第41話 南条の策略

 夜は南条と『かざま法律事務所』を出た。


「冷えるな」


 肩をすぼめ、南条は上着のポケットに両手を突っ込んだ。


 神楽の街はすでに寝静まり、人通りもほとんどなかった。

 

 一ブロック向こうに、青のネオンでカクテルグラスをかたどった看板が見えた。神楽で最も古いバー『オネスティ』だ。


「あそこで一杯どうだい?」


 南条は冗談めかして言った。


 やめたほうがいいと夜。

 あの店は荒れくれ者のたまり場で、一度だけ九条に誘われて行ったことがあるが、政府をクソと罵り、次に警察が来たらぶち殺してやると息巻く酔っぱらいしかいなかった。


 もし先生が政府のスパイだとバレたら、なにをされるかわかりませんよ。そう忠告するのだが、南条は強がるように鼻で笑い飛ばした。


「それよりも宿で休みましょう」


「いいや。明日の朝帰るまでに情報収集しておきたい」


「先生は三億円が欲しくないんですか?」


「欲しいさ。けど国の研究予算も欲しい」


「どっちも手に入れる気ですか!」


 ヘドロ島から金だけ受けとって裏切るということか。南条はしーっと唇に人差し指をあてた。


「ところで有村君、そこの女性はきみのカノジョかな。それとも私にだけ見える亡霊かな。東京からずっと無言でついてきているが」


 ここにきて南条が初めてマギについて言及した。


 マギはカーキ色のセーターとデニムのスカートという晴子の服をすっかり着こなしていた。まるで中世の魔女が現代に呼び出され、文明社会になじんだみたいだった。


「そいつは『観測者』なので気にしないでください」


「よくわからんが無害ならそうしよう。じゃあ有村君、案内してくれ」


 こんな時間にどこへ連れて行けというんだ。

 思いついたのが、街に一つしかないクリニックだった。あそこなら夜遅くでも誰かがいる。


 月明りと街灯を頼りにして歩いた。神楽は昼間でも車の交通量はそこまで多くないが、夜間になるとほとんどなく、街は静かなものだった。


 ちょうどクリニックの前で、白衣を着た本田医師が患者の見送りをしていた。こちらに気づいて彼女は「あら、有村君とマギさん」と笑顔で話しかけてきた。


「まだお仕事中ですか?」


「ええ。でも患者さんは、これで最後だと思うわ」


 と言って本田医師は、南条のことを見た。


 彼女に南条のことを紹介した。


「ど、どうも南条といいます」


 南条は頭を下げた。


「ようこそヘドロ島へ」本田医師も軽くお辞儀した。「コンビニもない島だけれど、自然と人情だけは豊かなところよ」


「そうですね。本当にいい島だ」


 うすっぺらな南条の返しだったが、本田医師は笑みを浮かべた。「温かい飲み物でも出しましょうか? 夜間は冷えるでしょう」


「助かります。他に行くところもなかったので」


 夜は言った。


「どうぞこちらへ」


 歩きだした本田医師のあとを追った。クリニックは二階建てで、本田医師は二階に住んでいた。たった一人で神楽の医療を支えるスーパーウーマンだと乃雨は評していた。


「今日はどうしたのかしら」


 クリニックの玄関の前で、本田医師は首をひねった。


「どうかしましたか?」


「やけに今日はお客さんが多いなと思って」


「他にも誰かいるんですか?」


「ええ。風邪も引かなさそうなのが、ぞろぞろと」


 クリニックは入ってすぐが待合室だ。本田医師の言ったとおり、先客がいた。うしろ姿だったが、ソファに両腕を広げながら座り、三人分のスペースを独占する男は誰かすぐにわかった。


