覚えている。




 彼女をなだめるのに時間がかかり、酷い時には一週間も、怒らせっぱなしだったのを覚えている。




 キッチンで髪の長い女が、シチューの鍋を混ぜている。

 ぐるぐるぐるぐると、おたまでひっきりなしに、シチューに渦を描いている。


 背中でわかる。

 間違いなく、あれは怒っている。



 背中でわかる。




 間違いなく、きっぱりと、あれは怒っている。




 理由はいったいなんだろうか。


 交際を始めて十年近く、彼女への理解は深まっているが、怒りの沸点だけはわからない。

 ご機嫌な理由は、なんとなくわかるようになったが、彼女の地雷は戦地でもない、ごく普通の住宅地にも紛れているので、わかりづらいのだ。


 これはもう、理由もわからないまま、氷解させるしかないかもしれない。


 彼女はスイーツが好きなので、有名なお店でいくつか見繕って、何日か続けるしかない。



 これはもう、理由もわからないまま、氷解させるしかないかもしれない。




 しかし、それで下心を見透かされたら、また厄介なことになるわけで――。






 彼女がシチューを引っ搔き回すのは、決まってイライラしているときである。






 彼女が不機嫌な理由は、まったく身に覚えのない事だった。

 いや、身に覚えがないというか、まったく自分に関係ない事だった。


 なんでも会社で、上司に理不尽な目に遭わされたらしく、それでイライラしていたらしい。



 あの日のシチューの味をちっとも覚えていないし、スイーツにかかったお金も相当だが、彼女が幸せなのならそれでいいや。




 ちなみに、わたしたちの母校は女子校である。

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