第29話 ヘドロ島の地下
沼地を抜けると、また深い森が続いた。
そろそろ十一番地区のはずだった。
「なにかしら、あれ」
ふいに乃雨が、馬上からある方角を指さした。
そこは傾斜の上だった。なにかあると彼女は主張するが、地上にいる夜からは青々とした木々と岩しか見えなかった。
「よく見てよ、奇妙なものがあるんだって」
助けを求めるような目で、乃雨が夜を見た。
「はいはい姫様、見てくればいいんでしょう」
夜は進路からそれ、ひょいと斜面を登っていった。
なんだこれ。
近くで見た夜は、思わず口にした。
遠目からだと岩に見えていたものは、錆びついた金属製のハッチだった。かなり古い。高さは十センチもないくらいで、上から見るとダクトのように直方体だった。観音開きの扉で閉じられていたが、南京錠でロックされており、試しに開けようとしたが無理だった。
マギも斜面を登ってきた。いっしょになって封じられた扉の前で首をひねる。こんなところに金属製のハッチとは奇妙だ。大きさ的に人間だって余裕で入れる。
宗一も馬から降りてやって来た。彼も首をかしげた。これがなんなのかオーファンズの宗一でもわからないようだった。
しかし錆の具合からいって、数十年は経っていそうだ。つまりヘドロ島が稼働した当初から存在していた可能性が高い。
「ねえ、ちょっと、置いていかないでよ」
乃雨だけが馬上にとり残されていた。しょうがないやつだ。夜は戻った。
馬上からだと地面まで高さがある。脚が不自由な乃雨が馬から降りるには、夜の胸に飛び込まなければならなかった。
ためらう乃雨に「そんなに汗はかいていない」と気遣うが、そんなんじゃないという。
「恐いのか?」あらためて訊ねると、彼女は少しむくれ「あんたが落とさないか心配なだけよ」と言い返してきた。
「絶対に落とさない、約束する」
「もし落としたら責任……とってよね」
ぼそぼそと弱気な声で言うから、夜は笑うのをこらえた。
「わかったよ。もし落としたら、今日一日なんでもいうことを聞く」
「言ったわね」
乃雨は目をつぶり、一つ大きく深呼吸した。
やっと意を決したか。そう思った瞬間だった。なにも告げず、乃雨は自分のタイミングで飛び込んできた。
準備ができておらず、夜は乃雨を受け止めたまま地面に倒れてしまった。
「だ、大丈夫?」
上に乗った乃雨の焦った顔が見えた。
「いてて。でも地面には落とさなかったぜ」
乃雨を抱えたので受け身がとれず、少し腰が痛んだ。
「バカ。私なんて落としてもよかったのに」
宗一の馬も、心配そうに鼻先を近づけてきた。あごをなでてやり問題ないことをアピールした。
「さあ行こう。みんなが待っている」
乃雨を抱えて立ち上がった。
歩きだすと、乃雨が訊いてきた。
「なんで、落とさなかったの?」
「ヘドロ王は仲間を落っことしたりしない」
「なにしれっとヘドロ王になってんのよ」
「マギが魔女ミュールス、乃雨が巨人ヴァルナ、宗一が狙撃手アザミときたら、おれはヘドロ王だろ」
「都合よすぎ」
「不服か?」
「べつに」
それだけ言うと乃雨は、横を向いて黙った。しかし斜面を上っていると「……認めてやらなくもないけど」と小声で言った。
ハッチの前ではマギと宗一が、難しい顔を突き合わせていた。
「ダメだな、なにか道具がないと」
両手で思いきり力をこめてみた宗一だったが、やはり無理なようだった。
「これだけ古いんだ。蝶番ごと壊して開けられないのか」
近くの平べったい岩に乃雨を座らせてから、夜もハッチの前に立った。
「それがどうもおかしい。見てくれ」
宗一は蝶番の一つを指した。「錆でぼろぼろの扉に比べて、蝶番はどれも新しい。最近交換されたようだ」
「侵入させないために、誰かが交換したってことか」
ますます気になる。
「調査すべきだと思うわ」
乃雨の意見に夜も賛成した。
「この地下に『原始の炎』が眠っているのかもしれない。つまり政府のスパイも、そこにいる可能性が高いってことだ」