「ウパニシャッド。お客さんだけど、いい?」


 本田医師の問いかけに、ウパニシャッドはふり返らずに答えた。「おれたちのことは気にしないでくれ」


 さらに奥のトイレから九条も出てきた。「お、有村君か、奇遇だな」とベルトを締めながら言う。


「じゃあ適当にくつろいでいて」


 本田医師は診察室のとなりの部屋に消えていった。


 これが奇遇でないことくらい、すぐにわかった。しかし九条は、しらじらしくスマホを見ながら、立っている南条の近くのソファに座った。


「あら、有村君じゃない」


 次に現れたのは乃雨だった。診察室から車椅子で出てきて、「びっくりしたあ。こんな時間にどうしたの?」とよそいきの声で言う。


 夜は乃雨のもとまで歩き、耳打ちした。


「なんのマネだよ」


「いいから合わせて」


 乃雨は笑顔を作り「有村君、そちらの方は?」とまた茶番をはじめた。


「大学の教員です」南条が自分で答えた。「有村君は私の教え子でして」


「大学の先生ですか。よろしければお話しませんか」


 九条が南条を自分のとなりのソファに誘った。怪しい三人組にしか見えなかったが、南条は情報欲しさに無警戒に飛び込んでいった。


「みなさんは島の住人ですか?」


 ソファに座ると、さっそく南条がはじめた。


「はい。有村君とは仲良くさせてもらっています」


 答えたのは乃雨だった。


「最近学校に来ないと思ったら、こんな美人とよろしくやっていたのか。有村君もすみに置けないな」


 という南条の軽口にも「やだあ、お上手なんですから」と乃雨は合わせた。この演技力は、彼女と初めて出会ったキャンパスでも見たものだ。


「先生は島にご用があって来られたんですか?」


「ええ、ちょっとした交渉があって」


「もしかして風間さんが話していたプログラムの開発者様ですか?」


「あ、ああ。僕の『SAKURA』が、平和の役に立てるらしいね」


「まあすごい。ご本人様と会えるだなんて」


 乃雨は口元を手で覆った。


「よかったな乃雨ちゃん。これで僕らは助かる」


 おおげさなのは九条もで、乃雨と両手をつないで喜びだした。


「こいつは信用できるのか」


 地鳴りのような低い声が部屋に響いた。ウパニシャッドだ。


「そんな言い方はないだろ」九条は丸メガネの奥で、目をしばたかせた。「この先生は私たちを助けてくれるんだぞ」


「おれたちみたいなゴロツキに協力すると思うのか」


「私たちはゴロツキじゃない。先生もそう思いますよね?」


 九条からふられ、南条は少し戸惑いつつ「そうですね」と応じた。


「つい最近も、政府のスパイが島に侵入したらしいじゃないか。こいつがスパイでない証拠はない」


「私は信じる」


「もしこれが罠だったらどうする」


「ヘドロ島は終わるかもしれない」


「だったらスパイでないことをこいつに証明させろ」


「ムチャを言うんじゃない」


 言い争うなか、本田医師が戻ってきた。ハサミや聴診器など医療器具の載ったワゴンに、人数分のマグカップをのせていた。


「どうぞ先生。うちは砂糖とミルクたっぷりが売りなんです。よろしかったかしら?」


「は、はい。いただきます」


 南条はマグカップをとった。ほんの一口すすり、「おいしいです」と義務的に言った。


 夜も一つとってみた。ブラックしか飲まない夜には、この白っぽい飲みものがコーヒーとは思えなかった。少しだけ飲んでみたが、数分は舌に残りそうなくらい濃厚な味だった。


「神楽には戦闘員がわずかしかいない。しかも彼らは傭兵だし、まったく信用ならない」


 九条が言った。


「いざとなったら自分たちだけで逃げるわ、きっと」


 乃雨も両手でマグカップを持ち、湯気を見つめながら言った。「次また警察が押し寄せて来たら、もう耐えられないと思う」


「くそっ。代表だってしばらく前から消息不明なんだろ? リーダーもいないのに、どうやって街を守るんだ」


 九条はかぶりをふる。いちいち演技がかかっていた。この茶番はなんなのか、夜は意図をはかりかねた。


「あんたなら、このピンチを救えるんだろ」


 またウパニシャッドが南条に突っかかった。


「いや、その……僕はそもそも風間さんたちが『SAKURA』を、なにに使うのかも知らないし」


「政府からは聞いていないのか」


「まったく聞いていない」


 すぐに南条はしまったという顔をした。笑ってごまかす。「知らないに決まっているじゃないか。なんで僕が政府とそんな話をするんだい」


 コーヒーを飲もうとした南条だったが、味に驚いたのか少しむせた。よけいにまわりから注目されてしまい、空笑いしながらさっきと同じことを口にした。


「いったい『SAKURA』を使ってなにをやるんだろう。開発者としては興味がある」


「ヘドロ島を姿に戻すのだ」


 ウパニシャッドの言葉に、南条は首をかしげた。「なんだって?」


「木を隠すには森の中がいい。森がないなら作ればいい。イギリスの有名な推理小説の一節だ」


「それはどういう意味かな?」


「おまえはくそったれのマヌケという意味だ」


 すると南条は、笑顔を凍りつかせながら夜や他の人間を見た。しかし誰も目を合わせようとしなかった。ハハハ、と笑い声を絞りだすと、やり場のなくなった目線を自分のマグカップに落とした。


 今度こそ南条の笑みが引っ込んだ。水面に波紋が、次々と浮かんでいた。


 静まり返った室内にキン、キンという硬質な音が響いた。


 マギが手に持った自分のマグカップを爪で叩いていた。


「いったいなんの話をしてるの?」


 本田医師が言った。


「もしも政府のスパイが入り込んでいたら、どんな工作をするのが効果的かって話していたんです」


 九条が言った。


「そんなの決まっているじゃない。街に一つしかないこの病院を破壊するのよ」


「ずいぶん大胆ですね」


「二十年くらい前にミャンマーでNGOのお手伝いをしていたことがあるの。バングラディッシュとの国境に近い少数民族の村で医療支援にあたっていたんだけど、あるとき一つしかない病院を放火されて、一晩でコミュニティーが崩壊したわ。火を放ったのは軍に雇われたゴロツキだった。軍事政権は国境の外に少数民族を追い出したがっていたのよ。そのもくろみどおり、大勢がバングラディッシュに逃げ出して、村はすごい速さで廃れたわ」


「あまり敵には知られたくない情報ですね」


「大丈夫よ。ここは鉄筋コンクリートの建物だから」


 本田医師はコーヒーを飲み、「うん、おいしい」と自画自賛した。

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