第30話 死神ふたたび

「何者だ」


 押し殺した声で、早雲が言った。


「内閣官房ってわかるか?」


 笑っただけでドラキュラじみた鋭い犬歯が見えた。夜はこの男に見覚えがあった。


「内閣総理大臣がトップを務めるニッポンの司令塔だ。おれはそこの内閣情報調査室ってところで働いてる。つまりおれのボスは総理大臣様ってわけだ。怪しいもんじゃねえ」


「総理大臣が、市民に銃を突きつけろと命じるのかね」


「冗談はよせや大将。まっとうな市民が、人工島を不法占拠するか?」


「それもそうだ」


「わかったら、おまえは両手を後頭部に置いて、うしろを向け」


 まちがいない。『三ツ矢調査官』と呼ばれていた内調の男だ。この死神じみた風貌は、一度見たら忘れない。


「おまえが政府のスパイか」


 すぐに察した宗一が言った。


「まあそんなところだ」


「ガリガリで弱そうだ」


「兄ちゃんこそ、いまどき弓なんてキマってんじゃねえか」


「おれの弓は、銃なんかに負けない」


「かっこいいねえ。だが兄ちゃん、人生の先輩からアドバイスだ。銃と法の知識は身を救う。よーく覚えておけ」


 おっと。おどけるように三ツ矢は両手を広げ、演技がかった口調となった。


「あー、これから行うことはだな、人事院に定められし倫理規定のっとった公平中立、公正明大な公務であることを約束する。異議申し立てがある場合は、国家公務員倫理審査会に申し立てること。以上! 文句のあるやつは国を訴えやがれ!」


 三ツ矢は意識をとり戻しかけていた早雲のお供の頭を、サッカーボールのように蹴り飛ばし、彼をふたたび昏倒させた。


 そして犬歯を剥きだしながらこう言う。


「おれは内閣情報調査室の特命調査官、三ツ矢光彦だ。逃げも隠れもしねえ」


「野蛮人め」


 本心から呆れたように早雲が言った。


「ところで頼みがある。そこの扉を開けてくれ」


「断る」


「ヘドロ島が沈んでもいいのか?」


「なんで島が沈むのよ」


 聞き捨てならないと乃雨が口をはさんだ。


「そりゃ決まってんだろ。この島っころが政府にとって不都合だからさ」


「そんなに住人が目障りなのかよ」


 夜が言った。


「そうじゃない。この島に眠る“あるもの”のせいさ」


「『原始の炎』か」


「ビンゴ! 話が早いねえ兄ちゃん」


「なにを企んでる」


「なにも」


「うそをつけ」


「そうカッカするなよ。おまえらじゃ手に負えんから、こっちで『原始の炎』を預かろうってんだ」


「ただの強奪じゃないか」


「あのな兄ちゃん、おれは腐っても国家公務員だ。一年目からゴールドカードの審査が通るんだぜ? 信用しろって。さあ『原始の炎』をよこせ。あれが暴走でもしたら、この世界が終わっちまうんだぞ」


「世界が終わるって、どういう意味だよ」


「言ったとおりだ。ヘドロ王物語は知ってるか? 兄ちゃんのような、いい子が読む本だ。ヘドロ王はヘドロ島で『原始の炎』を探す。そいつを手に入れたら、この世界の王になれるって、悪い魔女にそそのかされてな。ヘドロ王は女に騙される大バカ野郎だ。それが『プロメテウスの火』とも知らずに」


「あんたは『原始の炎』を見たことがあるのか?」


「いいや、見たことはない。だが正体は知ってる。ついでにヘドロ王物語を書いた人間だって、おおよその見当はついてる。この混乱の元凶だ。ヘドロ島のどこかにいる、このくそったれを見つけるのも、おれの仕事だ」


 三ツ矢は拳銃を早雲の首筋に押しつけると、ひとを小バカにしたような笑みを浮かべ、こう続ける。


「よーく聞け。政府内には、ヘドロ島を沈める計画もある。潜水艦に魚雷を撃ち込ませるとか、爆弾をしかけるとか、方法はいろいろある。あとは事故だとテキトーにでっちあげればいい。どうせ証拠は海底だ。でもそれじゃあんまりだろ? だからおれを『原始の炎』に案内しろ」


