第32話 朝は白米派
ヘドロ島で迎える朝にもすっかり慣れた。
スマホのアラームを切ると、夜はベッドから出て、まず窓を開けた。
神楽は東京よりも少し寒い。秋だというのに厚めの長袖が手放せなかった。
人工浮島であることが関係しているのだろうか。まさか気候風土までオーファンズが手を加えたわけではあるまい。
一階のリビングに下りると、乃雨がキッチンから「おはよう」と声をかけてきた。
夜も挨拶を返した。味噌汁のいいにおいがした。
「ちょうどよかったわ。サバとシャケ、どっち食べる?」
お椀に味噌汁を注ぎながら乃雨が訊ねてきた。
「シャケがいい」
「わかった。座って待ってて」
彼女は言うとグリルの中から箸でシャケの塩焼きをとり出し、それをレモンと大根おろしが添えられた小皿に盛った。
あいかわらず乃雨は、キッチンの中を泳ぐように車椅子で動きまわった。狭いスペースでもバックやターンを巧みに使うことで、ムダなく動く。これも一つの職人芸だ。見るだけで朝から元気をもらえた。
夜はリビングへ向かった。
すでにテーブルには先客がいた。モニターに親の仇でも映っているのかと思うほど恐い表情でスマホを見つめる桜花だった。
「おはようございます」
すると桜花はちらっと一瞥をくれただけで、またスマホに集中した。
夜は音を立てないように、彼女の斜め向かいに座った。
すでに桜花は着替えを済ませていた。栗色のブラウスにクリーム色のスカートというOLのような服装だ。
会社のオフィスでデスクワークもこなす桜花は、実際にOLでもあるのだが。
スマホから目を離さないまま、桜花はコーヒーカップにスプーンで砂糖を二杯入れ、ひとくち飲んだ。
その姿があまりにもサマになっていて、あんたは丸の内のシャレたカフェで出勤前を過ごすキャリアウーマンかよ、と心のツッコみを抑えられなかった。
「なにをじろじろと見ている」
スマホを見ていたはずの桜花から、心臓を射貫くような鋭い声が飛んできた。
思わず夜は本当に胸を押さえた。
「い、いえ、なんでもないです!」
眠気も一瞬で吹き飛ぶ。早く自分の家を探したい理由の一つだ。毎朝こんな緊張感は寿命に関わる。
乃雨が朝食を運んできた。トレイを夜の前に置くと「飲み物はお茶とコーヒー、どっちがいい?」というので、お茶だと夜は返した。
「待ってて」
彼女はまたキッチンへ戻っていった。
マギも起きてきた。
あくびをしながらリビングへ入ってきて、夜の隣の席に座った。
「あんたはトーストとホットコーヒーでしょう?」
乃雨がキッチンからマギに訊ねた。
「いつもすまない」
マギも自分のスマホを見だした。経済ニュースを見ながら、FRBの利下げがどうとかエネルギー価格がどうとか、ぶつぶつ言うのが彼女の朝の日課だ。
女二人が向き合って、難しい顔でスマホを見つめていた。
夜はできるだけ静かに食事をとった。
「お姉ちゃん、今日も遅いの?」
夜の茶とマギの朝食を持ってきた乃雨が、桜花に訊ねた。
「ああ。夕飯は外でとってくる」
「最近ずっと忙しそうだけど、またなにか作戦に関わってるの?」
「近く南条教授を拉致する」
その言葉で、夜は味噌汁を噴き出した。
「汚いわね!」
乃雨がテーブルを叩いた。
「南条教授を拉致するって本当ですか!?」
「本当だ」
スマホを見ながら平然と桜花は答えた。
「どうしてそんな乱暴なまねをするんです」
「『SAKURA』を手に入れるためだ」
「でも待ってください」
「おまえは意見する立場ではない」
桜花のくっきりとして凛々しい眉が、角度を三度ほど増した。しかし自分のスマホからは目を離さない。おまえなど眼中にはない、ということか。
「お姉ちゃんは実行部隊に参加するの?」
ふきんでテーブルを拭いていた乃雨が訊いた。
「メンバーには志願するつもりだ」
「脅したら、教授が『SAKURA』を渡すと思うんですか」
夜が言うと、初めて桜花は視線を向けてきた。
「なぜ渡さないと思う」
「教授は脅しに屈するような人間じゃありません」
「なら、腕をへし折ってわからせよう」
ウパニシャッドと同じことを言っている。いや、ウパニシャッドは指を折るんだったか。そんなことはどうでもいい。
夜は箸を置いた。
「おれに時間をください。教授を説得してきます」
「説得に応じるという根拠はあるのか」
「もしヘドロ島が戦場になったら、犠牲者が大勢出かねません。ちゃんと話せば、南条教授も無下にはしないはずです」
「信用はできん」
バッサリと斬り捨てられる。さらに桜花は追い討ちをかけてきた。
「おまえは教授に味方して、私たちを売る危険性がある」
「お姉ちゃん、夜には何度も助けられたわ」
乃雨が諌めた。
「こいつを信じるのか」
「信じる」
しばらく乃雨と桜花は我慢比べのように見つめ合った。しかしバカらしいとばかりにため息をつき、先に桜花が降りた。
「仕事へ行く。今日は午後からミーティングだ。遅れるなよ乃雨」
残りのコーヒーをいっきに飲み干すと、バッグをとって彼女は席から立った。
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