聖なる僕の最上主従 ~隷属も許さぬ魔祓い譚~

Yura。

不機嫌主と愉悦の契約魔

 魔と服従に満ちた大国、契約の国レトアゴール。そのとある黒き城の一室で、


「……悔しいぃぃぃぃぃ……‼」


 14,5歳と思しき少女が、艶めく黒檀の机に突っ伏していた。赤茶の巻き毛が、机の上に見事に散らばる。丁寧に編み込んだリボンをも巻き込んで。


「何を落ち込んでるんだ、主様?」


 ふわり、とすぐ隣の机に舞い降りる青年の姿がある。青年が机に腰を下ろすと同時、その背に生えたコウモリのような黒い大きな翼が、跡形もなく消えた。


 無造作に結わえた長髪は漆黒、切れ長の目はルビーのような華やかな赤。猟奇的な雰囲気をはらみながらも、品の良さは失わず何より美丈夫だ。年は19あたりに見える。年頃の女の子であれば、ぽーっと見惚れて当然だろう。


 しかしその美丈夫に「主様」と呼ばれた少女は、顔を上げギッと彼を睨んだ。涙目になってはいるが、彼への愛おしさに胸を締めつけられてといった様子は皆無である。


「分かってるくせに……!」


 このあたりでは珍しい青灰色の瞳は、彼を――契約魔けいやくまを映して怒りに燃えている。男の方は、それを見て性悪な笑みを深めた。


 ――契約の国レトアゴールでは、魔を服従、つまり仕えさせてこそ一人前とされる。


 この少女――アイリーチェ=グレイアースは、学院でただ1人ではないにしろ、もう魔との契約を果たしている。しかもこうして人の姿になり人の言葉を話す種族は、とても高位の魔だ。当然、周囲からうらやましがられる。契約魔であるエデゥアールが周りにとても丁寧な態度なのだからなおさらだ。


 ……しかし、それは無論、見せかけなのであり。


 魔は、どんな姿かたちを取ろうとも魔なのであり。


「今度こそ契約を破棄できると思ったのに!」


 アイリーチェは机をバシバシ叩いた。エデゥアールは、膝に頬杖をついて笑うばかり。


「あんた、毎回それ言ってんなー」


(私1人しかいないとすぐコレだもの‼)


 アイリーチェは怒りを深めた。周りに聖徒せいとなり聖教師せいきょうしなりがいると、「いつも我が主がお世話になっています」「人間を嫌うなど、滅相もない。私は人間が愛おしいのです」などなど、ウソつけこの野郎と言いたくなるセリフのオンパレード。切れ長の瞳は人懐こい猫のような愛嬌を生む。女子聖徒はきゃあっと色めき立ち、女聖教師も腰砕けになり、……まさかの男子・男性陣も見惚れてしまう始末である。


「今回こそ、今回こそ‼ 絶対上手くいくと思ったのに!」


「だからー、その自信、どこから来るワケー?」


 この余裕しかない態度が癇に障る。……誰かコイツの口を縫いつけてやって‼ と言いたいところだが、それができるとしたら主である自分だけだしそもそも実力的にできないのである。


 魔を隷属させるには、本来、魔より強くなくてはならない。力でねじ伏せ、服従を誓わせる。


 アイリーチェが学校で優等生なのは間違いないが、それだけで、これほどの魔がこうべを垂れるはずがない。アイリーチェはエデゥアールと出会った満月の夜を思い出す。




 ――あぁ、こいつでいいや。チョロそうだし。




 軽い調子でそう独り言ち、腰を抜かしたまま動けないでいるアイリーチェと、自分とを、勝手に術の鎖でつなげ――……、


「……何度思い出しても腹立つ……ッ‼」


「え~、また俺との初対面を思い出してくれてたんだ?」


 俺のこと大好き過ぎじゃない? との挑発にアイリーチェは簡単にのる。


「何であれで好かれると思ってるワケ⁉ これだから魔は嫌いなのよ」


「またそれも言ってる」


「私は、魔と契約せずに魔を祓うと決めているの‼」


 魔を服従させるほどの術を得ても、魔を消滅させる――祓う力はない。それがこの、契約の国レトアゴールの人間の悲運だ。魔と契約しなくては、魔を祓うことは叶わない。術だけでは、せいぜい一時的な消滅が限界だ。時が経てば、魔はまた魂を構築し、この国に闇を落とす。


 けれど、それではいつまで経っても魔そのものから解放されない。……魔が大嫌いなアイリーチェは、それが許せない。


「魔に弟を奪われたからか」


 どこか冷ややかなからかいの言葉に、アイリーチェは心臓を止められる。


「……また私の夢を読んだの」


「勝手にダダ洩れにするあんたが悪いだろ」


 それに何度も同じ夢を見られたら内容も覚える、とエデゥアールが肩をすくめる。アイリーチェは拳を握りしめた。こっちだって見たくて何度も見てるんじゃない。けれど、あの悪夢は寝ても覚めても自分を締めつける。