「しかしどうやってハッチをこじ開ける」
古いとはいえ頑丈そうな金属の扉だ。宗一が拳で叩いてみるが、返ってくる音は絶望的に重厚だった。
「マギ、扉を壊せないか」
夜は提案したが、すぐさま「私は観測者だ。介入しない」とお決まりのセリフを返してきた。
「マギは見たくないのか、『原始の炎』」
「興味ない」
「『原始の炎』を手に入れた者は、この世界の真の王になるんだぞ」
「現実とおとぎ話を混同するな」
「じゃあなんで政府がスパイまで送り込んで調査するんだよ」
「さあな」
「きっとすごいお宝だ。金銀財宝なんてレベルじゃない。マギの想像もはるかに超えるものだ」
彼女の目が微妙に泳いだのを夜は見逃さなかった。誰よりも好奇心が強いくせに、それを隠せていない。
「『神々の秘宝にして究極の兵器。その炎は人類を焼きつくしてもなお燃えつきず、やがて灰から新たな世界を創造する種火となる』――」
宗一が『ヘドロ王物語』の一節を諳んじた。
「ヘドロ王は『原始の炎』が悪用されることを危惧した。もしそんなものが本当に存在するのなら、スパイよりも先に見つけないと」
おもむろにマギの右手が、扉に向かい伸びた。なにかを調べるように、指先でその表面をなぞりだす。
「やってくれるのか、ありがとう」
「今回だけだ、かんちがいするな」
扉の厚さでも確認するように三度ほどノックすると、準備完了なのかマギは人差し指でそっと表面にふれた。
押したり引いたりをくり返して、扉を揺らした。
だんだん揺れは大きくなる。まさに指数関数的な増大だった。まるで悪魔が人間界へ飛び出さんとし、魔界の扉を内側から揺らしているようだった。共振現象だと頭では理解していたが、やはり不気味さに閉口した。
マギの”魔法”を初めて見る宗一も、目を見開いていた。
やがて雷鳴のような音が鳴り響き、マギは手を扉から離した。
「開けてみろ」
彼女から促され、夜は扉を引っ張ってみた。蝶番が完全に壊れて、扉ごと持ち上がった。
ぽかんと黒い穴が開いた。
宗一が拳大の石を穴に落とした。やや時間を置いてから音は返ってきた。
いったん馬に戻った宗一は、荷物の中からランタンをとってきた。自分が最初に下りると志願した。
マギも下りると意気込んだ。もちろん夜も下りるつもりだった。
また乃雨だけが置いてきぼりだ。夜は彼女のほうを見た。うつむきかげんで、さすがに諦めたような表情をしていた。
「ほら、乗れよ」
夜は乃雨のもとまで行くと、背中を向けて背負子を彼女に見せた。
「でも――」
「ハッチを見つけたのは乃雨だろ?」
背負子を地面におろした。竹製だが、頑丈さは宗一の保証つきだ。
「いっしょに旅を続けよう、巨人の騎士ヴァルナ」
それでヘドロ王のつもり? 乃雨はあきれたように言うが、顔は笑っていた。
乃雨をロープで固定したら、背負子を肩で持ち上げた。彼女とは背中合わせの格好だ。重心を前寄りにして歩くと、ちょうどバランスがとれた。
ランタンを腰からさげた宗一が、先頭ではしごを下りていった。しばらくしてマギが続き、最後に夜と乃雨が下りた。
地面に足がつくまで、ざっと二階ぶんは下りただろうか。地下の空気は湿っぽく、肌にまとわりつき不快だった。
ランタンで宗一があたりを照らす。どうやら通路のつきあたりにいるらしい。うしろは壁だった。進むべき道は前方にしかなかった。
歩きだしたとき、マギがペンライトを点灯させた。よく持ち合わせていたな。夜が言うと、マギはわざとらしくライトを顔に向けてきて「私の仕事は観測することだからな」とうそぶいた。
しばらく歩いていると、開けた場所に着いた。なにかの部屋かと思ったが、特になにもなかった。ふと昔テレビで観たピラミッドの内部のようだ、と夜は思った。大ピラミッドの内部も、なんのためにあるのかわからない空間がある。
もう一つの通路が真向かいにあった。他にも出入り口があるのかもしれないな、とマギが指摘した。
「なにかの施設か?」
呆気にとられながら宗一が言った。
