第28話 人食い大蛇

 宗一の手引きで倉庫から脱出した。


 向かった先は馬小屋だった。自分の馬に水や食料などの荷物を積み込む宗一を見て、自動車なんてものはないのだと夜は悟った。


「車椅子のことも考えろよ」


 まさか乃雨もいっしょに来る気だとは、宗一も想像しなかったようだ。


 夜の一言でなにかを思いつき、「ちょっと待っていろ」と宗一は近くの薪置き場へ歩いていった。


 戻ってきたときには、竹でできた運搬器具を抱えていた。


背負子しょいこ』というらしい。二宮金次郎像も背負っていた気がするが、これに乃雨を乗せろというから夜は怒った。


「おまえは乃雨の重さを知ってるのか!?」


 すると乃雨から石が飛んできた。


 そういう意味じゃなくて、竹だと壊れて地面に落としかねないから心配したんだと夜は弁解した。


「安心しろ。これで怪我人を運ぶこともあるし、頑丈さは折り紙つきだ」


 宗一が請け負った。

 日本の伝統技術を信じろということか。夜は背負子を受けとった。


 馬で行けるところまでは乃雨を乗せていこう。宗一は彼女の体を持ち上げるように夜とマギに指示した。そして自分は、馬上から乃雨を引っ張り上げた。自分よりも前に彼女を乗せ、落馬しないように両腕で包むようにして、宗一は手綱を握った。



 宗一の馬を先頭にして、水田の脇のあぜ道を進んでいった。十分ほど歩くと、今度は森へと続く横道に入った。


 とても人工的とは思えないうっそうとした森だった。近くを川が流れていたが、覗いてみると、透明で澄んだ水質だった。このへんはゴミの不法投棄がなく、水質汚染もないから安心して飲めると宗一が言った。


「鹿だ」


 川の対岸をマギが指した。見てみると、川の向こうの茂みから、立派な角を生やした牡鹿が、人間のことを珍しそうに眺めていた。


「森にいる動物たちも、島の外から持ち込まれたのか?」


 そう夜が質問すると、宗一は「そうだ」と答えた。


「森の生態系もオーファンズが管理しているのか?」


「おれたちはこの島のすべてを管理する。調和を保つのが仕事だ」


 宗一は誇らしげだった。それもそうだろう。誇りに思っていなければ、何十年もこんなことは続けられない。


 森の中を一時間ほど歩いただろうか。急に開けた場所にたどり着いた。そこは沼地だった。


 迷いの森の沼地――。


 本当にあったんだと夜は感動した。


「この先へは行ったことがない」


 宗一の声にも少し緊張感が漂った。


 沼地には膝丈くらいの草しか植生は見られなかった。自然豊かな森から一転、十月にしては冷たい風が吹き抜ける寂しい世界が広がる。


「引き返すならいまだぞ」


 夜は全員に確認した。


「沼地……白兎……人食い大蛇」


 ぶつぶつと言うマギに「ちょっと、やめてよ」と乃雨が馬上から抗議した。


「行こう。十一番地区はこの先だ」


 沼地は歩きにくく、悪臭も漂っていた。水は浅そうだったが、とにかく濁っていて臭い。そんな沼地とぼうぼうの草地が、迷路のような入り組みかたをしていた。


 先頭を歩く宗一の馬は濡れるのもおかまいなしに歩いた。マギはドレスを汚したくないのか、草地を選んでときどきジャンプしながら進んだ。夜も靴を濡らしたくないので、それにならった。


「この沼もオーファンズが造ったのか?」


 夜は宗一に訊いた。


「いいや。この沼地がいつどうやってできたのか、よくわかっていない。このあたりの土壌は塩沼といって、塩分に汚染されている。そのせいで植生も生態系も狂っているんだ。しかも沼は年々拡大して困っている」


「そういうのを改善するのが仕事じゃないのかよ」


「努めてはいる」


 宗一は少しためらい、話しだした。「昔、オーファンズでこの沼地を整地しようとしたことがあったらしい。でも測量に向かった作業員の一人が行方不明になった。いくら捜しても見つからないから、人食い大蛇に食われたんじゃないかって噂だ」


