第49話 トンネルを出ると

 赤坂一丁目を越えて環二通りに入る。


 次々と流れるヘッドライトと街のネオンが、まるでステージ上の演出のように二機のEXOギアをライトアップした。

 

 サラシナが乃雨のふところに飛び込んだ。ワンテンポ遅れて、乃雨はガードしようとした。だがまにあわずボディブローをまともに受ける。まったく反応がついていけていなかった。土俵際で小兵力士に翻弄される巨漢力士のようだった。


 狭くて揺れる荷台の上で立っているのがやっとという乃雨に対し、サラシナは踊るように回転蹴りやハイキックまでくりだし躍動的だった。


 乃雨は打撃を受けるたびに苦しそうにあえいだ。脳の信号を解析し、EXOギアを動かすBMIだったが、逆プロセスで脳を電気的に刺激し、触感やそれに不随する痛みまで搭乗者に与える機能もある。おかげで機体に過負荷を与える動きが抑制されるのだが、同時に搭乗者は苦痛や恐怖感といったものからも逃げられない。そう乃雨が語っていたのを夜は思い出した。


「もうすぐトンネルだ」


 最後の交差点をすぎたところで、夜は乃雨を励ました。


「それどころじゃないわ」


 乃雨は息もあがっていた。荷台の端まで追いつめられ、立ったまま丸くなって守りを固めるしかなかった。


「そろそろ決着をつけよっかな」


 サラシナが助走距離でもとるように乃雨から少し離れた。


「ま、私ほどEXOギアをうまく扱える人間はいないから。負けても気にしないで」


「ムカつくやつ。絶対にぶっ飛ばしてやる」


「そのどんくさい動きじゃ蚊だって殺せませんけどお? おばさん」


「誰がおばさんよ!」


「BMIは若い脳ほど適性が高いのよ。あんたの動きは老人みたい。猫を膝にのせて縁側に座るおばあちゃん。執念を感じないわ。EXOギアを動かすのは、誰よりも自分は優れているっていう傲慢なまでの強い意思よ」


「性格が悪いだけじゃない。あんたみたいな人間にはなりたくないわ」


「それじゃ一生私には勝てないわね」


 サラシナは腰を沈めた。「これで最後よ。道路を惨めに転がりなさい」


「そうなるのは、あんたのほうよ」


 乃雨も身構えた。


「いまだ乃雨!」


 サラシナが駆け出すのと同時だった。


 さっと乃雨は腹ばいになり身を伏せた。なにごとかとサラシナは一瞬固まった。直後、なにかを察してうしろを向いた。コンクリートの壁が高速で迫っていた。


 うまくいった。そう夜も確信した。だがそれはサラシナの能力を見くびっていた。トンネルに入る直前、彼女は上半身を九十度うしろに倒し、コンクリートの直撃をかわしたのだった。胸と腹がトンネルの天井にこすれ、甲高い金属音とともに激しく火花が散った。


 信じられない体勢でサラシナは粘った。まるで落ちてくる空を必死に支えているようだった。


 夜は彼女を荷台から落とそうと、何度か車線変更して揺さぶった。だがサラシナは無理な体勢のままで耐えた。


「乃雨、なんとか落としてくれ」


「いまやるわ」


 這いつくばった乃雨が、じりじりとサラシナに近づいた。


「さっきはよくも言ってくれたわね。謝るならいまのうちよ」


「誰が……謝るもんか!」


 サラシナは強がった。


 夕風の背中のブースターを乃雨がつかみ、うしろへ引っ張った。すると夕風は天井に上半身をこすりつけながら、猛スピードでうしろへ吹き飛んでいった。まるで赤い彗星のように火花で尾を引きながら地面に落ち、あとは壊れたオモチャのように道路を転がった。


 それをサイドミラーで確認した夜は、ホッとして背もたれに体重を預けた。となりでマギも小さく息をついた。


「乃雨、大丈夫か?」


 夜は呼びかけた。すると疲労困ぱいといった乃雨のかすれた声が返ってきた。


「お腹が減ったわ。いまなら濃厚こってりラーメンを、ごはんつきで二杯いけそう」


「これから食べに行くか」


「バカを言わないで。じきに警察の大部隊が島に乗り込んでくる。あんたは南条から、さっさと『SAKURA』を――」


「うしろを見ろ!」


 いきなりマギが叫んだ。


 サイドミラーを覗いて、夜は絶句した。ブースターを噴射しながら、夕風が高速で飛んでくるではないか。


「乃雨、うしろだ!」


 夜は悲鳴をあげかけた。なんであんなにも元気なんだ。


「急いで、追いつかれる」


 乃雨も声をうわずらせた。


 うしろから夕風のタックルを受けた。大きな衝撃でハンドルをとられそうになる。さらに荷台をつかまれ、車体が揺さぶられた。


「このままじゃ車が横転する」


 わかりきったことを乃雨が口にした。


「もうすぐトンネルを抜ける。それまでの我慢だ」


 アクセルはすでに限界まで踏んでいたが、サラシナにつかまれているせいでまったく速度が上がらない。出口の光は見えているのに、うしろへ引きずり込まれているような錯覚に陥った。


 トンネルを出ると、それまでの抵抗がふっと消えた。夕風が上空に飛び上がったのだ。


 摩擦で焦げた胸に手をやり、彼女は言った。


「許さない。この胸の痛み、何倍にもして返してやる!」


 ナイフをとり出すと、起き上がった乃雨に向かい急降下した。


「どうすればいいの、夜」


「いま考えている、ちょっと待ってくれ」


 道も狭くなり、一本道が続いた。この先は築地だ。どうすればいいのか夜もわからなかった。


 サラシナは乃雨のヴァルナを、すれちがいざまにナイフで切りつけた。その勢いを殺さずにふたたび上空へ戻ると、こう言った。


「切り刻んでやるわ。痛みで操縦者が発狂するまでね。そのあとコックピットから引きずり出してやる」


 サラシナはまた乃雨めがけて急降下した。


 切りつけられるたびに乃雨の悲鳴がイヤホンから聞こえた。まるで本当に切られているようにリアルな反応だった。なんとかしてやりたかったが、トラックの機動性ではどうにもならなかった。


「車を止めろ」


 マギが言った。


「なんでだよ」


「私があいつをなんとかする」


「正気か? 生身でどうになる相手じゃないぞ」


「やってみないとわからない。どんなものも共振するのだから」


「むちゃだ、死ぬぞ」


「だったらどうする。このままでは乃雨が危険だ。我々も拘束されるだろう。ヘドロ島も壊滅する。ここですべてを終わりにしてもいいのか」


 そんなことわかっている。もっと自分に力があれば。夜は叫びたくなった。


 次の交差点を知らせる標識が現れた。まっすぐで築地だったが、右折すると築地大橋で、さらに進むと有明だった。去年、東京ビッグサイトで開催されたオートバイのモーターショーに行ったとき、バイクで走ったことのある道だ。


 そのとき閃いた。夜はマイクに向かって言った。


「乃雨、あの紅いEXOギアを拘束できないか」


「なにか作戦でもあるの?」


「ああ」


 その内容を口頭で伝えた。あいかわらずぶっつけ本番でやることではなかった。しかし他に打開できそうな方法はない。


 乃雨もしのごの言わず、覚悟を決めたようだった。


「マギ、そっちの準備はいいか?」


 夜の問いに「私は観測者だ、気にするな」と彼女は答える。


「なに言っていやがる。全員で生きてヘドロ島に帰るぞ」


 夜はハンドルを右に切った。そっちは晴海方面だった。

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