「なんの施設だろう。しばらく使われた形跡はなさそうだが」
ヘドロ島はゴミ処分場だが、のちに新しい区として再利用される計画だった。だから地下施設があっても特別おかしくはないが、どうも変だと感じた。
実際に見たことはなかったが、核シェルターも実物はこんなものではないかと夜は思った。
ランタンを掲げながら部屋を調べていた宗一が、ロックされた大きな扉を発見した。
「また鍵のかかった扉か」
しかし今度の扉は、かなり堅牢そうだった。扉の横にはカードリーダーもある。
「夜、私にも見せて」
乃雨が言った。夜は体をひねり、彼女にも見えやすいようにした。
「この先になにか重要なものが隠されているんだわ」
「『原始の炎』かもしれない」
「ありえる話ね」
「しかし今回の扉は手ごわいぞ」
宗一が拳で扉を叩いた。返ってきたのは、硬質で厚みを感じられる乾いた音だった。なんの材質かもよくわからない。
「マギ、頼めるか」
夜は言った。
「いいかげんにしろ。私をなんだと思っている」
「『原始の炎』が目の前にあるかもしれないんだ」
「おとぎ話だろう」
自分はおとぎ話の魔女みたいななりをしておいて、よく言う。
「おとぎ話ではない」
仲間のものではない声が、背後から聞こえた。
ふり返ると、早雲が立っていた。
ぶぜんとした表情が、ランタンの薄明りに浮かび上がっていた。ランタンを持つのは、となりに立つ従者だ。もう一つの通路から来たのだろう。
「おまえが客人を連れ出したのか、宗一」
不機嫌な声だった。
まるで父親に叱られた子供みたいに、宗一のこうべが垂れる。
「この者たちに協力すべきだと思ったのです」
「例のスパイの捜索か」
「はい」
「我々だけで処理すると言ったはずだ」
「しかし――」
だんだんと宗一は小声になった。実際、早雲には独特の圧というか、威厳みたいなものがあった。立つと一八〇センチはありそうな上背と、法衣の上からでもわかるがっしりとした骨格、そして重低音の声だ。
彼もプロジェクトチームの一員だった。すると宗一の両親のように、なにかの専門家なのだろう。だがその風貌からは、夜はなにも類推できなかった。
「この扉の向こうには、なにがあるんですか」
夜は早雲に問うてみた。
「それを知る必要はない」
「あなたは知っているんですね」
「その扉は開かずの扉。ゆえにその奥を見た者はいない」
「だったらなぜここへ来たんですか。心配になって来たんでしょう?」
「私がなにを心配する」
「『原始の炎』ですよ。あなたはこの奥に『原始の炎』があることを知っていた。だから政府のスパイに狙われていると聞いて、心配で見に来た」
「なるほど。それなら説明もつく」
にやりと早雲は口元をゆるめた。
「認めるんですね」
「ノーコメントだ」
「なぜ政府は『原始の炎』を探しているんです。ヘドロ王物語は創作のはずです」
「なにも知らないようだな」
「あなたはなにを知っているんです」
「すべてだ」
ジョークかと思ったが、早雲は真顔だった。
「じゃあ教えてください。『原始の炎』とはなんですか」
「希望だよ」
「希望?」
「人類を焼きつくす煉獄の炎。新たな世界は灰の中から創造される」
「ヘドロ王物語の一節ですね」
「夜、こいつの言葉に惑わされないで」
乃雨から袖を引っ張られた。
「先生、神楽と共闘するべきです」
宗一が思いきったように進言した。
「おまえが意見するなど珍しい。こやつらに唆されたか」
「相手は国家なのです。我々は協力しあうべきです」
「その必要はない」
「なぜですか」
「私には切り札がある。それがある以上、日本政府など、とるに足らん」
「いったい先生は、なにを企んでいらっしゃるのです」
そう宗一が問うたのと同時だった。
早雲のお供の男がぎゃっと短く叫び、床に倒れた。
なにごとかとふり返った早雲の額に、拳銃が突きつけられた。
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