景色をつくる
「見せて、と言われても」
「何、見せられないの?」
ここがどんな場所なのかも分からないのに、あんなアンバランスで美しい景色をどうやって見せろというのだ。こんな、闇に包まれた空間で。
「あの景色は、夢でだから成り立つと思うのですが」
「現実でも成り立つわよ。……いや、ここを現実と言うのは、本当に現実に生きる人たちに失礼ね」
「ここは、何なんですか」
「世界のどこかにある場所よ。……ああでも、どこにも本当はないのかもしれない」
「よく、分からないです」
「私にもここが何なのかはよく分からないわよ。長らくここにいるけれどね」
この暗闇は、どこかで振り切ることができるのだろうか。そうであればまだ希望はある。
「……ひとまず、探す旅にでも出ましょうか」
「はあ? 何を無謀な」
不機嫌な反応が返ってきた。はあ、とは初対面の人間に浴びせる返答ではないだろう。全くもってな失礼さに、ため息を吐く。
「あ、ため息。呆れたわね今」
「す、すみません」
「いいわよ、別に。自分が失礼な奴っていう自覚くらい、あるから」
ますます彼女は不機嫌になってしまった。声に棘がある。心地の良かったアルトが、僕の鼓膜を突き刺す。
「すみません……」
「そんなに謝らないで、こっちまで惨めになるから」
「すみま……」
「ほら!」
であれば、どう返せというのだ。相手を怒らせてしまったことに対して、失礼な物言いをしてしまったことに対して。謝る以外の誠意の表し方を僕は知らない。
「……別にいいって言ったんだから、気にしなくていいのよ」
「……はあ」
気の抜けた、ため息よりは大きな、だが言葉にはならない声が出た。そんな風に言われたのは初めてだった。いや、これまでも言われていたのかもしれないが、僕が意識の外へ
「……ありがとうございます」
「それでいいの」
満足気に、彼女は笑う。
「で、その旅をするっていう計画だけど。ここはどこまで行っても闇しかないわ」
「じゃあどうやって」
「ここに『景色』はない」
「ないなら、どうやって見せれば」
「つくるの、あなたが」
景色を、つくる? 天変地異でも起こさなければ、この何もない空間に湖をつくり、月を浮かべ、雨を降らせることなどできはしないだろうに。
「どうやって」
「ここまで言って分からないの?」
「……分からないです」
「全く。ピアニストの名折れにも程がある」
「名折れ……」
もちろん、そうだ。僕のような人間、他のピアニストの足元にも及ばない。名折れと言われても仕方がないのだ。だが彼女に言われるのは違うだろうと心の中の『自尊心』が叫んでいた。
「僕が名折れだ、って何を根拠に」
「は? 根拠も何も、ここまで言ってこの世界の仕組みについて気づかないからに決まってるじゃない」
「……え?」
「は?」
予想だにしなかった返答に、また素っ頓狂な声が出た。そうか、彼女は僕が気にするようなところを気にもしていなかったのだ。
「……すみません、勘違いです」
「そう」
「それで、世界の仕組み、って」
「ここでは『景色』は、音によって生み出される」
「……音」
「ええ。だから私はピアニストをここに呼ぶのよ、彼らのピアノの音で、ここに『景色』を生み出してもらうために」
なるほど。そういうことだったのか。すとんと腑に落ちた気がした。
「でも、なんで僕が」
「うーん……本当にランダムね、それは」
「たまたま、ってことですか」
「ええ」
まあ、そのくらい気楽に呼んでくれたと思えばいいかもしれない。僕に白羽の矢が立った、なんて言われてしまった暁には、『自嘲』によって潰されてピアノを弾くことなど叶わなくなる。
「改めて言うけど。私に『月光の景色』を見せて」
「……僕の音色で、あなたの望むものが出来るかは分かりませんが、やってみます」
そう言った瞬間、視界の端が大きなグランドピアノの出現を捉えた。
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