第52話 平和の終わり

 妙だと乃雨。まったく警察の気配を感じないという。まるで東京から警察がいなくなったようだと彼女は不審がった。


 たしかに不気味なほど静かに思えた。パトカーくらいでヴァルナは止められないとしても、これだけ自由に動くEXOギアを警察が黙って見過ごすはずがない。


 その疑問の答えはすぐにわかった。


 ヘドロ島の方角の空が、赤く染まっていた。


「もうはじまったなんて!」


 乃雨が悲鳴混じりの声をあげた。


 ついに警察の大部隊が、ヘドロ島に進軍を開始したのだ。


 ヘリコプターが複数、築地から有明方面へ飛んでいくのが見えた。その下では警察車両が、ぞろぞろと列をなしているのだろう。


 念のため有明方面を回避し、新木場方面からヘドロ島に近づいたのは正しかった。


 ヴァルナの跳躍力でヘドロ島の外殻を飛び越えた。降り立った場所は森だった。そこを抜け、神楽に入った。


 街の西側で戦闘は行われているようだった。火の手のあがる西の方角を、家から出てきた住人たちが不安げに眺めていた。


 ヴァルナは最後にジャンプすると、雷神チームの事務所の屋上に着地した。


「もう限界、行って」

 

 稼働限界に達したヴァルナは膝をつき、こうべを垂れた。


「乃雨、おまえも来いよ」


 地面におりると夜は言った。


「行って。私は足手まといになるわ」


「そんな目立つものの中にいたら危険だろ」


「私なんかを背負って行動するほうが危険よ」


「バカを言うな。ちょっと待ってろ」


 一階の倉庫に背負子を置いたままだった。それを走ってとってくると、乃雨のもとへ戻った。


 ヴァルナのハッチが開くと、乃雨は自力で這い出てきた。ヴァルナの右手に乗り、その右手を自分で地面に下ろした。


 少しくらいなら遠隔操作もできると聞いていたが、あらためて技術に驚かされる。南条も先進技術に目を見張っていた。


「ちょっと待って。いま『ニューロリンク』の接続を切るから」


 乃雨は目を閉じると、小さな声で「システム終了。おつかれさま、ヴァルナ」と口にした。電源を切るのも思念なのだ。


 それから乃雨は頭の白いヘアバンドのようなものを外した。人間とBMIとを物理的に接続するデバイス『ニューロリンク』だ。


 西のほうで銃声が鳴った。直後に応戦するような銃声も鳴り響く。


「さあ行こう」


 夜は背中を向き、乃雨が乗れるようにした。もう慣れたもので、彼女は上半身の力だけで背負子に乗り移った。


 上空ではヘリコプターが地上をサーチライトで照らしていた。前回とちがって陸と空の二面作戦だった。雷神チームだけだと長くは抑えられないだろう。


「チョークの裏口に向かって。そこでタウチーが待っているわ」


 チョークとは都時代に庁舎として建てられたビルの愛称だ。チョークを立てたような白亜の円筒形のビルだからチョークである。ヘドロ島で最も高い建物でもあり、神楽のシンボルとして古くから親しまれていた。


 現在はビルの上層階に金槌社ゴールデンハンマーの本社屋がある。


「行こう。先生もいっしょに来てください」


「あ、ああ」


 南条は考えごとでもしていたのか、慌ててとりつくろうように言った。

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