第9話 暴かれるピラミッドの謎
研究室に戻ると、すでに『SAKURA』の計算は終わっていた。
「すごい。世界中の諜報機関から狙われるってのは、誇張じゃないかも」
Nのなかに存在する素数の数は、宇宙の原子の数を余裕で上まわる。その中から正解の素数を見つけだすのに、コンビニを往復するだけでよかった。
「ピラミッドの暗号解読コンテストだって、本当は『SAKURA』の発表会の一企画でしかありませんからねえ」
ハム子はあまり計算結果に興味はなさそうで、それだけ言うと焼肉弁当のふたを開け、舌なめずりした。
「『SAKURA』の発表会には、学会関係者やマスコミも大勢来る。その前で、実際に解いてみせればインパクトは絶大だよ。何百ものコンピュータを動員して、何か月もかかった暗号解読コンテストの計算を、一瞬にして解いてみせるんだから」
南条にとって重要なのは、『SAKURA』をより高値でどこかへ売却することで、コンテストはそのための長い仕込みだった。
『SAKURA』が素因数分解で導きだした素数、PとQを夜は紙に書き写した。
このPとQをもとにθ(N)を求める。さらにそこから拡張ユーグリッド互助法で、隠された秘密鍵Dの値を計算した。
ハム子が焼肉弁当をたいらげたころだった。
おそらく世界初であろう。
ついにピラミッドに隠されていた数字を発見した。
夜はノートに写したその数列を、しばらく達成感とともに見入っていた。
となりで大きなあくびをしたハム子にも見せてやった。
「3232235521」
見たまんまを読み上げ、それから彼女は首をかしげた。
「大ピラミッドに隠されていた秘密鍵の値だよ」
「この数字がピラミッドの謎なんですか?」
「いいや、これはただの数字だ。この数字の意味を解き明かさないといけない」
「でも数字の羅列ですよ。意味なんてあるのかなあ」
「アスキーコードで文字に変換してみよう」
ASCⅡコード表を検索サイトで探し、数列にあてはめてみた。
ETXSTXETXSTXSTXETXENQENQSTXSOH
できたのがこれだ。まったく意味をなさない。
「ネットで直接検索したらどうでしょう」
ハム子に言われたとおり、検索窓に直接数列を入力して調べてみた。だがやはり意味はなく、特になにもヒットしなかった。
「ピラミッドの暗号ですよ有村さん。これは宝の位置を示す数字です、きっと」
「たとえば?」
「えっと……銀行の口座番号とか」
「銀行の口座番号は七桁だよ」
「じゃあ宝を埋めた場所のヒント」
「こんな数字だけじゃヒントにもならないよ」
「難しすぎますよお」
ハム子は机に突っ伏した。
「いや待てよ。ハム子ちゃんはいい線をいっていたと思う」
「どういうことです?」
「世の中で十桁の数字が、なにに使われているか調べるんだ。そう多くはないはず。その中に答えがあるかもしれない」
「私もスマホで調べてみます」
二人で協力して、十桁の数字が使われるものを片っ端から調べあげた。
その結果がこうだった。
ISBN(図書コード)
基礎年金番号
CMコード
処方せん発行番号
在庫管理のロット番号
NHKのお客様番号
JR東海のエクスプレス・カードの会員ID
ベガルタ仙台と千葉ロッテマリーンズのファンクラブの会員番号
アメリカン・ミリオンズ
「どれも無関係そうですねえ……」
さすがにハム子の声にも元気がなくなっていた。
「アメリカン・ミリオンズは惜しいと思ったけどな。アメリカの宝くじだけど」
「でも賞金が最高五百万円くらいの小規模な宝くじですからねえ」
「異星人が仕掛けたにしてはショボいか」
人類が滅ぶなどと望月もおおげさだ。信じていたわけではないが、それでも与太だとわかると少し寂しさもあった。
どっと疲労感がでてきた。
「残念ですねえ。お宝を探すって、ヘドロ王みたいでわくわくしたんですが」
「伝説だの伝承だのって、そんなもんさ」
「望月先輩にも教えてあげたいです。人類は滅びませんよお、って」
