ヘドロ王の夜

ヨロシク仮面

第1話 狐面の男

 自分の身長よりも長い木の棒を回転させ、狐の面をかぶった男は踊るように構えをとった。


 中国拳法の流れをくむ棒術だ。


 高い身体能力だからこそできる芸当なのは一目瞭然だった。


 ちょうど木の棒は物干し竿くらいのサイズなのだが、狐面の男は軽々しく片手で掲げて頭上で回したり、強靭な体幹で流れるようにを決めたりした。


 棒が高く打ち上げられた。

 回転しながら空に放物線を描く。


 観客たちもいっせいに上を向いた。


 その下で助走をはじめたのは狐面の男だ。

 やや大きめな拳法着をはためかせ、側転からの連続バク転を成功させがら落下地点へ向かった。

 

 アクロバットな動きに観客たちのスリルは最高潮に達する。


 みごとにキャッチは成功した。


 いっそう大きな拍手と歓声が、観衆からあがった。


 そんなギャラリーに向かい、狐面の男はひかえめなお辞儀で応えた。


 昼休みのキャンパスは、大勢の学生たちが行き交っていた。ただでさえ人通りの多い本館前の広場だから、すでにちょっとしたコンサートくらいの見物客が集まっていた。


 しかし天邪鬼というのはどこにでもいるもので、指をさし冷笑を浮かべる学生たちもいた。


「棒で遊ぶのが武術か? 新体操のまちがいだろ」


 最前列で見学していた男子学生のグループだった。だらしなくズボンを下げた金髪の男が、発言主だった。


「レオタードを着ろよ、案外似合うかも」


 などと茶化し、金髪の男は仲間の笑いを誘った。


 その声は狐面の男の耳にも届いていた。彼は発言した男のほうを向くと、こう話しかけた。


「そこのあなた、こっちへ来て手伝ってくれませんか」


「おれ?」


 驚いた金髪の男が、今度は自分を指さした。


「そう、あなたです。次が最後の演目なんですが、あなたのような屈強そうな男性の協力が必要なんです。ご協力をお願いできますか?」


 仲間たちから背中を小突かれ、金髪の男は頭をぼりぼりかきながら、のそのそと前へ進み出てきた。


 ありがとうございます、と狐面の男は礼を述べた。

 それから次の言葉は、観客にも聞こえるように声を張った。


「これからぼくと、ちょっとした勝負をしてほしいんです」


 勝負ぅ? 金髪の男は露骨にめんどくさそうな顔をした。


「もちろん棒術の試合をするわけではありません。この棒で引っ張りあいをするだけです。綱引きの要領で」


 狐面の男は棒を差し出した。ところどころ傷ついてはいるが、ただの木の棒だ。


「しかし、ただ引っ張りあいをするだけじゃつまらない。ぼくは右手一本しか使いません。もしあなたが勝てば、賞金として一万円をさしあげましょう」


 ずいぶん挑発的なルールだ。ギャラリーからどよめきに近い歓声が起きた。


 金髪の男は少しむっとした。バカにされたと感じたのだろう。


 それもそのはずだった。狐面の男がしなやかなチーターだとしたら、XLサイズの服も窮屈そうに着る彼はまさしくゴリラである。単純な力比べほど体重差がものをいう。たとえ両手でも狐面の男に勝ち目はないと思えた。


「本当に勝ったら一万円くれるんだろうな?」


「もちろん、さしあげます」


 狐面の男は即答した。


 ここまで言われたら逃げるわけにはいかない。金髪の男は両手でがっしりと棒をにぎった。


 自分が負けるなどありえない。彼は勝利を疑わなかった。たとえ相手が拳法着の下に鍛え抜かれた筋肉を隠し持っていようと、片手のハンディキャップはあまりにも大きい。


 しかし、だからこそ彼は不気味がった。


 狐面の男は、左手を背中側にまわした。


(本当に右手一本で勝負するのか)