「バカバカしい!」


 急に乃雨が声を張り上げた。「そんなものいるわけがないわ」


 沼地に来てからマギも不思議と無言だった。ははん、この女も恐いのだな。夜はここぞとばかりに、からかってやろうかと考えた。


「気をつけろ、なにかが私たちのあとをつけている」


 逆に先制パンチがマギから飛んできた。

 強がりやがって。などと思った矢先だった。


「おかしい、馬が落ち着かない」


 宗一も声をひそめた。


「変なものでも食ったんじゃないのか」夜は冗談めかすが、「ちがう、危険を察知しているんだ」と大まじめに返してくる宗一のせいで、「もう、やめてよ本当に」と乃雨の声がいよいよ泣きそうになった。


「このまま気づいていないふりをしろ」


 宗一は手綱をにぎりなおすが、夜にはピンとこなかった。あたりに変わった様子はない。いったい宗一とマギには、なにが見えているのだ。


「すでに囲まれている」


 マギが言った。


「戦闘になる。みんな覚悟はいいか」


 宗一が全員に告げた。


「ホントかよ」


 夜は慌てて仕込み棒を確認した。まだ実戦で使ったことは一度もないのに。


 宗一が背中の大弓を左手で持った。腰の矢筒のふたを右手の親指で開ける。


 なにも音は聞こえない。ただ心臓だけが高鳴った。


 そのとき馬がいなないた。

 次の瞬間、宗一が体をひねって四時の方向に矢を放った。


 風を切る音が聞こえたときには、もう標的に命中していた。

 白いオオカミだった。


「うしろだ!」


 マギが叫んだ。うしろからもオオカミの群れが襲いかかってきた。ぱちゃぱちゃと音をたてながら、数匹のオオカミが猛スピードで沼を走り、距離を詰めてきた。


 夜は仕込み棒のギミックを作動させた。ワイヤーでつながれた右手を目一杯に広げ、ストッパーを解除した。袖の中から滑り落ちてきた仕込み棒をキャッチすると、親指でスイッチを押して伸ばした。だが不慣れなせいでもたついてしまい、オオカミたちの接近を許してしまった。


 草むらから飛びかかってきたオオカミを一匹叩きのめした。続けて襲いかかってきた二匹目のオオカミには、懐に入られてしまうが、かろうじて仕込み棒を噛ませて防いだ。しかし想像以上に強い力で引っ張られ、沼に引きずり込まれそうになる。だが宗一の放った矢がオオカミの横腹に突き刺さり、窮地を脱した。


