大波小波

 往昔わうじゃくヒルメという女性の自室が荒れている。

 家具に刺さった矢に、床に滴った血痕に加え、場違いな道具が散らばっている。

 肝心の部屋の主は中で独り、切り裂かれた袖の下に見える傷を治していた。

「目が痛てぇ。なかなか引いてくれねぇよ」

「タケルさん、処置は必要? できることがあるなら申しつけて」

 散らばった道具類の中にある端末から、男たちの声が再生された。

「どっちが話しかけているか紛らわしい。同じ男の声だ」

「察して。私の元夫でしょ?」

 ヒルメは端末の向こう側を他所に黙々と作業を続ける。

 コピーされて送られてきた複数の道具を物色し、それらを理解しようとした。

 カメラが装着された端末には、まだ血糊ちのりが残っている。

 作業の合間に、これ幸いと切り裂かれた上着を着替えた。

「ヒルメだっけ? 怪我したように思えたけど大丈夫?」

「もしかして着替えたの、見えた? 我が一族は裸を異性に見られたら、その人と結婚しなければならないんだ」

「ヒルメは引っ込み思案でしょう? そんなうそをついて本当に結婚を決意されても私は知りませんよ」

うそかよ。とりあえず俺の中を俺ひとりにしてほしいんだけど」

「もちろんだよ。ずっと居座らせるわけじゃない。クヮンジャ君とは良い取引をしたいからね」

「取引したいだけで、この状況? 詳しく説明してくれる?」

「もし本当にヒルメを傷つけたのなら、私はタケルさんに説明を求めたい」

「お前を、アサラを危険にさらしたから当たり前をしたまで。説明ならヒルメに聞け」

 ヒルメが持つ端末から血糊ちのりが拭われた。

 それに伴い、向こう側にもヒルメの治療した腕が見られることになる。

「信じられない。ヒルメの腕に傷を」

「矢が飛んできたときはビックリしたよ。かわし切れなかった」

「元妻とはいえ、の女を別の男に差し出そうなんて二度とするなよ」

「それでヒルメを? た、短絡的すぎる。今の言葉で確信した。タケルさん? ……ヒルメのところには戻せない」

「アサラ。お前、ヒルメと何があった」

 画面の向こう側から焦点を当てられ、拳が振り上げられる。

 直後、ぎこちない動きをするクヮンジャが、タケルに体当たりをする姿が映った。

「さすがに止める! タケルさん!」

「賛成ぃ……俺のスマートフォン。あと人形を乱暴にぶん回すみたく、俺の体を扱わないで」

「案の定、アサラは止めようとするよなぁ。クヮンジャだったか? 体の自由を取り戻したいなら自分の体を自認しながら動かせば楽だぜ」

「確認って言われても? あっ」

 クヮンジャが何かに気づき、そちらの方へと見切れていく。

「なくなったって思ってた!」

「私が倉庫内を走り回ったから? なんにせよ、タケルさんから離れては困る!」

「いや、俺の体から出て止めるなり、なんなりしてよ」

「アサラ。は大人しくするから焦るな。クヮンジャの好きにさせよう」

「そう? 信用しているから。私の元夫として態度を示してくれるものと」

「クヮンジャ君! そんなに貴重なもの? 見せて! アサラからかすめる予定の根回しに最適な珍品が欲しいんだ」

「アサラからかすめ取る? どういうことだ? ヒルメ。お前は何がしたい」

「……おお、今度は殴りに来ないじゃない」

「茶化すな。アサラからの信頼を反故にできるものか」

「事の起こりから話すとだな。アサラは美貌が原因で親戚から疎まれている。腫れものみたいな扱いなんだ。それと、同じ時期に大友おおともワカミヤって子が婚約相手を探すことになり、アサラの名が候補に挙げられた」

「また美貌が原因か。勝手な奴らだ。アサラはどこまで知っていた?」

「婚約は初耳よ。今度は一体、私を巡って何が起きたのやら……あ、ヒルメ? これはお目当てのもので、子ども向けの可愛いおもちゃになります」

 端末の画面一杯に手乗りサイズのロボットが表示された。

 ヒルメは喜ぶに喜べないものの、今の事態に対しては前向きではある。

「先方に進呈する珍品としては希望通りだが、おもちゃを取り上げるのは可哀想だ。そうだろ? ヒルメ」

「笑いながら聞くんじゃないよ。取り上げない! そもそもタケルはアサラの、なんなの? 他の寄ってくる男たちと違って気迫がこもってない?」

「私たちは夫婦です。すでに書類上では離婚しましたが、今でも心はつながっています。それゆえ、夫の失態は私の失態。ヒルメのお膝元には戻らない選択肢も視野に入ります」

「ワカミヤの婚約相手は私、ヒルメに変更してもらうつもり。アサラには引き続き世話をしてもらいたい。なんならタケルも連れていく」

「待て。ならばアサラを差し出そうなどと言い出したことへの説明もしてくれよ」

「あ、あれは言葉のあやだ。クヮンジャ君が好色か否か唆してみたんだ。まぁ、アサラが目の前に出てきたら刺激が強すぎるんじゃないかとは思えた」

「クヮンジャ。お前は彼女持ちだよな? いないなら誰かをすぐにでも見繕うぞ」

「なんで女性に猪突猛進ちょとつもうしんするって決めつける? というか、本当に取引したいなら人を寄越すんじゃなくて物と物でいいんだよ。なんか交換してくれるか興味あるし。ところで、そっちの後ろの人、何を持ってるの?」

 急速に後ろに振り向くヒルメがいる。

 後ろに人は誰もいないはずだと怪訝けげんな顔をしていた。

 すぐに警戒は解いたが、表情はゆがんだままだった。

「ワ、ワカミヤ。来てたのかぁ。今、大太おおぶとさんに進呈するための珍品を取引しようとしてるところなんだ。端末に映ってるだろ?」

「腕の傷は? それから、矢に血痕が見受けられます。ヒルメさんは一体……誰にやられました?」

 ヒルメのワカミヤを見る目が張った。

 端末の画面内ではクヮンジャがタケルに視線を映していた。

「射たのはだ。画面越しで重ね重ね済まない。婚約者を傷つけたことを謝りたい。この通り……土下座をする」

漆間うるまハシリタケルさんですね? このワカミヤ、すぐには看過できません。ですので誠意を形としても見せていただけるのであれば、そちら側でも珍品を探して送ってください」

「切々たる配慮に応えられるよう是が非でも遂げてみせる」

「期間はヒルメさんの傷が消えるまで、人前に肌をさらせる時期になれば戻っていただきます」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る