第6話 父親の背中

 あるところに、一人の男がいた。

 男は背が高く、身体も分厚かったため、幼い頃から様々なスポーツで活躍し、注目を集めていた。

 そのため、彼のところに大相撲の親方がスカウトに来るのも、当然のことだった。

 男は当時、まだ中学生だったが、親方の熱心な勧誘にその気になり、高校生にならずに、中学校を卒業して角界入りをした。

 両親は将来のつぶしがきかないからと、せめて高校は出てほしいと願ったが、しかしそれは杞憂となった。

 なにしろ、男の出世は早かったのである。

 体格の良さもさることながら、様々なスポーツで鍛えられた運動神経は、土俵の上でも通用したのだ。

 何人も寄せ付けず、あっという間に関取になり、部屋頭になり、大関の地位にまで上り詰めた。

 やがて時を経て、引退するころには、横綱にこそ手が届かなかったが、複数回の幕の内最高優勝や、様々な受賞歴を引っ提げることとなった。

 彼には後進の育成に期待が持たれたが、彼のいた相撲部屋の親方がまだ現役だったのと、独立する野心がなかったため、惜しまれながら角界を後にすることになった。

 そして、男の引退から数年後。

 今度は彼の息子が、角界の門を叩いた。

 息子は父親とは違い、スカウトではなく、父親のようになりたいと、自ら同じ相撲部屋にと入った。

 ところが彼は、父親とは比較にならないほど、貧弱だったのである。

 身長もやっと新弟子検査に合格するくらいだし、身体つきは鶏がらのようだし、体重も軽く、どのスポーツをやっても失敗するくらいだった。

 これには親方も頭を悩ませる。

 なにしろ彼は、同じ相撲部屋で破竹の勢いで出世して、大関にまで上り詰めた男の息子である。

 彼の父親のおかげで、この相撲部屋は、名門に数えられるまでになったのである。

 それでは、父のようになりたい彼を、邪険にするわけにもいかない。

 なんとかかんとか、親方は工夫して、息子を一人前にすることにした。

 たくさん食べさせて太らせたし、ほかの弟子たちの指導もろくろくに、付きっ切りで指導をした。

 息子はその甲斐もあって、じっくりとだが力をつけ、徐々に出世を始めた。

 ほかの弟子たちよりも遅く、三十歳を目前にして、やっと十両――関取になった。

 ところが彼は、やっと関取になったというのに、引退をしたいという。

 たしかに、大相撲で三十歳と言えば、若くはない。

 中堅も中堅で、ベテランにほど近く、身体にもガタがきはじめるころだ。

 しかし、それでもせっかく関取になったのである。

 身体が痛かろうが、痒かろうが、そのくらい関取はみんな同じだし、すこしでもいいから関取として相撲を取ってはどうかと、親方は説得した。

 しかし、息子は頑としてきかない。

 もう自分は、やるべきことはやったのだと、首を振る。

 だが彼は、父親のようになりたいと、角界入りしたのだ。

 彼の父親は大関にまでなったので、十両に出世するのを最後に引退するのでは、それでは格が違いすぎる。

 父親に近づきたいのなら、それこそ彼は、無理をしてでももうちょっと、相撲を取ったほうがいいのではないだろうか。

 困惑しきりで、親方は息子に、まだ父親のように慣れていないのではないかと尋ねる。

 すると彼は、相好を崩して、満足そうに言った。


「僕が覚えたかったのは、この部屋のちゃんこの味です」


 たしかに彼の父親は、若手時代に覚えたちゃんこの味を武器に、ちゃんこ屋を繁盛させている。



 父親の背中には様々あり、息子がどの背中を追おうと勝手だが、親方は少し複雑な心境になった。

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