第2話 過去の世界ではなく異世界?

 

 ねっとりとする植物の匂いとむっとするような暑さに眉をしかめてそっと目を開ける。


 ‟あつ…?”


 ゆっくりと周りを見わたすと象牙色の建物と濃い緑がある。辺りは暗いが満月が明るく照らしているのでよく見える。


 どっかの庭?それにしても暑い、暑すぎる。


 クリスマス前の日本はすでに寒く輝は冬の制服を着ている。体を起こすと池が目に入る。丸いくて石膏に模様が刻まれた公園にあるようなやつだ。日本だったら噴水があるのだろうがここには大きな魚の石像の口から水がちょろちょろと流れ出てきているだけ。


 しょぼい噴水。


 一瞬ボーっとしてそれを眺めていると


‟おまえ!”


 急に怒鳴られて体がビクッと反応する。


‟奴隷女か。妙な格好してやがる。買われてきたばかりだな。どうやって抜け出してきた”


 恐ろしい形相で自分を見下ろしている男を見て仰天する。褐色の肌に上半身裸、頭にはターバンを巻いている。明らかに外国だ。


 インド?


“二度と逃げようなどと思えないようにしてやる”


 男は手に持っていた棒を振り上げる。


 殴られる!


 ひっ!っと首をすくめて腕で頭をかばうが


‟よせ”


 という声が聞こえ、衝撃は訪れなかった。ほっとしたのもつかの間。


‟若い女に傷をつけるな。王へ差し出すために東国から買ってきたんだろう”


 その言葉にもう一人も納得したように相槌を打つ。


“それはそうだな。この国にはもう若い処女は残っていないのだからな”


 なんか助かったという感じじゃないよな、この状況。

 王に差し出す?嫌な予感しかない。


 だが、ここで冷静になる。


 ま、問題ないか。一分なんてあっという間。危なかったけど、きっともうカウントダウンが始まってるはず…


 そう思って腕のカウンターを見て一瞬意識を飛ばしかけた。


 ちょ、ちょっと待って。なんで…


 腕時計の残り滞在時間を示すカウンターは確かに9,8,7,とカウントダウンを始めている。しかし、秒のセクションから左へと視線を移動させると、29D(days)、23H(hours)、58M(Minute)。


 サーっと血の気が引く。


 あんの、ボケじじいーーーーーーーー!

 設定してるとき1Mと言ってたけど、1Monthと1Minute間違えたんじゃないか?!


 天才と呼ばれながらもどこか抜けている祖父の顔を思い出し思いっきり毒づいた。


 この状況でどうやって一か月も生き延びろってのよ。じーちゃんのバカ――!

しかも、この外国…インド?しかもこれ一体いつの時代?


 自分を見下ろしている男たちに


 ‟あはは…じゃ、私はこれで…”


 とひきつった笑いを浮かべて、お尻で後ずさりしながら輝は絶望感にどっぷりつかっていた。



 見逃してもらえるはず、ないよね~。


二人の男たちに両腕を抱えられて、引きずってこられたのは建物の中に一室。そこにいた二人の女に引き渡されて浴室で体をごしごし洗われた。


 ‟随分貧相な体ね”


 ‟仕方ない。処女でなければいけないなんて言われたってまともな家の娘は逃げ出すか、隠れてしまって表向きにはもうこんな棒切れみたいな子供しか残ってないのよ”


 あったばかりの他人にデスられてる。


 かと言って反論する勇気も気力もなく黙ってされるがままになっていた。体に甘い香りのするオイルを塗りたくられ薄い布で出来たい衣装を着せられる。透けてるが布がギャザーになって何とか際どいところは透ける程ではない。


 それよりも浴室に入った時にカウンターを取られたことでパニックになっていた。


 あれがないと正確な時間がわからない。


‟あの、今日は何日ですか?今何時ですか?”


“何時?何の話?”


 質問の意図が伝わっていないようでぶっきらぼうな反応だ。


 れ、冷静になれ、輝。


 必死で今さっき見たものを思い浮かべる。

 満月が高い位置に見えた。そして円形の庭と中央にある魚の噴水。

 それを頭に叩き込んでいる間に準備は終わったようだ。


‟さ、準備はできた”


 なんの?


‟東国から来たようだけど、言葉はわかるようだね”


 一応。


 上目遣いに頷く。


‟これから王の寝所にお前を連れていく。その前にシャヘラザート様がお前をお召しだ”


 シェヘラザード様?

 誰それ


 輝の心の声が聞こえたのか先導していた女が説明してくれる。


‟シェヘラザード様は今現在王の唯一のお妃さまだ。シェヘラザード様のおかげでこの一年間王はお心安くされ、初夜でおなごを殺すという暴挙をなされていない。だが、お妃さまが産気づいてしまって、どうしても代わりの夜伽を務めるおなごが必要なのだ。お前には今宵夜伽を務めてもらう”


 え?何?夜伽って?


