第35話 クレイ商会
0時をすぎてから、桜花の運転するワンボックスカーで移動した。
神楽の東にある火力発電所を抜け、木々に囲まれた未舗装の悪路をさらに東へと走った。
クレイ商会との待ち合わせ場所は、神楽の郊外にある漁港だった。
マギもついてきた。ミーティングまでは我慢できても、島の外に出るとなれば絶対についていくと言って聞かなかった。
なぜ監視にこれほど固執するのかわからなかったが、尾行されるくらいなら隣に置いておくほうが精神衛生上はいい。
真っ暗な林道をヘッドライトの明かりだけで走った。
真夜中の森ほど不気味な空間はない。なのに獣の飛び出しを警戒してか、桜花は予告もなくクラクションを定期的に鳴らすから、それが野獣の咆哮に聞こえて毎回ドキッとした。
ずっと無言も気まずいので、夜は桜花との会話を試みた。
「乃雨はすごいですね。車椅子なのに自分で料理も作るし。この前なんてモップを車椅子にとりつけて、部屋の掃除もしてました」
「自然とそうするようになった。私から教えたことは一度もない」
無視されるかと思ったが、意外にもボールは返ってきた。
「立派ですよ」
「昔はちがった。自分の殻に閉じこもって、なにごとにも消極的だった」
「彼女の脚のことですが……」
「気になるか?」
「差し支えがなければでかまいません」
「遺伝性の難病だ。脚の筋力が徐々に衰える。五歳で発症して、小学校に入るころには、ほとんど自力歩行ができなくなった」
「そんなに小さなころから――」
「それでも小学校には杖をついて通った。だが哀れみを受けたり、同情されることを嫌う性格だ。周囲に壁を作るから、友達もできなかった」
また桜花はクラクションを鳴らした。すん、と短いのを一回だけ。行き場のない感情がこもっているようだった。
「あの子は、きっと自分のことを嫌っている。昔から無鉄砲で命知らずだった。いつ死んだっていいといわんばかりに。あの子がケンカで、相手にケガを負わせたことは一度や二度じゃない。よく噛みつくから、子供のころについたあだ名が”ドーベルマン”だ」
「わかる気がします。変に同情されるよりも、恐れられたほうが気が楽だろうし」
「その帰結がEXOギアだとしたら皮肉だ。大きな力は、敵を作るだけなのに」
「乃雨はヘドロ島を守りたいんだと思います」
「あの子はなにもわかっていない。いや、わかろうとしていない。自分がどれだけ他人に守られているのか。昨日だって、おまえがいなかったら――」
「でも乃雨がいたから、危機を乗り越えられました」
「おまえは乃雨のことを、どう思っているんだ」
「は?」
「恋愛感情を持っているのか、と訊いている」
「な、なんでそんなことを訊くんですか」
「言っておくが、妹に妙な気は起こすな。あの子は雷神チームに入るまで、家に閉じこもりがちだった。男にも慣れていない」
「おれがそんなふうに見えますか」
「警告はしたぞ。私はあの子を守るためなら、なんだってする」
横目で睨まれる。ちょっとの誤解でも、指の一本くらいは覚悟しろと言いたげだった。
やはり早く資金をためて引っ越そう。
「おれも質問していいですか?」
車内の空気を変えたくて、夜は話題を変えた。「『SAKURA』でなにをするのか、教えてください」
「おまえはアルバイトだ。知る必要はない」
「でも知っておいたほうが役に立てます」
「もといた世界に帰れなくなるぞ」
「この島に自分と姉の居場所を作るって決めたんです」
「ガキの遊びじゃない。戦争なんだぞ、これは」
「なんの覚悟もない男が、警察と戦って乃雨を救出したと思いますか」
反論されると思わなかったのか、桜花の口が真一文字に結ばれた。
「『SAKUARA』を必要とするのは、『原始の炎』の封印解除に使うからですね?」
「……乃雨め、口を滑らせたか」
「ちがいます。自分で推測しただけです」
「まあいい、もう隠すこともない」
「『SAKURA』は暗号解読に特化した計算ソフトです」
「知っている。それで『原始の炎』を解き放つ」
「でも三ツ矢が言ってました。『原始の炎』はプロメテウスの火だと」
「プロメテウスの火?」
「ギリシャ神話です。プロメテウスは天界から火を盗み、人類に与えました。おかげで人類は文明を持てましたが、同時に兵器も造り戦争をするようになったんです」
気になってスマホで調べた情報だ。
「私たちが火遊びする愚かなサルだと言いたいのか」
「逆です。九条さんはこう言ってました。自分たちは『原始の炎』を監視してると。誰にも悪用させないために」
「そんなことを言っていたのか」
「ちがうんですか?」
「私たちが『原始の炎』の力を一番必要としているからだ」
「それは平和のためですか?」
「あたりまえだ」
桜花が車を止めた。キャスターゲートが進路上に立ちはだかっていた。
車から降りた桜花が、自分でゲートを開けた。
港に着いたのだろう。
そこからは下り道が続き、地下施設に入った。
がらんとして広々とした空間だった。一部にしか照明がついていない。そこへ桜花は車を走らせた。
どうやら市場も兼ねた場所らしい。積み上げられた大量の空き箱や融けずに残った氷が、あちこちに放置されていた。ここでとれたての海産物のせりも行っているのだろう。
フォークリフトのそばに男が立っていた。
ワンボックスカーを停めて桜花は降りた。
夜もマギといっしょに車から降りた。
「約束のブツだ」
フォークリフトに積まれたダンボール箱を、男が親指で差した。
黒いキャップに黒いジャケット、黒い手袋に黒いズボン、黒いブーツと全身黒づくめで、左耳には黒いピアスまで見えた。
運送だけにクロネコ、と夜はくだらない冗談を思いついた。
「クロネコ、新しい依頼だ」
桜花が男に言うから、夜は驚いた。本当にクロネコなのか。
「帰るついでに、東京までこの二人を送ってほしい」
「いいだろう」
ダンボール箱をワンボックスカーに積み終わると、クロネコからついて来るように指示された。夜は従った。
クロネコが向かった先は、漁港の奥のゲートだった。
ゲートはいくつも並んでいたが、開いていたのは三番のゲートだけだった。外に光を漏らさないためか、照明を落としていて、その先には同じく暗くした漁船が見えた。
「島へ戻るにはどうすればいい」
夜は桜花に訊ねた。
「明日二十時に到着した漁港へ戻れ。クレイ商会が船を出してくれる」
と言ってから桜花は、クロネコに確認した。「明日の二十時だ。いけるか?」
彼は小さく頷き、こう言った。
「クレイ商会は裏切らない」
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