いやな客には理由があって

@5Apples

第1話

いやな客には理由がある。私はよくわかった。

神保町の街をこんなにもゆっくり歩いたのは、初めてだった。

神保町は騒々しくない。だが、カラフルではあることに気が付いた。赤、緑、青、茶、白。私の前を70代ほどのおじいさんが歩いていたのだが、私とおじいさんは距離をつめることもちぢめることもなく、その色の中を歩いていた。私の右足の小指は悲鳴を上げていた。とてつもない痛みを放っていた。久々に感じた痛みだった。九段下駅を降りたときは、まだ歩けていたのだが、神保町のマクドナルドが見えるころには、すっかり足を引きずらなくてはならなかった。


だから、買い物は嫌いだ。


新しい靴を買わなければこうはならなかった。私の足にコンバースは合わないのだ。足の横幅が広い私にとって、先端が三角に見えるほど鋭利な靴は拷問である。あまりの痛みに立ち止まり、靴を脱ぐと、5円玉ほど、皮膚がめくれていた。足を引きずりながらセブンイレブンに入り、高めの絆創膏を買った。運良くトイレが解禁されていたので、そこで「手当て」した。激痛に耐えながらの「手当て」。私はやっとの思いで治療を終えると、狭いトイレを出た。するとどうだろうか。トイレの前にはおじさんたちが長蛇の列をなしていたのである。このおじさんたちはいつから待っていたのだろう。もしかして私が入ってすぐかな。そんな思いを抱えながら、私は即席の「トイレの長すぎる女」となった。


「トイレ流れた?長すぎるよね、何してんだろ」


すいた、ではなく、流れた、という言葉を使うんだな、とセブンの妙な業界用語に感心しながら多少は痛みが軽減した足を引きずってそそくさと帰った。


いやな客には理由がある。かかとがすれたスニーカーに呆れた母がついに怒って、新しい靴を買えと脅迫してきた。仕方なく買った。出来心だった。少しオシャレな靴を買ってやろうと思った。鋭利な靴だった。時間が無かった。慌てて買った。試し履きは左足だけだった。私の右足の幅は左足よりも広かったようだ。出血した。絆創膏を買った。「手当て」をしていた。


そんな経緯を知る由もない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

いやな客には理由があって @5Apples

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る