 それよりその前のセリフが気になるんですけど。

 初夜で女を殺す?いや、ありえないでしょそれ。


 様々な単語が輝の頭の中を巡る。


 ちょっと待って初夜って、夜伽って。


 輝の語彙力で夜伽は一瞬理解されなかったが、コンテクストで推測できる。


 げ!ちょっと勘弁してよ。

 これって貞操と命の危機?


 思わず立ち止まった輝の腕を後ろを歩いていたもう一人の女が掴んでぐいぐいと引っ張る。


 ‟ちょっと!やだ、放してよ”


 ‟お前は買われてきた奴隷だ。逆らうならこの場で切り殺してもいいんだよ”


 女は冷ややかな視線で輝を見下ろした。

 輝は抵抗を止めて引きずられていった。


‟シェヘラザード様は大変お優しいお方だ。今宵夜伽に選ばれたお前のために何か知恵を授けてくれるおつもりだろう”


 大人しくなった輝を見て女は少し声をやわらげた。

 通された部屋は大きく豪華な部屋だった。美しいカラフルな模様のカーペット。部屋の奥には大きなベッドがあり真ん中に女性がたくさんのクッションにもたれかかるようにして座っていた。

 褐色の肌は滑らかで豊かな髪を軽く結わえて片方の方から垂らしている。大きな瞳に長い睫毛は瞬きをすればバサバサと音がしそうなほどだ。豊満な胸は錦糸に縁どられた緩やかな寝衣に包まれているがその乳房の下は大きく膨らんでいた。産気づいた、と女が言っていた。


 子供が生まれそうなのだ。

 それを物語るかのように美しい顔は少し汗ばんでおり疲労の色が浮かんでる。

 女性は輝を見ると優しく微笑んで手招きした。


‟無礼のないように頭を低くして跪きなさい”


 傍らの女が輝の肩を押して跪かせる。


“良い、こちらへいらっしゃい”


 柔らかな、しかし通りの良い声がした。声の主は身重の女性のベッドサイドに立っている若い女のものだった。もう少し若く見えるが目元がよく似ている。

 輝がおずおずと近づいて行くと


‟お前にはすまないと思っている。だが陣痛が始まってしまい私も今はお勤めは果たせません。お前にはどうしても引き受けてもらわなければならない”


 今度こそシェヘラザードが話しかけてきた。


‟お前もう初潮は迎えたのか?見たことろあまり栄養状態も良くない様子。東の国から売られてきたのか”


 栄養状態云々は輝の細い体の事を言っているのだろう。


 もう十七歳なんだけど。


 周りにいる女性たちはみな豊満な肢体の持ち主だから輝はガリガリの栄養失調に見えるのだろう。


‟シェヘラザードお姉さまが王のお相手を始めてからこの一年、王様は一人のおなごも殺めておりません。王様の勘気の少し和らいだと思うのですけれど”


 シェヘラザードも頷いて


‟私もそれを願うばかり。しかし、それはこの者が王のもとに行くまでは誰にもわからない”


 と物憂げに眉を顰める。


“あの、それってどういう意味ですか?”


 咎められるかとも思ったがどうにも気になって仕方がない。


 だって、殺す、とか言うんだもん。


 若い方の女性がため息をついて


‟お前には知る権利があるだろうから教えてあげよう。拒む権利はないけれどね”


 二年ほど前この国の王シャフリヤール王は外出中、当時の妃が奴隷の男と不貞を働いた。たまたま帰ってきた王がそれを目撃し怒りのあまり二人を切り殺してしまった。その後王は女性不振に陥り毎晩処女を夜伽に所望しては翌朝には切り殺してしまうという暴挙を繰り返した。その為、多くの若い女たちが殺され、娘を持つ親は外国に逃げたりし、この国には若い女性がいなってしまった。


 それを憂いた大臣の一の娘であるシェヘラザードが自ら夜伽役を買って出た。父親である大臣や周囲の反対を押し切ってシェヘラザードが王の寝所に行き務めを果たした後、妹のドゥンヤザードが最後の別れにやってきて最後の寝物語をねだる。


‟王よ、姉の物語はそれは面白く私は毎晩それを聞いてから眠りにつきました。どうか最後の物語を姉に語らせてくださいませ”


 王はそれを許す。賢いシェヘラザードは生き生きとした語り口調で物語を聞かせる。王も思わず聞き入ってしまった。それから王は毎夜物語を聞き続け、とうとうシェヘラザードは殺されないまま三百日あまり物語を語り続けているとのことだ。


 輝は口をぽかんと開けて呆然とした。


 ちょっと待ってちょっと待てちょっと待って。

 いくらバカな、物知らずなあたしでも知ってる。

 これって、アラビアンナイトじゃない!

 え?てことは今あたしがいる世界は何百年も昔?

 ちがう!物語の中の世界だ!


 輝は怒りと驚愕に握りこぶしに力を込めた。


 あのボケじじい――――――――――――

 何が外国だ。異世界じゃないか―――――――――――!!!



『あれぇ、じゃあ計算間違えちゃったのかなー。ごめんごめん』


 ちっとも悪いと思っていない章一朗のとぼけた笑顔が目に浮かぶ。

 そして輝はがっくりと肩を落とした。


 詰んだ…


 

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