「……それ以上言ったら罰するわ」


「あんたにそれができるかな?」


「……」


 先程までの意地悪さとはまた違う。笑っているのに、冷たい。魔は、こうして心を抉るのが愉しい。


「……できなくても、できるまで、やるわ」


 一音一音、突き刺すように。契約魔の冷たさとは対照的に、彼を見据える自分の瞳に、ひどく熱いものが滾っている。


「……しばらく1人になるわ」


 できる限り冷たく命じて、アイリーチェは教室を去った。月明かりが差し込む廊下は誰もいなくて、寒々しい。






「あぁ、やっぱりチョロいな」


 主のいなくなった教室で。人の姿をした魔が1人、クツクツと嗤っている。


「あれにしてよかった」


 エデゥアールは、最高位の魔だ。本来なら、どんな人間の手でも隷属させるなどありえない。


 しかし、自分を服従させようとする浅慮な人間、驕り高ぶった人間の多いこと。もう1000年以上、エデゥアールは不毛な鬼ごっこに付き合わされている。たまにはまともにやり合ってみたりもしたが、やはり物足りない。多少の暇潰しとなったのも、この永い年月の中で5本の指――いや、3本指にも満たない。


 しかし人間というのは群れて学習するもので、エデゥアールをび出す頻度だけは上がっていった。召喚術が上手くなったらしい。


 あぁもう鬱陶しいな、そろそろ人間ども全員焼き尽くしてもいいんじゃないか――そう思っていた矢先に、また喚ばれた。拙い聖職者、いやまだそれですらない、“学生”という身分のガキに。


 何故こんな力が安定すらしていない弱い小娘が、自分を喚び出すことができたのか。エデゥアールの方も瞬きひとつ分くらいは驚いたが、召喚者の方はもっと愕然としていた。何故ここにエデゥアールがいるのかすらも分からない、といった顔だった。どうやら意図して喚び出したわけではないらしい。手頃な魔を殺そうとでもしたのだろう。


 エデゥアールは自分を喚び出したと思しき陣をサッと確認した。そして――あぁそういうことか、と理解した。


 それはあまりにも、自分が好き好む術式の構築であった。


 召喚陣とは、喚び出す魔の特性や相性を召喚者が読み解き、それに見合った術式を展開するもの。だから同じ学院とやらで教え込まれていても、陣には必ず、術者の個性が表れる。……まぁ、個性すらもない能無し術者もいるが。


 そして人間どもは知らないことだが、これは人間どもで言うところの“好きな食い物”とそう変わらない。要は、体が勝手に、好む陣へと吸い寄せられるのだ。


 エデゥアールは次に、召喚者を見下ろした。


 波打つ赤茶色の髪。青灰色の瞳。……その瞳の奥には、魔への憎しみが満ちている。自分が分不相応な魔を喚び出したことを理解し、しかし負けたくない、とその瞳が燃えていた。


 私利私欲とは異なる野心。魔への憎しみ。そのことへの矜持と執着、依存が混ざり合っている。


(……あぁ。これは)


 最高位の魔は、ニヤリと笑んだ。


 どうせ自分を服従せんとする人間どもにうんざりさせられていたところだったのだ。ならば誰かのもとに下るのも、悪くない。これから成長していけば娘の持つ術式はさらに美味く育つだろう。それに、


(俺の大好きな憎しみだ)


 人の見る夢を読むことができる魔は、のちに知る。この娘が幼い頃に目の前で最愛の弟を魔にかどわかされたことを。――それはなおさら大好きな憎悪と自罰の翳り。


 この瞳をもっと燃やして、壊してやりたい。その様を見届けたい。誰よりも近くで。


 魔の服従と魔の祓いを教授するこの聖白院せいびゃくいんでは――隷属を良しとして、聖なるなどとよくも言う――、魔と契約を果たした聖徒は、契約魔と共に魔祓いや魔の調査に駆り出される。我が愛しの主はその度に、エデゥアールとの契約破棄に繋がる手がかりがないかと探していた。本来なら主から一方的に破棄できるものだが、この契約の主導権は当然、エデゥアールにある。


「最期まで破棄などさせるものか」


 嗚呼、今宵の月も美しい。つまらぬガラス越しであるのに、ひどく愉悦だ。


「これからも、末永くよろしく、我が主」


 凍るような甘い言葉は、呪いのように夜闇に消える。……魔と服従に満ちた夜はまだ、はじまったばかりだ。

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