第10話 謎の襲撃者

 すっかり外は暗くなっていた。


 あまり帰りが遅いと、和樹からなにを言われるかわかったものじゃない。大学進学にも反対し、いますぐ働けとうるさい父親だ。あいつが不機嫌になると母は怯えるし、姉にも迷惑がかかる。


 それにあの不気味なウェブサイト――。

 あれを見てから鳥肌がずっと収まらなかった。


 さっさと風呂に入ってさっぱりしたい。


 ほとんど人影もなくなったキャンパスでハム子と別れ、夜は足早に駅へ向かった。


 尾行する人間がいた。黒人の大男、それと額に赤いバンダナを巻いた東南アジア系の若い男――。


 気がついたのは地下鉄の階段を途中で引き返したときだった。乾電池を買ってこいと和樹に命じられていたことを思い出してUターンしたのだが、そのときにすれちがったはずのその二人が、なぜか地上でも背後をぴったりとついて歩いていたのだ。


 恐くなり、近くの家電量販店に飛び込んだ。


 エスカレーターを駆け上がりながら、うしろをふり返る。するとその二人も、エスカレーターに飛び乗ってきた。


 夜は小さく悲鳴をあげた。

 なんだなんだ。なぜ追われなくちゃいけない。


 二階のフロアは、テレビやパソコン、デジタルカメラ、スマートフォンの売り場だった。走っていると嫌でも客の注目を集めた。知るもんか。こっちは必死なんだ。

 

 テレビ売り場で息があがり、走れなくなった。膝に手をついて休む。


 売り場に展示されたテレビでは、NHKのニュース番組を流していた。警視庁がヘドロ島を占拠するテロ組織の強制捜査に乗り出すのではないかと報じていた。


「棄てられた人工島に自分たちの国を建国する、か。ロマンがあるな」


 女の声がして、夜は周囲を見まわした。さっきまでいた客たちは、ぜいぜい喘ぐ夜を恐がり、どこかへ行ってしまった。残っていたのは、黒いポンチョのような服とその下に魔女が身に着けるような黒色のドレスを着たへんてこな女だけだった。


 女のポンチョは印象的だった。上着のように腰のあたりまであり、シルクの生地に金色の美しい蛇の刺繍を施していた。それだけで芸術的な価値がありそうに思えた。


 フードをかぶっているせいで、顔まではわからない。きっとなにかのコスプレだろう。そう思うことにした。


「ヘドロ島と警察、どちらが勝つか賭けるか?」


 うしろに誰かいるのか? 夜はふり返った。しかし誰もいない。この女は自分に話しかけているのだ。


 夜は棚から顔だけを出し、店内を確認した。さっきの黒人の大男がこちらを探していた。まるでヘビー級ボクサーのような二の腕だった。あんなのに殴られたら確実に死ぬ。


「マーケットの情報が知りたいのだが、チャンネルはどうやって変えればいい?」


 女がまた話しかけてきた。だが夜はそれどころではない。もう一人いた赤いバンダナの男がいなかった。すぐ近くにいるかもしれない。ぎゅっと腸を体の内側からつかまれるような感覚に襲われ、ぶるっと体が震えた。


「右目を閉じてみろ」


 女が言った。


「さっきからおれに言っているんですか?」


 いいかげんめんどうになり、夜は女に言った。


「他に誰がいる」


「すみません、いま忙しいんです」


 十五メートルほど先に非常口があった。あそこから逃げられそうだったが、黒人の大男も近くにいる。どうしようか迷った。


「いいから右目を閉じろ」


「遠慮します。いったいなんなんですか、あなた」


「私を呼んだのはおまえだろう」


 そう言って女は、夜のほうを向いた。


 彼女は右手で、自分の右目を隠していた。左目だけで見つめられて、夜ははっとした。


 あのウェブサイトの目だ。


「私は『東のマギ』。マギと呼んでほしい。それと、もうすぐ店は停電する」


 突然、真っ暗になった。悲鳴があがる。夜もいきなりのことで混乱した。完全な暗闇で身動きがとれなくなった。


 腕を誰かにつかまれた。


「走れ」


 マギと名乗った女の声だった。引っ張られて、夜は慌てた。


「なにも見えない」


「私には見える。非常口から店を出るぞ」


 なんでそんなに自信たっぷりなんだ。だが本当にマギの走りには迷いがまったくなかった。


 ドアの先に階段があると彼女は教えてくれた。手すりにつかまり、そっと一段ずつ下りた。


 どうにかマギの案内で外へ出ることができた。しかしわからないことだらけだった。それを察知したのか、マギが言った。


「あらかじめ右目をつぶって、暗闇に順応させていた。幽霊屋敷でも使えるテクニックだ。覚えておくといい」


「そうじゃない。あんた何者なんだ。もしかしてあのウェブサイトの制作者か?」


「お喋りはあとだ。いまは逃げるぞ」


 マギはさっきまでいた家電量販店の二階フロアの窓を見やった。懐中電灯の光線が室内でせわしなく動いていた。店員だろうか。客を外へ誘導するのなら、あの黒人たちも出てくるだろう。たしかに急いで離れたほうがよさそうだった。


