第26話 オーファンズの里
バリケードの先を五十メートルほど進むと、森の中へと続く一本の小道が横に伸びていた。
車窓から見ていた森の中に入れる。そう言ってマギは少し楽しそうだった。
しばらく歩くと、開けた場所にたどり着いた。
あたり一面に水田が広がっていた。
森を自力で開墾したのだろうか。とんでもない労力だ。
茅葺き屋根の住居がぽつぽつと並んでいた。遠くの丘の上には鳥居も見えた。
ここがオーファンズの村なのだろう。
通りかかった水車小屋の前で、甚平を着た子供たちが、小石を並べて遊んでいた。よそ者の存在に気づくと、彼らは車椅子に興味を示し、押している夜と座っている乃雨のことをずっと目で追った。
あくびが出そうなほど牧歌的だった。
牛舎の前では小学生くらいの兄妹が、いやがる子牛にシャンプーしようと泡まみれになり悪戦苦闘していた。
民家の縁側で並んで編み物をしていた若い娘二人は、歩いている夜に気づくと、肘で小突きあいくすくすと笑いあった。
首狩り族のような集落を想像していた夜は、拍子抜けした。
しばらくすると高い壁に囲まれた施設の前に着いた。
門の前には槍を持った衛兵が立っていた。馬にまたがる宗一については顔パスといわんばかりで、彼らは会釈だけして無言で通した。
門をくぐると、ひげ男がトビーと九条をべつの場所へ連れて行った。
どうも軍事基地らしいとわかってくる。物見やぐらには見張りが立っており、庭にはバリスタまであった。
トビーたちと離れたのが痛い。男は自分だけだ。なにかあったら体を張らないと。夜は覚悟したが、能天気にスマホで写真撮影したがるマギを何度も注意するうちに、じつは自分はツアーガイドではないかと思いはじめた。
白い土壁の蔵のような建物に案内された。
うす暗く、湿っぽい廊下を突きあたりまで歩くと、その先の部屋を宗一はノックした。
「先生、宗一です。神楽の者たちを連れてきました」
ドアの向こうから、入るように促す声がした。
失礼します。
宗一は言い、ドアを開けた。
紙のにおいがした。図書館と同じにおいだ。
部屋の壁には本棚だけでなく、昆虫や植物の標本も飾られていた。
窓際には、ヘドロ島の模型がガラスケースに収められていた。
そんななかにあって最も目立つのが書斎机だった。まさに仕事中だといわんばかりに書籍や書類を山積みにし、そこで総白髪の男がペンを走らせていた。
「ごくろうだった、宗一」
彼は顔も上げずに言うと、コツコツというペンで紙を叩く音を鳴らし続けた。
この男がオーファンズの頭領なのだろうか。
もう一分近くも立ちんぼで待たされ、いいかげん疲れてきた。
だが一番不満そうのは、車椅子に座る乃雨だった。いまにも噛みつきそうな狂暴な顔をしているから、落ち着けと視線で何度も訴えた。
「失礼、仕事がたてこんでいてね」
ようやく男は顔を上げた。疲れを感じさせる、かすれた声だった。
六十歳くらいだろうか。白髪のせいで、ぱっと見は十歳老けて見えなくもない。彼も和装だったが、僧侶の着る法衣のような服で、あきらかに特別な地位だとわかった。
「ようこそ神楽の者たち。私の名前は早雲。会えて光栄だ」
彼は両手を広げて歓迎の意を示した。
穏やかでいい人そうだ。夜は少しホッとした。
「ずいぶん手荒な歓迎を受けたようだが、私から謝罪しよう。なんせ昨日、警察が島に乗り込んできたばかりだ。警戒を強めていた」
早雲は柔和な笑みを浮かべ、乃雨、夜、マギの順に目を合わせた。
ウパニシャッドに詰問されたときは、まるで地獄で閻魔大王と対面したようだったから、それに比べたらいまは、さしずめ夢の中で仏さまから説教されているようなものだろう。
早雲はペンを置いて、代わりに湯呑みを持った。ゆっくりと口まで運ぶと、音をたてず一口だけ飲んだ。
「おお、これはいけない」
彼は湯呑みを置くと、芝居がかった口調で「宗一、客人にも茶を出して差し上げなさい」と指示した。
「けっこうよ」
乃雨が口を開いた。
「そうか」
早雲はそれだけ言うと沈黙した。
妙だった。彼はもうペンを握りなおして仕事に戻った。なんのために部屋へ入れたのだろう。
「おまえがオーファンズとやらの頭か?」
静寂をやぶったのはマギだった。きちんと整列せず、学校のクラスの問題児のように、一人ヘドロ島の模型のガラスケースに顔を近づけていた。
「いかにも」