「おまえ、住人の命をなんだと思ってる」


「おれだって心苦しい。だから協力してくれ」


 いけしゃあしゃあと思ってもいないことを言う。


 そのときだった。コンコンコン、という奇妙な音が聞こえてきた。


 マギが扉を爪の先で叩いていた。


「女、なんのマネだ?」


 怪訝そうに三ツ矢。


「扉を開けてやる」


「なんだって?」


「この扉を開けてやる」


 すると三ツ矢は、納得したように数回頷いた。


「知り合いに薬物中毒の風俗嬢がいる。おまえみたいにラリった目をして『壁の中に盗聴器が埋め込まれてるの』ってあちこちの壁に爪を立てやがるんだ。そっくりだぜ、おまえ」


 にやにやする三ツ矢だったが、すぐにその笑みは引っ込んだ。


 扉が台風の日の窓ガラスのように激しく揺れだした。

 しかしマギは軽く叩いているだけだ。


 扉の向こうに誰かいるのか?

 そう言いたげに三ツ矢は扉を凝視した。


 チャンスよ。


 乃雨に耳打ちされ、夜は動いた。

 

 右手のストッパーを解除した。落ちてきた仕込み棒をつかみ、伸ばす。

 隙だらけの三ツ矢の右手首に、一撃を食らわせた。


 そこは『太淵』という深穴で、神経が薄皮一枚でしか守られていない。どんなに屈強な男でも、激痛で全身の毛穴が開く。


 ぎょええええええ、という怪鳥の鳴き声のような悲鳴が響いた。


 床に拳銃を落としてしまい、三ツ矢はすぐにそれを拾おうとした。

 だが右手がうまく握れず、彼は目を見開いた。


『太淵』は神経も狂わせる。

 しばらく右手は握ることも開くこともできない。


 すばやく宗一が拳銃を拾い上げた。その銃口を三ツ矢に向けた。


「これで形勢逆転だ」


「銃は卑怯だろ!」


「誰が弓を使うと言った」


「ちくしょう!」


 手首を押さえながら三ツ矢は、痛みに顔を歪ませ叫んだ。


「おとなしく投降しろ」


「まあいいさ、仕事はした」


 負け惜しみにも聞こえたが、三ツ矢は不敵に笑いながら宗一に言った。


「いいことを教えてやる。銃ってのは安全装置を解除しないと撃てないんだぜ」


 彼は背中を向け、通路へと駆けだした。


「追うんだ!」


 早雲から指示が飛んだ。宗一は拳銃を放り投げると、三ツ矢を追って走りだした。


「夜、私たちも行きましょう」


 乃雨から急かされる。

 そうするつもりだったが、その前に夜はどうしても早雲に訊いておきたかった。


「いったいヘドロ島でなにが起きてるんです」


「創世の神話だ」


「はあ?」


「まもなく世界最終戦争がはじまる」


「なんですか、それ」


「サルが火を恐れるように、ヒトも『原始の炎』を恐怖する。この戦争は、人類最後で最大のものになるだろう」


 拳銃を拾い上げると、それを弄びながら、彼は聞き捨てならないことをつぶやいた。


「ヒトは滅びる。そして灰の中から新たな時代がはじまるのだ。この私が作る新時代がな」


「やっぱり意味がわからない」


「わからなくていい。私だけでいいのだ、『原始の炎』を手にするのは」


 初めて会ったときは常識人だと喜んだが、もしかすると彼が一番狂っているのではないか。そう夜は訝しんだ。


「だがおまえはを持っていない」


 マギが言った。


 その言葉で、早雲の顔が驚愕で固まった。


「きさま、『鍵の子』を知ってるのか?」


「わからなくていい。私だけでいいのだ、『原始の炎』を手にするのは」


 お返しとばかりに、マギはつんとした形のいい鼻を持ち上げると、さっきの早雲の百倍不敵で傲慢にほくそ笑んだ。


「もう行くぞ。三ツ矢を追わないと」


 早雲と話しても時間のムダに思えた。通路へ向かって夜も走り出した。

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