 駅へ向かうのは危険な気がして、むしろ遠ざかることにした。しかしこのあたりの地理にはくわしくない。どこかで隠れる場所を探したほうがよさそうだと思った。


 しばらく歩いてシートで覆われた改装工事中のビルを見つけた。この中なら比較的安全に思えた。


 シートをめくってドアまで向かった。


 すぐに期待は失望へと変わった。


 施錠されていた。しかもぶ厚い強化ガラスのドアだった。道具なしで開けるのは不可能だろう。


「私に任せろ」


 マギはドアを人差し指で押した。「ふむ」と納得したふうに言う。そして離れていろと夜に指示した。


「なにをする気だ」夜が問うと、マギは「魔術で開けてやろう」と人差し指を、夜の眼前で突き立てた。ジョークかと思ったが、マギは真顔だった。


 暗さにも慣れて彼女の顔がよく見えた。若いようなそうでもないような、どこか非現実感すらもある不思議な雰囲気の女性だった。


「魔術って……冗談だよな?」


「さっきの停電は見ただろう。偶然であんなことが起こると思うのか」


「でも魔術なんて信じられない」


「なぜ信じられない。おまえはすでに奇跡を見ている。私たちが今日出会った。これは奇跡だと思わないか?」


 マギはフードをとった。ストレートの髪が肩まで下りてきた。目を覗き込まれ、夜は思わずあとずさった。ゾッとするような美しさだった。まるで蝋人形のように生気がない。この女なら本当に魔術を使うかもしれない。そう思えた。


「……じゃあ見せてくれ、魔術を」


「うそだ」


「は?」


「おまえ、人がいいな」


 マギはあいかわらず真顔だった。そのせいで自分がからかわれたと理解するのに時間がかかった。


 夜は顔の火照りを感じた。


「怒ったか?」


「呆れたんだよ」


「女の他愛もないウソに怒るような男とは、結婚すると苦労する。私の祖母の言だ」


「知るか!」


 夜はシートの隙間から外を覗いた。通りに怪しい人影は見えない。だがさっきの連中は近くにいるはずだ。このままシートの内側で隠れているほうがいいだろう。


「なあ、あんた」


 夜は外の監視を続けながらマギに話しかけた。


「マギだ」


「マギ、おまえは何者なんだ。なんでおれのことを知っていた」


「気になるのか?」


「あたりまえだ。おかしな連中にも追いかけられるし、なにがどうなっている」


「私とおまえが、この世界を焼きつくし、人類を滅ぼすのだ」


「はあ?」


「べつの言いかたをすると、私たちは結婚する」


「いいかげん怒るぞ」


「私を呼んだのは、おまえだろうに」


「もういい、頭がおかしくなりそうだ」


 これは夢ではないのか。夜は自分の頬をつねってみた。ちゃんと痛かった。


「機嫌をなおせ。このドアは開けてやる」


 またか。人をおちょくるのもいいかげんにしろ。夜は無視することにした。


 ガタガタと音がした。マギがドアを揺らしているらしい。音を追っ手に聞かれかねない。うんざりして夜はふり返った。


 マギが人差し指一本でドアに触れ、暇な子供がやるみたいに押したり引いたりをくり返していた。


 つきあっていられない。夜は外の監視に戻ろうとした。だがそれを引きとめるように、マギから妙な質問が飛んできた。


「『共振』は知っているか?」


「それがどうした」


「あらゆる物体には、揺れやすい固有の振動数がある。これを物理学では『共振周波数』と呼ぶ。私はいま、このドアを共振周波数で揺らしている」


 なんの話だ。夜は戸惑った。またからかっているのか。そうでなければ頭のおかしい女だ。


 マギは人差し指で、ドアを揺らし続けた。一定のリズムで、まったく力もこめていない。いわゆるツッコみ待ちだろうか。なんでこの状況で、知らない女とコントをやらなければならないんだ。

 

 止めようとしたときだった。

 異変に気づく。


 揺れが大きくなっていた。

 

 マギはなでるようにドアを押して引いてをくり返しているだけだ。なのにドアの揺れはどんどん大きくなる。まるでドアが意思を持ち、くすぐったがっているように。

 

 さらに揺れは大きくなっていった。そのうち台風でも直撃したような暴れかたになり、夜は恐怖を感じはじめた。


「共振が起こると振動は急激に増幅される。共振は信じがたいほどの強力なエネルギーを生むのだ。オペラ歌手は声だけでグラスを割り、ただの風は頑丈な吊り橋すらも崩落させる」


 揺れは増していき、耳をふさぎたくなるほどの轟音になった。たまらず夜は、なにが起きているのかマギに訊ねようとした。


 そのときだった。ついに耐えきれなくなったドアロックが、ぱーんと爆竹でも鳴らしたような音をたてて外れた。その勢いでドアも勢いよく開いた。


「これが魔術――なんてな」


 マギは人差し指を、夜の眼前に向けた。びくっとして夜は一歩あとずさる。それを見たマギが初めて笑みを見せた。


 魔女ミュールス――?


 そんなまさか。

 しかし目の前の女性は、頭の中で描いていた魔女ミュールスそのものに思えた。

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