早雲は答えた。
「この島の自然環境を造成する集団がいると聞いたが、おまえたちのことか?」
また妙なことを訊いて……。マギが早雲を怒らせないか、夜はひやひやした。
しかし早雲は意外にも好意的なまなざしをマギに向けた。
「いかにも。私はかれこれ三十年以上、この島でご奉仕させていただいている」
「三十年以上も!」
夜は思わず口にした。
「この島の山も川も、本当におまえが造ったのか?」
「私だけではない。みんなで造ったのだ」
早雲は誇らしげに微笑んだ。
「なぜ金にもならないことを何十年も続けられる」
「きみにとって金がすべてなのかね? だったらなぜ妻は毎日、夫のために食事を作る。愛があるからだろう。それと同じことだよ」
「妻だって見返りを求める。女をバカにするな」
「きさま、先生に向かってなんて口を!」
宗一が言った。
「いいんだ宗一」
早雲は制した。そして笑顔を絶やさずマギに言う。「いまのは語弊があったね。妻は夫に尽くして当然だと言いたかったわけじゃない。無償の愛もあるということだ」
「なにが無償の愛よ。自分勝手なだけのくせして」
乃雨が吐き捨てた。
「まいったな。女性から嫌われてしまった」
早雲は苦笑し、同意でも求めるように宗一と夜を見た。
「でも三十年以上前からずっと島で暮らして、報酬もないのに汗を流してきたなんて、ちょっと信じられません」
夜もマギの考えに近かった。
「そう思うのは当然だろう。普通の人間には理解できん。しかし考えてみたまえ。なにもない人工島を放置しても、雑草が生い茂るだけの荒地にしかならない。川がなければ豊かな生態系は根づかないが、水を流すには起伏がいる。山を維持するには木々がいる。木々を育てるには適した土壌が必要で、土壌の最適化にはコケ類や地衣類、そして草花がいる。それらを生育するには昆虫やさまざまな動物が必要だ。このように美しい自然とは、決して野放しでは得られないのだよ」
「なるほど。おまえは“神”になりたいのか」
マギから言われて、早雲は目をむいた。そして軽く噴き出す。
「そこまで思い上がってはいないさ」
「どうだか」
マギはそれきり関心を失ったようで、黙って模型の観察を続けた。
「さて、そろそろ本題に入るとしよう」
早雲はテーブルの上で手を組んだ。「いったいなにが目的でここへ来た? 警告を無視して突っ切ろうとしたそうだが」
「誰が教えるもんか」
乃雨はそっぽを向いた。
「残念だ。きみたちは忌むべき傭兵どもとはちがう。なるべく丁重に扱いたかったが」
「待ってください」
話し合いが下手すぎる女たちにいてもたってもいられず、夜は弁明に乗り出した。
「これには事情があるんです。みなさんとも無関係ではありません」
「というと?」
「政府のスパイが島に入り込んだんです」
「スパイだと?」早雲は呆れたふうにかぶりをふる。「つまりスパイを追っていたと」
「そうです」
「それはまいったな」
にやにやと小バカにしたような笑みを早雲は浮かべた。
「協力をおねがいできませんか」
「断る」
「なぜです」
「
「警告を無視して侵入したことは謝ります」
「そのことではない。おまえたちは七年前から、神楽を不当に支配している。街から出て行くというのなら考えよう」
初めて早雲は怒りの感情をあらわにした。
夜も少し苛立つ。こんなときに、島の人間同士でいがみあっている場合なのか。
「スパイは『原始の炎』を探しています」
なんとなく言った夜だったが、早雲の反応は予想外に食い気味だった。
「いまなんと言った?」
「『原始の炎』です」
「なぜ政府がそれを探している」
「わかりませんよ。でも放っておけません。『原始の炎』は人類を滅ぼすほどの危険なものともいいますし」
「……まさかな」
テーブルに視線を落とし、早雲はつぶやいた。
「先生、なにか問題でも?」
宗一が訊ねた。
「いいや」わざとらしく咳払いして、早雲は告げた。「話は終わりだ。宗一、この者たちを例の部屋へ連れて行きなさい」
「監禁する気?」
乃雨が言った。
「いいや。明日の朝、神楽に帰ってもらう。われわれとしても無用な対立は避けたい。今晩にも親睦を深めるパーティーを開こうじゃないか。それまでは部屋でくつろぐといい」
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