 マギにもオオカミが襲いかかった。そいつがボスだろう。他のやつよりも大きな体だった。


「危ない!」


 助けに向かおうとするが、沼に足をとられてワンテンポ遅れた。


 まにあわない――。


 ボスオオカミは大口を開け、よだれを垂らし、うなりをあげながら、いまにもマギの喉元に噛みつかんとしていた。


 マギがなにかをつぶやいた。「ごめんなさい」と謝罪の言葉に聞こえた。


 あきらめんなよ。死を覚悟したからって、いままでのことを謝るなんて。夜は勝手に解釈して、沼に沈んだ足を急いで引き上げた。


 だが次の瞬間だった。足元にチクっとした痛みを感じた。


 ボスオオカミがキャン、と鳴いた。しびれたように体をこわばらせると、もつれた足で沼に頭から倒れ込んだ。


 命の危険を感じたような悲鳴をあげ、ボスオオカミは逃げ帰っていった。他のオオカミたちも倒れた仲間を置きざりにして退散した。


「みんな無事か」


 宗一が馬から降りて言った。


「ああ大丈夫だ。それよりもマギ、いまのはおまえがやったのか?」


「なんのことだ」


「静電気みたいな痛みを足に感じた」


「電気ウナギでもいたんだろう」


「そんなバカな」


「それよりも早く沼地から離れたほうがいい。本当に人食い大蛇がいるかもしれん」


「うそでしょ……」


 乃雨が自分の二の腕をさすりがなら、あたりをきょろきょろと見まわした。


 倒れたオオカミから矢を回収していた宗一に、夜は訊ねた。


「なんでオオカミなんかがいるんだよ」


「中国から輸入したハイイロオオカミだ。生態系の維持のために、島の稼働に合わせて開発プロジェクトチームが島に放った」


「オオカミを放つなんて……正気かよ」


「正気だからオオカミを連れて来たんだ。プロジェクトチームは科学者の集団だ。オオカミの放出も緻密な計算にもとづいている」


「それで島の生態系が保たれるからか」


「そうだ」


 宗一は血で汚れた矢じりを、沼で洗いだした。


「でもプロジェクトチームは解散したわ」乃雨が言う。「東京都がヘドロ島の開発を断念したから。でも意思を受け継ぐ人間たちがいた。それがオーファンズよ」


「じゃあ村で畑を耕したり、牛の世話をしたりしていたのって――」


「多くは開発プロジェクトチームの元メンバーよ。島に魅入られて帰れなくなった亡者みたいな連中」


「ひどい言いようだな」


 宗一は苦笑した。


「だってそうじゃない。開発プロジェクトは中止されたのに、いつまで島にいる気よ」


「この島を“あるべき姿”に完成させるまでだ」


「おかげで道一本、あんたたちの許可なく造れないわ」


「『吉田文書』のとおりに島を造る。それがオーファンズの使命だ」


「吉田文書?」


 夜が訊ねた。


「プロジェクトチームの初代団長が書き残した予言の書だ」


「予言って……本当かよ」


「初代団長の力は本物だったらしい。彼のことを知る早雲先生や他の大人たちは、みんな信じている。人類の滅亡が迫っていることや、この島が最終戦争で人類のよりどころになることを」


「狂信者」


 そう乃雨の揶揄に、「否定はしない」とあっさり返す宗一。


「宗一、おまえも島で生まれ育ったのか?」


「ああ。幼いころは神楽に住んでいた。父親は土木系の技師で、母親は獣医だ。二人とも開発プロジェクトチームの一員だった。おれが三歳のときにプロジェクトは凍結され、両親は早雲先生とオーファンズの起ち上げに関わった」


「あの服装とか生活スタイルとかも、科学にもとづくのか?」


「あれはオーファンズの思想にもとづく。フロンティア主義っていうんだ。江戸時代の循環型社会がモデルらしい。でもおれの両親は、誰よりも過激派だった。文明社会を憎んでいて、おれを森に閉じ込めた。だから遊び相手はいつも人間じゃなかった。でも両親はそれでいいんだといつも言っていた」


 宗一は洗った矢を矢筒にしまった。


「だけどヘドロ王の本と出会って、外の世界を知りたいと思うようになった。おれもいつか仲間と冒険がしたいって」


「冒険ならしているじゃない」乃雨が言った。「立ちはだかるのは人食い大蛇じゃなくて、国家権力だけど」


「人食い大蛇だったら、弱点がわかるんだけどな」


 宗一は言うと夜のほうを見た。


「目だ。ヘドロ王はアザミに命じて、真夜中に五十メートルの距離から、眠っている大蛇の右目を弓で射させた」


「そのとき、においを消すために、沼地の泥を全身に塗らせた」


「おかげでアザミは、寄生虫に感染して三日間高熱にうなされた」


「おれの一番好きな騎士だ。彼の放った矢はあまりの威力で、稲妻をまとっているように見えた」


「それでいて正確無比だから、アザミは潜伏からの一撃必殺を得意とした」


「ヘドロ王は強敵との戦いで、彼をキーマンとして起用することが多かった」


「よく知っているな」


「そっちこそ」


 また二人はにやにやして、お互いの顔を見合った。


 そんな男たちをまた乃雨が怪訝そうに見つめていた。

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