第8話 憧れのヘドロ王
大学の近くのコンビニ。
夜は買い物かごに自分とハム子の焼肉弁当と飲みもの、それからいくつかの菓子も放り込んだ。
ついでに立ち寄った書籍コーナーで、ハム子が立ち止まった。
「これ――」
彼女が手にとったのは一冊のペーパーブックだった。
『総力取材! ヘドロ王は実在した!? 衝撃の事実!』
「ヘドロ王だ。なつかしいなあ」
「ハム子ちゃんも読んだことあるの?」
「もちろんです。学校で流行っていましたから」
「うちの学校もだ」
「友だちと推しキャラは誰かって、よく話していました。好きなキャラで、その人の性格診断もできるんですよ」
「へえ、それは初耳だ」
「たとえばヘドロ王好きの人は、強い意志と情熱を秘めた冒険家タイプ。だけどうぬぼれやすくて、いろいろチャレンジするせいで失敗も多いんです」
「そ、そうなんだ……」
あてはまる点がないか、夜は自分の胸に手をあてた。
「私のまわりではヘドロ王が一番人気でしたねえ。やはり主人公は強し」
「ハム子ちゃんはどのキャラクターが好きだったの?」
「私の推しは魔女ミュールスです。とても聡明で美しくて、ちょっと冷たく映るんですが、本当は誰よりも心優しくて、仲間思いなところが素敵なんです。じつは中学一年生のとき、ミュールスに憧れて、自作した黒いローブを家で着ていました」
少し恥ずかしそうにハム子は微笑んだ。
「ぼくも一人知っているよ。ヘドロ王に憧れて、棒きれをふりまわしていたやつ」
「あはは。特大黒歴史ですねえ」
すぐ目の前にいる男なんだが。
「ヘドロ王には七人の騎士がいるんですが、有村さんは全員の名前を言えますか?」
「い、いや、そこまでは……」
「私はいまでも二つ名つきで、全員の名前を言えます」
ハム子は指を折りながら、すらすらと暗唱した。
母なる魔女ミュールス
優しき巨人のヴァルナ
蒼い稲妻のアザミ
最も気高きユバ
凍てつく魂のサンドレン
猛る炎のドネイト
醜い魔女ミドラス
「ハム子ちゃんが『ヘドロ王物語』のファンだったなんて意外だよ」
自分も騎士の名前くらい言えるのに、夜はすっとぼけた。
「やっぱり子供っぽいですか?」
「いいや。好きになることも立派な才能だと思うよ」
「またまた。有村さんは褒め上手ですねえ」
ハムスターのように、ハム子は鼻をひくひくさせて喜んだ。
それから彼女はまた本を見やった。
「それにしても作者さんは天才ですよねえ」
「どうしてそう思うんだい?」
「だって現実のゴミ処分場を物語の舞台にしたんですよ。すごい発想力です」
ヘドロ島は、メガフロートの巨大人工島の通称だ。
東京のゴミ処分場不足を解消するための切り札として、国と東京都によって羽田空港の東に建設されたのだが、財政難から二十年以上前に放棄された。
その後はゴミの違法投棄で荒れ果て、さらにホームレスや不法滞在の外国人、逃亡犯なども流れ着くようになり、売春や賭博、麻薬や銃の密売など犯罪の温床となった。
やがて島にはドラッグで狂った食人族が暮らすとか、捨てられた毒蛇が大繁殖したとか、人身売買めあての人間狩りが潜むとか噂されるようになり、まともな市民は近寄らなくなった。
外界から隔絶された島は、不潔で悪臭のするヘドロを外周部にびっしりとまとうようになり、いつしか人々からこう呼ばれるようになった。
『ヘドロ島』と。
「『ヘドロ王物語』の冒頭はこうです。魔女ミュールスがカラスに化けて、ヘドロ王のもとにやって来るんです」
ハム子は両手で羽ばたくマネをした。
「『時が来た、ヘドロ王よ。この世界の真なる王となるため、幻の島で神々の秘宝、原始の炎を探せ』」
すっかり子供ころに戻ったようで、夜はくすっと笑った。
「他のお客さんが見ているよ、ハム子ちゃん」
「えへへ、ごめんなさい」
ハム子は舌をぺろっと出した。
「ハム子ちゃんのヘドロ王好きは伝わったよ」
「有村さんは、どのキャラクターが好きでした?」
ハム子から水を向けられると、夜は言いよどんだ。
「そっかあ。有村さんはまじめですもんねえ。ああいうファンタジーにハマるタイプじゃなさそう」
とハム子は勝手に納得した。
結局、自分も大ファンだと言いそびれて、夜は少し後悔するのだった。
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