「先輩は逆にがっかりすると思う。人類なんかよりも、伝説の正しさのほうが大事な人だから」
「ですねえ」
二人で笑いあった。
急に腹が減ってきて、夜は焼肉弁当のふたを開けた。いまごろ望月は、南条教授のおごりでおいしい焼肉とビールだろう。なんだかその様子を思い浮かべたとたん、彼のその幸せそうな顔を、ピラミッドの暗号伝説なんてウソだったと教えて、曇らせたくなった。
「でも楽しかったです。宝さがしといっても、いまはネットで部屋にいながらできるんですから」
ハム子が空になった弁当の容器を、ゴミ箱に捨てに立ち上がった。「私の体力じゃ、ヘドロ王みたいに森とか沼地とか歩けませんし」
すると夜は割ろうとしていた割りばしを置きなおした。
「ハム子ちゃん、いまなんて言った?」
「はい?」
「ネットで宝さがしができる。ハム子ちゃん、そう言ったよね?」
「は、はい」
「それだよ!」
夜はノートパソコンをたぐり寄せた。
一心不乱にキーを叩くものだから、ハム子が心配そうに覗き込んできた。
指を止めず、夜は彼女に説明した。
「ハム子ちゃんの言うとおりだった。これは宝の位置を示していたんだ」
「どういうことですか?」
「IPアドレスさ」
「IPアドレス?」
「ロングIPアドレスといって、これは十桁の数字なんだ」
なんでもっと早く気づかなかった。言いながら夜はノートに新しい数式を書き込んでいった。
計算が終わって、ノートをハム子にも見せてやった。
A = 3232235521 / 256 / 256 / 256 = 192
B = (3232235521-192*256*256*256) / 256 / 256 = 168
C = (3232235521-(192*256*256*256+168*256*256)) / 256 = 0
D = 3232235521-(192*256*256*256+168*256*256+0*256) = 1
192.168.0.1
「ピラミッドの数字をIPアドレスに変換した」
「IPアドレスって、ネット上の住所ですよねえ」
「そう。これをwww.yakiniku.comみたいにアルファベットに変換して、人間でも覚えやすくしたのがURLだ」
「つまり、これをアドレスバーに入力したら……」
「異星人のウェブサイトにつながる」
えええええ、とハム子から驚嘆の声が聞こえた。
「存在したら、な」
夜はIPアドレスをブラウザのアドレスバーに打ち込んだ。
エンターキーを押す。
本当につながったから椅子から転げ落ちそうになった。
「うそだろ!」
ノートパソコンのモニターに、ピラミッドを表す三角形のマークが表示された。さらにその中から、左目の意匠も浮かび上がってきた。
なんだっけ……。
望月から以前見せてもらったことがある。
そうだ。
『ウジャトの目』
そう呼ばれる古代エジプトのシンボルだ。
ブラウザを閉じた。
「どうしてえ!?」
鼻息がかかるくらいハム子の顔が近くにあった。彼女もノートパソコンにかじりついていた。
「ウイルスに感染するかもしれない」
夜はノートパソコンの電源を落とした。さらに電源ケーブルも引っこ抜き、神妙な声で言った。
「きっと先に謎解きをした人間が、ウェブサイトを作って待ちかまえていたんだ」
「せっかく暗号を解読したのにい」
「いいや、退くべきだよ。なにをされるか、わかったもんじゃない」
「じゃあ、お宝も先にとられちゃったんですか?」
「そんなもの最初から存在しないさ。ピラミッドの建設者が、ウェブサイトのIPアドレスなんか隠すわけがないし」
「そうですけどお……」
「ぼくたち以外にも、こんなバカげたことを考える人間が世界にはいたってことだ。どこのどいつか知らないけど、いまごろアクセスがあったって笑い転げているよ」
ゲームは終わりだ。もう遅いし帰ろう。夜はハム子に告げた。
なにがピラミッドの謎だ。電話で望月に文句を言いたくなった。
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