第2話 車椅子のワケあり美女

「YesYesYes! 最高のショーだったぜ、有村」


 踊るようにステップを踏みながら、パーティー用の三角帽子をかぶった男が近づいてきた。


「きみこそ南条研究室の誇りだ。さあさあ疲れただろう、ゆっくり休みたまえ」


 折りたたみ椅子を置くと、彼は肩でももむようなしぐさをした。


「望月先輩、おれは疲れてなんかいませんよ」


 こういう妙に優しいときは、あとが恐い。夜は丁重に断った。


 立ったままでも休息はできる。狐面を少しだけずらし、久しぶりに肺を新鮮な空気で満たした。


 さっきまで演舞していた広場を見やると、まだ多くの学生が残っていた。列を作って並んでいるのだが、そこは南条研究室主催のコンテストの受付だった。


 演舞はコンテスト参加者を集めるための催しだった。


「いまどきは献血ですら、アイドルのショーとかやるんだぜ?」


 などと望月からしつこく説得されたのだが、そのもくろみどおり行列ができているのだから、たいしたプロデューサーである。


「先輩たちもビラ配りを手伝ってくださいよお」


 ビラの束を抱えた小柄な女性が、ぱたぱたと小走りに駆けてきた。


「しっしっ。おれはいま”有村先生”をもてなしてるんだ。そのような下働きはハム子、きみのような一兵卒がやりたまえ」


「もうっ、望月先輩はなにもやってないくせに」


 ハム子は頬をふくらませた。


 ハムスターを飼っていて、自身も小さくてハムスターっぽいから、彼女は『ハム子』と南条研究室では呼ばれていた。実際、怒った顔がエサを頬袋に詰め込んだハムスターにそっくりだと夜は思った。


 ハム子の他にも四人の研究室メンバーが手伝いに来ていたが、みんな忙しそうに走りまわっていた。彼らの仕事は、集まってきた人々にコンテストの説明とエントリーの手伝いをすることだ。


「しっかし、こんなにも参加希望者が集まるなんてな」


 行列を眺める望月から感嘆の声が漏れた。


「有村さんのおかげですよ。あちゃーおちゃーって、すごいんだから。私も見入っちゃいました」


 ハム子からも憧憬の目を向けられ、夜は尻がむず痒くなった。


「そういえばハム子ちゃん、また新しいビラを刷ったのかい?」


 彼女の抱えるビラに見覚えがなく、夜は訊ねた。


「昨日遅くまで残って一人で刷ったんですよお。夕方になって望月先輩から急に指示されて」


 ビラには大きな文字で、


”解読したら人類滅亡!? ビラミッドの暗号の謎に迫れ!”


 と書かれていた。


「これじゃオカルト研究会ですよお」


 ハム子の抗議はもっともだ。

 まわりに立てかけたのぼり旗も、


”四千年の謎に挑戦! 大ピラミッドの暗号を解読するのはキミだ!”


 ときた。


 これでも情報理論とサイバネティックスで名の知れた南条教授による最先端研究なのだが、と夜は内心嘆いた。


 するとなにかを察した望月がメガネをくいっと上げ、早口でこう反論してきた。


「ギザの三大ピラミッドが、なんらかの情報を暗号化した建造物であることは明白な事実だ。我々がその解読に世界で初めて成功するかもしれないんだぞ」


「南条先生が許可したんだから仕方ないよ」夜はハム子に同情した。「まあ望月先輩のオカルトを信じたわけじゃないと思うけど」


「それより有村、おまえいつまで狐のお面なんてかぶってるんだ」


「だってここの学生だとバレるじゃないですか」


「バレてもいいだろ」


「うちの『無泰むたい流』は世を忍ぶ流派なんです」


「カッコつけやがって。いいから外せよ」


 しかたなく夜は狐面を外した。


 するとさっきの演舞を見ていたのだろう、受付の列に並ぶ二人組の女子学生が、夜のことを見ながら肩を突きあい、なにか話しだした。


「あの人イケてるくない? って言っていますね、あれは」


 ハム子が勝手に分析した。


「あまりデタラメを言うなよ」


 と不服そうに望月。


「あのう……」


 不意に背後から女性の声がして、夜はふり向いた。


 車椅子に座った女性が、上目づかいで夜のことを見ていた。


 美しい女性だとひと目で思った。艶のあるストレートの黒髪。きりっとした切れ長の目、筋の通った鼻。負けん気の強そうな顔立ちだが、あどけなさも残る。歳は同じか、少し下だろう。


「そのビラ、一枚ください」


 自分に話しかけていると気づくのに時間がかかった。

 

 えーびらびらびら、とつぶやきながら夜はポケットをまさぐり、上着の内側まで確認し、靴の中まで調べようとしたき、女性からくすくすという笑い声が聞こえた。


「おもしろい人ですね」


 彼女だけでなく、車椅子を押す付き添いの女性からも笑われた。


「あ、ビラです、どうぞ」


 赤面しつつ、夜はハム子からビラをひったくると二人に渡した。


「ピラミッドの暗号なんて本当にあるんですか?」


 受けとった車椅子の女性が訊ねてきた。


「ありますとも!」


 ぐいっと夜を押しのけ、望月が前へ進み出てきた。「もし気になるのでしたら、お教えいたしましょうか」


「ぜひお願いします」


 車椅子の女性は笑顔を見せた。


 あちゃー。

 夜はハム子と顔を見合わせた。


 ここから長いぞ。


「アラブにはこんな古い言い伝えがあるんです。エジプトに現存する七つの巨大ピラミッドには、惑星に関するさまざまなデータが暗号化されており、それは人類の科学レベルの進歩に合わせて、順番に明かされていく設計である、と」


「惑星のデータ? そんなものどうやってピラミッドに暗号化するんですか?」


「たとえばギザの大ピラミッドですが、四つの底辺の和を高さの二倍で割るとπになります。つまり大ピラミッドの高さを半径とする円周と、大ピラミッドの底辺を一辺とする正方形の周の長さが等しくなるんです。これは『円を四角形に移す原理』として知られています」


 車椅子の女性は目をぱちくりさせた。


 むりもない。夜も初めて聞かされたときは同じ反応だった。


「望月先輩、いきなりそんな話をしたら困惑されますよお」


 せっかく来た客を逃しそうだ。ハム子も同じことを思ったのか焦りだす。


「やっぱり難しいか? でも他に説明しようがないんだよなあ」


「あ、大丈夫です。ぜひ続きを聞かせてください」


 自分から質問した手前、車椅子の女性からもういいとは言いにくい。きっと後悔しているだろうな。夜は同情した。


「数学の話になってもうしわけない。でも知的生命体にとっての共通言語は数学なんですよ。NASAも異星人とのコミュニケーションは、数学になると言っています。ところでπが発見されたのは、いつだか知っていますか? 大ピラミッドが建設されるよりもずっとあとです。なんでピラミッドには、古代人が知るよしもない情報が隠されているんでしょうか?」


 まるでテレビのオカルト番組の煽りだ。車椅子の女性は助けを求めるように、うしろの付き添いの女性と目を合わせた。だがわかるはずもない。


「じつはアラブの伝承には続きがあります。『ピラミッドの謎は決して最後まで解いてはならない。もし最後まで解くと、人類は滅びる――』と」


 慣れたもので望月は、声を一段と低くした。


 車椅子の女性も、引き込まれるように彼の目を見つめた。

 

 夏の夜の怪談でオチを話すときのように、望月はたっぷりと溜めまで作り、言った。


「つまりピラミッドは、人類の科学レベルが一定に達すると発動する罠であり、一種の時限爆弾なんですよ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る