第43話 ふたたび東京へ

 翌日の朝、待ち合わせ場所の『かざま法律事務所』まで行くと、ビルの前で知らない金髪の女二人といちゃつきながら、迎えの車を待っている南条がいた。きっと昨晩は楽しんだのだろう。


 漁港へは風間が自分の車で送るといい、夜は邪魔だと追い払われた。


 後部座席に乗り込んだ南条はシャンパンをあけ、女たちの肩を抱き寄せるとキスした。


 すかさず理性を狂わせるような爆音のヒップホップを、風間が流した。


 まだ朝食もとっていない夜には、胸焼けしそうな光景だった。

 さっさと帰って二度寝しよう。夜は帰路についた。


 クリニックの前に一台の白いバンが停まっていた。その近くに本田医師と乃雨もいたので、立ち寄ってみた。


 本田医師はいつもの白衣ではなく、東南アジア風のエスニックな柄のワンピースを着て、その上からカーディガンを羽織っていた。


「あら、おはよう」


 夜に気づいた本田医師が微笑みかけてきた。


「今日はクリニックは休みですか」


「ええ。これから物資の調達」


「物資の調達?」


「家から出るとき話したじゃない」乃雨が割り込んできた。「クリニックでは月に二回、東京の薬局で医薬品を調達するって。薬の中には島まで発送してもらえないものもあるから、妙子先生が直接行って受けとりに行くのよ。今日は私もついていくって話したでしょう」


「そんなこと話してたっけ?」


「話したわ。どうせ寝ぼけて聞いてなかったんでしょう」


「そうかも」


 夜は鼻頭をぽりぽりとかいた。


 それを見て本田医師が笑った。


「あなたたち仲良くなったのね」


「ちょっと妙子先生、誤解してませんか」


 ぬっと車椅子から身を乗り出して乃雨は抗議した。

 しかしその弾みで、かぶっていた麦わら帽子が地面に落ちてしまう。


 結局乃雨は哀れっぽい目で夜のことを見上げるのだった。


 今日の彼女は、青い大きなリボンのついた白地のブラウスに青色のスカートという爽やかな秋らしいコーデだった。


 麦わら帽子を拾ってやると、「ありがとう」と彼女は唇を尖らせながらだったが、礼を述べた。


「ありゃ、遠征のメンバーが増えたのか?」


 バンの陰からタウチーが現れた。彼もタクティカルベストは着ておらず、グレイの長袖シャツにジーンズというラフな服装だった。どこにでもいる年相応の若者にしか見えなかったが、トレードマークの赤いバンダナだけはしっかりと巻いていた。


「いや、おれは通りかかっただけだが」


「あんたも手伝いなさいよ。たしか今日は休みでしょう」


 乃雨、おまえは週休一日の人間の休日をなんだと思っている。


「男手はいくらあってもうれしいわ」


 本田医師も包囲網に加わる。夜は逃げ場を失った。


 バンに乃雨が乗り込んだ。慣れたもので車椅子から上半身の力だけで座席に移った。


 夜は空いた車椅子を折りたたみ、それをバンの広々とした荷室に収納した。


「おまえも来るんだろ」


 すぐ近くの歩道の縁石に座るマギに話しかけた。


 この時間のマギは、スマホで株式市場のチェックだ。

 また損がふくらんだのか、少し不機嫌そうな顔で彼女もバンに乗り込んだ。


 夜も後部座席に乗った。

 助手席にタウチーが座る。運転席に乗り込んだのは本田医師だった。


「先生が運転するんですか?」


 驚いて夜は言った。


「東南アジアで働いてたころは大型トラックも運転してたのよ。これくらいはなんでもないわ」


 本田医師はエンジンをかけ、バンを発進させた。


 ヘドロ島を出入りするには、神楽の北にある桟橋を使わなければならない。そこが島と外界をつなぐ唯一の道だった。


 ヘドロ島はその桟橋で、大田区の新海面処分場と接続されている。


「そういえば警察が検問しているっていう話はどうなったんですか?」


 夜は本田医師に訊ねた。


「そんなの強行突破してやるわよ」


「先生、冗談でもやめてください」


 タウチーが慌てた。


「若いのにまじめねえ。そんなんじゃストレスで早死にするわよ」


「いまはちょっとしたことが全面戦争のきっかけになりかねません」


「だからウパニシャッドは、あなたたちを監視係で送り込んできたわけね」


「僕らは護衛係です」


「乃雨ちゃんも?」


「妙子先生、私だって立派な戦闘員なんですからね」


 乃雨は頬をふくらませた。


 ゲートに着いた。


 窓を開けて本田医師は「ごくろうさま」と近づいてきたヘドロ島側の警備担当者に声をかけた。さすが街でたった一人の医者だ。顔パスでゲートはすぐに開いた。


 そこから先はインターチェンジのように曲がりくねった下り坂となっており、島の地下へと続いていた。


「ここを渡ったら東京よ」


 島の地下部分から地上へ向けて桟橋がかかっていた。外から見るとヘドロ島は巨大な黒い壁だったが、その中間くらいの高さから、ぺろっと舌でも出すようにして桟橋は地上まで伸びていた。


 地上でさっそく警視庁の検問が待っていた。


 すかさず警察官が二名、駆け寄ってきた。彼らは窓を開けた本田医師に運転免許証の提示を求めた。それを持って警察官の一人が照会のために立ち去った。


 もう一人の警察官が、本田医師に「どちらへ?」と質問してきた。「クリニックで使う医薬品や器具の買いつけに。私は医者です」と彼女はにこやかに返した。


「では荷室を開けてください」


 すでに二人の男女の警察官が、バンのうしろで待機していた。

 

 窓際に座る乃雨は、手のひらで隠した小さなメモ用紙にペンを走らせていた。あたりの情報を記録しているのだろう。パトカー三台と護送車一台、警察官は見える範囲で五人まで確認できた。


 照会から戻ってきた警察官が、運転免許証を本田医師に返した。「お手数をかけました」と言って、仲間の警察官といっしょにバリケードを路肩にどかした。

 

「あっさり通すんですね」


 夜は思ったことを述べた。


「そりゃそうよ、やましいことなんてないもの」


 本田医師は言ってバンを発進させた。


 北へ進んで第二航路海底トンネルを抜け、お台場をさらに北上した。

 それからフジテレビ本社ビル前で右折し、レインボーブリッジに入る。


 首都高速を走っていたときだった。


「尾行されてるな」


 タウチーが言った。


 夜も気づいていた。

 二台うしろの白い乗用車が、一定の距離をとりながらずっとあとをつけていた。


「予想どおりね」


 本田医師は肩をすくめた。

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