 ギャラリーから静かなどよめきが起きた。


「一歩でも足が前へ出たら負けです。地面に倒れても、棒を放しても負けです。あの時計の秒針が真上、十二時のところを指したら勝負開始の合図としましょう」


 広場の時計塔を見やり、狐面の男は言った。


 あと十五秒ほどでゲーム開始だというのに、狐面の男は余裕たっぷりに直立していた。


 バカにしやがって――。

 金髪の男は闘志を燃やした。


 彼は足を肩幅まで開き、腰を少し落とした。ふうっと大きく息を吐き、両手の汗をズボンでぬぐう。インチキでもないかぎり、負けるはずはない。見ていろ、大勢の前で恥をかかしてやる。


「ひとつ言い忘れていました」


 狐面の男が、金髪の男にだけ聞こえる小声で話した。


「この棒は引くだけじゃなく、押したってかまいませんよ。ルール違反ではありませんから、あしからず」


 なんでそんなに余裕なんだ。金髪の男はイラついた。


 時計の秒針が十時のところに達した。あと十秒。


 九……八……七……。


 頭の中で数えていると、また狐面の男から話しかけられた。


「強く引っ張りたければ、もう少し腹の中央、へその前あたりに棒を置いたほうがいいですよ。丹田たんでんといって、気が集中する場所です」


 落ち着き払った声だった。若いのはまちがいない。だがいっぽうで堂々たる立ち姿からは、まるで武術を極めた老師範といった風格すらも漂っていた。


 いったい何者なんだ――。


 金髪の男は、棒を自分のへその前に持っていった。

 もし勝負に勝ったら、あの狐面をはぎとって素顔を見てやる。そう心に決めた。


 秒針が頂点に達した。


 彼は棒を引っ張ろうとした。

 だがそれよりも一瞬早く、棒が動いた。


 へそのあたりに衝撃を感じた。棒の先端があたったのだ。


(やろう、本当に棒を押してきやがった)


 しかし、まったく意味のない行動だ。

 金髪の男は頭にきた。

 狐面の向こうで、相手が笑ったように感じたからだ。


(バカにしやがって――!)


 腰を落として踏ん張った。

 見ていろよ、ほえ面をかかせてやる。

 

 両腕に力をこめようとした。

 

 だが思うように力が入らなかった。

 まるでエンジンを空ぶかしたバイクのように、体がぶるぶると震えただけだった。


「どうかしましたか?」


 狐面の男が言った。


 なぜ腕に力が入らない。金髪の男は焦った。棒をにぎることはできるのだが、なぜか


「どうなっている」

 

 自分の両腕を見つめながら、彼は思わず口にした。自分の腕が自分のものではなくなったようだった。


「そちらが動かないのなら、こっちから仕掛けさせてもらいますよ」


 狐面の男が、棒を片手で引っ張った。


 決着はあっさりとついた。

 金髪の男の体が、前から地面に倒れ込んだ。


 わっとギャラリーが沸いた。


「本当に片腕で勝った!」

「すげえ!」

「どうやったんだよ」


 今日一番の拍手と歓声が起きた。


 狐面の男はうやうやしく観衆に向かいお辞儀をした。

 さらに膨れあがる喝采。


 それがわずかに地面を振動させるほどだと、全身を接地している金髪の男だけが知る事実だった。彼は倒れたあと、時代劇の斬られ役のように息を殺していた。穴があったら入りたい。しかし下はコンクリートだった。


「起き上がれますか?」


 狐面の男から手を差し伸べられた。苦々しい思いはあったが、ここで拒否したら恥の上塗りになる。彼はその手を握り返した。


 まだ腕の引っ張る力は喪失したままだったが、それを知っているかのように狐面の男は、わざわざ両手で持ち上げるようにして立たせてくれた。


「数分もしたら腕は元に戻ります」


 そう耳打ちされた。

 やはりこいつの仕業なのか。しかしどうやって腕を麻痺させた。

 

 苦虫をかみつぶしたような顔でいると、狐面の男が別れぎわに言った。


「古くから伝わる人体の”気”を操る技です。ご心配なく、体への悪影響はありません」

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