第2話 紅葉雅の過去①

5人家族の次女として雅は産まれてきた。決して裕福ではないもののごく普通の家族だった。

両親、歳の離れた兄、姉そして最後が、雅だった。

両親は子どもたちを平等に愛してくれていた…そうあの時までは…。

 雅が小学校3年の冬のことだった。学校から帰ってくると、玄関に見知らぬ靴があった。男物の革靴だった。雅は親戚のおじさんや近所の人がきているのだろうと思っていた。

「ただいま〜!」と、いつものように元気に声をあげてお客のいると思われる茶の間へ入っていった。

 入ってみると、そこには両親と見知らぬ40代くらいのスーツを着て、短髪で眼鏡をかけた男がいた。

空気が冷たい…小学3年の雅にも分かるほどの神妙な顔つきとも怒りに満ち溢れているようなとも思える空間であった。そこでは母親は顔を伏せ涙を流し、父親は怒りをこらえるのに必死な形相をして握りこぶしを震わせていた…。

声を震わせながら父親が「雅、おかえり。部屋に行っていなさい。」と、必死に感情を抑えながら雅に言った。

「分かった。」

子供ながらにその場にはいないほうがいいと察して雅は自分の部屋に行った。

 しばらくすると見知らぬ男が雅の部屋を訪ねて来た。

雅は驚いた顔をしながらもきちんと挨拶をした。

「こんにちは。」

頭を軽く下げ挨拶をすると、男は腰を下げ雅と同じ目線で静かに語りかけるように話しかけた…。

「君が雅ちゃんか…」切なそうな、どこか慈しむような表情をしながら男は言った。

「私が君の本当のお父さんだよ…。」

………

雅は声にならなかった。頭の中が真っ白になった…「このおじさんがお父さん…何で?どういうこと?

雅が難しい顔をしていると、男は雅に再び話しかけた。

「君はこれから私と一緒に住むことになるから。驚いたよね。」と笑みを浮かべながら優しく声をかけた。

雅は理解する事が出来なかった…

「この人がお父さんってどういうこと?じゃあ今のお父さんは誰なの?」と心の中で考えていたが小学生だった雅には到底理解することなど出来るはずもなかった。

男は雅に再び声をかけた。

「明日の夕方君を迎えにくるから。君の両親もみんな納得してくれているから。」

「何にも心配することはないよ。今は驚いていてわからないだろうけど、今よりもっと沢山洋服や美味しいご飯食べさせることもできるから。」

雅が静かに声を出し男に尋ねた。

「お母さんは?どうするの?」

男は「新しいお母さんが雅ちゃんがうちにくるのをとても楽しみにしているから安心しておいで。」

男はそう言いながら雅の頭を軽く撫でながら部屋を後にしていった。 

 しばらく雅はその場を動くことも考えることも出来なかった…涙も出なかった…

雅にはどうすることも出来なかった。抵抗することも泣きわめくことも出来ず、ただただ時間だけが過ぎていった…。

 どれくらいの時間がたったのだろうか…ただただ時間が虚しく流れていった。部屋の窓の外を見ると真っ暗になっていて雪がチラつき始めていた…。

 雅が呆然と部屋にいると部屋をノックする音が聞こえた。

「雅…」

小さな弱々しい声で母親が呼んだ。

「お母さん…」

今まで張り詰めていた緊張の糸がプツリと切れたように涙が溢れ出した…

「お母さん!お母さん…お母さん…何で…本当のお父さんって何?分からないよ!教えてよ…私、みんなと一緒にいたいよ…」

こらえていた感情が爆発したように母親に向けて感情をぶつけた。

母親は何も言わずただ雅を強く抱きしめ涙を流し「ごめんね…ごめんね…雅…全部お母さんが悪いの。ごめんね…」

母親は謝るだけだった…。強く雅を抱きしめ頭を撫でて…振り切るように言葉を続けた…

「さぁ!お兄ちゃんたちもそろそろ仕事が終わって帰ってくるから家族みんなで食べる最後の夕食の用意しましょう!雅、何が食べたい?」涙をこらえ、顔をクシャクシャにし、頑張って笑顔を作る母親が雅には切なくて辛くてどうしていいか分からなかった…まるで今日一日の出来事が夢だったのではないかと思えるほどの出来事だった。

 雅は小さな声で「お母さんの手作りハンバーグが食べたい。グラタン。味噌汁も…全部食べたい…」

「離れ離れなんて嫌だよ!お母さんは一人しかいないよ!みんなと一緒にいたいよ!嫌だよ!」雅は最後の叶うはずのないわがままを言った…。

母親は何も言わず雅の強く抱きしめた手を振りほどき頭を撫でて部屋を後にした。

 

しばらくすると兄と姉が仕事を終え帰宅してきた。事情を聞いたのだろう兄が夕食の声をかけてきた。

「雅…」

はじめは小さな声で呼んでいたが、二度目はいつもの兄のように少し乱暴な声に変わり

「雅!ご飯いらないんか?兄ちゃん全部お前の分まで食っちゃうぞ!早くしろ!…」そう言いながら鼻水をすする音を残しドアの前を後にした。今思えば兄なりに最後は楽しく今までの家族のままで雅をこの家から送り出してあげたかったのだろう…。


家族団らんを過ごした茶の間に行くとさっき母親にお願いした料理が並べてあった…。

ハンバーグ、グラタン、味噌汁、少し甘めのだし巻き卵、生野菜サラダ…いつもの少し砂糖の入った甘めの麦茶も家族みんなの分がきちんと並べてあった…。全部雅の好きな物ばかりが用意されてあった。あの出来事さえなければいつもの食卓だったのに…いや、いつもの食卓よりだいぶ豪華な食事だ…

 雅はうつむきながら自分の席に座った。

 父親が、初めて口を開いた…。

「今日で5人で食べる最後の夕飯だ…」

「雅…すまない。」父親はその後言葉を発することはなかった。

 静かに家族5人での夕食は過ぎていった…。

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