第33話 洗車係の夜

 トビーの経営する警備会社『D&Gセキュリティ』は、バーやナイトクラブなどでにぎわう歓楽街の一角に事務所をかまえていた。


 そこの駐車場に止まる一台のワンボックスカーを夜は洗っていた。


 手袋型のやわらかいスポンジで泡立て、腰を入れて細部まで丹念にこする。車好きのトビーから教わった洗い方だ。五台ある会社所有の自動車を、五日に一回の決められたペースでぴかぴかに磨くのが夜の仕事だった。


 いちおう傭兵会社なのに、それらしい仕事はまったく任されなかった。買い出しや留守番ならまだいいほうで、トビーの飼っているプードルの散歩なんて、もはや会社と関係すらなかった。


 いつまでアルバイトなのか不安はある。だが辛抱だ。あの豊臣秀吉だって、信長の草履を懐に入れて温めていた下積み時代があったのだから。夜は赤子の足でも洗うようにワイパーを優しくこすりながら、自分を鼓舞した。


 ワンボックスカーの近くの生垣にマギが座っていた。あいかわらずスマホをいじっていた。以前なにをやっているのか訊いたら、資産運用だと答えた。


「私は魔術師だからな」


 なぜか得意げだったので、夜は「どういう意味だ?」と訊ねた。


「知識を駆使し、指先一つで富を増殖させる。五千年前のバビロニアで興ったこの金融こそが、魔法や魔術と呼ばれるものの原型だ」


 どうせいつものウソだろう。そんなことよりもマギが意外と堅実なことに驚いた。


 夜はポケットからスマホをとり出した。待ち受け画面に映るのは、赤レンガのオシャレなアパートだった。事務所からも近く、そばには猫のいる公園もある。


 金を貯めたらここへ引っ越すつもりだった。そのためにもトビーやチームのみんなに認められないといけない。夜はスマホをポケットにしまい、洗車に戻った。


 南条の説得は大きな仕事だ。誰も傷つかないうえに、功績は自分のもの。かんぺきじゃないか。とっさの思いつきで提案したが、是が非でもやりたかった。


 洗浄を終えてタオルで乾拭きしていると、一台のベンツが事務所の前に止まった。降りてきたのはトビーだった。


「ごくろうさん、有村君」


 ハンドバッグを小脇に挟んだトビーが、声をかけてきた。いつものタクティカルベストではなく、ネクタイを締めていることから、どこかで商談でもしてきたのだろう。


「こいつも駐車場になおしてくれ。あと洗車も頼む」


 トビーが車のキーを投げてきた。


「了解ですボス」


 キーを受けとり、夜は言った。


 トビーは事務所に入ろうとしたが、「そうそう」と思いだしたように足を止めた。


「昼食のあとでミーティングがあるから、いつものコーヒーを頼む。八人ぶんな」


「一人ぶん多くありませんか?」


「きみも出席するんだ」


 さらっと言い、トビーは事務所に入った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る