第53話 神楽炎上
事務所から出ると、目の前の大通りを西へ走った。まっすぐ行けばチョークだ。
走っていると着の身着のままで避難してくる住民たちと何度もすれちがった。
気温も上がってきた気がした。すでに黒煙は道路にまで漏れ出し、頭上を漂っていた。戦闘の中心部はすぐ近くだ。
チョークも近くに見えてきた。白亜の塔は夜空にも映える。もしあそこが炎上したら、巨大なトーチできっと美しいだろうな。などと不謹慎だが夜は思った。
「ちょ、ちょっと休ませてくれ……」
南条がひいひい喘ぎながら言った。元ハッカーでフィジカルタイプではないとはいえ、運動嫌いを公言するマギよりも先にダウンするのか。南条の体力のなさは計算外だった。
夜は近くの安全そうな建物に全員を誘導し、そこの陰で少し休憩することにした。
「本当にこの状況から逆転できるのか」南条が息を整えながら言った。「ぼくの『SAKURA』は、ただの計算ソフトだ。役に立つとは思えない。悪いが、きみたちはもう終わりだ」
「なにも知らないくせに、勝手なこと言わないで」
じたばたと乃雨が背中で暴れた。
そのときだった。
ウオーーーっという男たちの雄たけびが聞こえた。
すぐ近くだ。サッカーの試合でゴールが決まったときの歓声にも似ていた。
「気になるな、見てこよう」
南条が通りに出ようとした。
「待って、外は警察だらけよ」
乃雨から止められるが、南条は意に介さなかった。
「私は普通の市民だぞ。なんでこそこそしないといけない」
「待ちなさい!」
しかし南条は忠告を聞かず駆け出した。
「夜、あいつを追って」
「ふり落とされるなよ」
言ったと同時に、夜は走り出した。
少し先の交差点を左に曲がる南条が見えた。たとえ乃雨を背負っていても、体力で南条に勝つ自信はあった。
交差点を曲がると、道路の真ん中に二台の軽トラックが、横向きに止まっていた。警察を阻害するためのバリケードだろう。その右側には、南条が以前行きたがっていたバー『オネスティ』があった。
バリケードの向こうに一台のパトカーが止まっていた。その左右にそれぞれ警察官が一人ずつ立っていた。バリケードの裏側をたしかめようとして、パトカーから降りたのだろう。だがバリケードの裏には誰も隠れていない。
そのときだった。『オネスティ』から、常連客たちがいっせいに飛び出してきた。彼らは金属バットやゴルフクラブなどで武装していた。
側面からの急襲に警察官たちは浮足立った。まず襲われたのは、バーに近い助手席側に立っていた警察官だった。彼は急なことに対応できず、地面に押し倒されると一方的に暴行を加えられた。
そこへ南条がバリケードの裏側から飛び出そうとした。
「先生、行ったらだめだ!」
だが南条はパニックぎみの警察官に向かって「おまわりさん、私を保護してください」と叫びながら走っていった。南条には拳銃が見えていなかった。
運転席側にいた警察官は、南条を撃った。三発発砲し、二発は南条の胸あたりに、もう一発は軽トラックの運転席のドアに命中した。
南条は慣性をつけたまま前のめりに倒れた。
撃った警察官は、『オネスティ』の荒くれ者たちにも銃口を向けた。
まずい。夜は焦った。車両に残っていた警察官が、無線機を使っていた。応援を呼んでいるのだ。このままだと南条は搬送される。『SAKURA』だけでも回収しなければ。
夜は仕込み棒を解除した。リスキーだったが、警察官を無力化するしかない。『オネスティ』の連中が暴れているいまがチャンスだ。
『オネスティ』の客たちは、ひどく酔っていて、奇声をあげながら、ここを狙えと自分の胸を指したり、ズボンを脱いで尻を突き出したりしていた。
夜はそっと警察官に近づいた。頭の中でイメージする。彼の手首を叩いて拳銃を落とす。三ツ矢に対してやったように。
残り三メートルまで距離は縮まった。仕込み棒は伸ばすと全長約一・二メートル、すでに射程圏内だ。
踏み込もうとしたときだった。
「やったれ棒の兄ちゃん!」
『オネスティ』の酔っ払いの一人が叫んだ。
(このバカ)
夜は心の中で舌打ちした。
ふり向いた警察官から銃口を向けられる。
彼の緊張はピークに達し、その表情は泣き笑いのようだった。
すぐに夜は仕込み棒を地面に捨て、両手を上げた。しかし警察官の目は焦点が合っておらず、正常な思考力など期待できそうになかった。
撃たれる――。
夜は覚悟した
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