第22話 ”原始の炎”の守り人
待ち合わせ場所は、乃雨の家から歩いて数分の交差点にあるバス停だった。
神楽では朝夕にバスが出て、主に仕事や学校の行き帰りで住民に利用されるという。
レンガ造りの大きな印刷所の前にあって、バス停の名前もそのまま『印刷所前』である。
インクのにおいに胸やけしながら夜は待った。
「今から会うのが、乃雨のボスなのか?」
そう乃雨に訊ねたのはマギだった。
「そうよ」
「どんな人間か楽しみだ」
「ウパニシャッドはグルカ兵よ」
「グルカ兵とはなんだ?」
「世界最強の民族で知られるグルカ族の兵士だ」
夜が代わりに説明した。
昔、本で読んだことがあった。ネパールにはグルカ族と呼ばれる山岳民族がいる。彼らは歴史的に傭兵を生業とし、男子は酸素の薄い山岳地帯で、幼いころから非常に厳しい戦闘訓練を受ける。グルカ兵を名乗れるのは、その中でも本当に優れた者だけだ。
彼らを雇うために、イギリス軍はわざわざスカウトを村々に派遣する。
「ウパニシャッドもイギリス軍にいたのか?」
夜は乃雨に訊ねた。
「ええ。傭兵になる前は陸軍にいたって聞いてるわ。そのとき『雷神』のあだ名がついたそう」
「そいつと夜はどっちが強い?」
マギの質問に、乃雨は失笑を漏らした。
「そんなの比べるまでもないわ」
「夜も強いぞ。おまえの仲間や警察官を棒きれで倒きのめした」
「ウパニシャッドも、東洋仕込みのマーシャルアーツの達人よ」
「へえ、一度手合わせ願いたいもんだ」
夜は言った。
「怪我するだけよ。なんせこの街を救った英雄なんだから。おとぎ話のヘドロ王とちがって、本物のね」
「そんなに強いのか」
「強いだけじゃないわ。とっても優しいの」
そうは見えないが。という言葉を夜は飲みこんだ。
どうやらジョークではなく、本気らしい。
乃雨はでれっとした顔になり「私にだけ」とつけ加えた。
一台のトレーラーがまっすぐ交差点に近づいてきた。昨日も見たトレーラーだ。
けん引する前の車両は窓が小さく、装甲車のようだった。うしろの貨物車両はコンテナに車輪をつけたような感じで、側面に金色のハンマーの意匠を描いていた。
バス停で止まったトレーラーから、白衣を着た本田医師が降りてきた。
「あら、乃雨ちゃんこんにちは」
と微笑む。
「妙子先生こんにちは。往診ですか?」
「ええ、ついでに送ってもらったの」
言うと本田医師は夜のほうを向き「有村君だっけ。変わりない? 具合が悪くなったら、いつでも診てあげるからね」と優しく話しかけてきた。
そんな彼女の背後で、リフトが機械音をたてながら地面まで下りてきた。車両に車椅子を上げる装置だろう。
「急ぐから、男の子に任せるわね」
と本田医師は夜に言い残し、立ち去った。
リフトに車椅子を載せるのは人力だ。夜はグリップを握って乃雨の車椅子をリフトまで押した。
リフトには昇降を操作するリモコンがついており、乃雨は自分でそれを押して上がっていった。
乗車した乃雨が車両側のボタンを押すと、リフトはまた自動で格納された。
続いて夜とマギが、車両に乗り込んだ。
まるで内部はキャンピングカーのようだった。
運転席側にキッチンと冷蔵庫を置き、後部にソファとテーブルを配置していた。
車椅子でも移動できるほど広い。
乃雨は最後部の貨物車両と通じるドアの前に陣取っていた。
「どうだい有村君。これが昨日きみが目撃した『ビッグトレーラー』の内部だ。神楽で開発した世界初のEXOギア専用の運用車だよ」
運転席に座る九条が言った。
「その女は何者だ」
ナイフで心臓を突き刺すような声が飛んできて、夜は本当に胸を押さえた。
「彼について行きたいそうです」
乃雨がソファに座るウパニシャッドに説明した。
「女を店に帰らせろ」
ウパニシャッドはタクティカルベストの胸ポケットから一枚の高額紙幣をとりだし、テーブルに放り投げた。
まずい。
マギのことを誤解している。それもマズい方向に。
となりでマギからぶちっと音が聞こえた気がした。
「この男と私は、永遠の契りを交わした仲だ。私はここから離れない」
マギとウパニシャッドの視線がしばらく交差した。
生きた心地がしなかった。まるで判決を待つ被告人の気分だ。
「いいだろう」
先に折れたのはウパニシャッドだった。紙幣をポケットに戻し、車のドアを閉めるよう九条に指示した。
「えらい美人さんじゃないか兄ちゃん、妬けるねえ」
そう助手席から茶々を入れてきたのは、ウパニシャッドよりも少し上で五十歳くらいに見える男だった。
彼も傭兵なのだろう。タクティカルベストを着ていた。金髪を短く刈り込み、無精ひげを口のまわりにたくわえている。
「座って」
乃雨から促される。それはウパニシャッドのとなりに行けということだ。
おそるおそる夜はソファの端に腰をおろした。だがマギの座るスペースがなく、もっと中央へ寄れと彼女から言われ、結局ウパニシャッドのすぐ横に座った。
「おまえが聞いたという話は本当か」
ウパニシャッドから問われた。
「本当です」
「スパイがどこへ向かったかわかるか、九条」
「いいや隊長」九条は首を横にふった。「でも予測は可能です。『原始の炎』とつながるのは、十一番地区しか現状ありません」
「トビー、風間からなにか報告は?」
「なにもない」
助手席に座る男が答えた。
彼がトビーか。
雷神チームに襲撃された晩に戦った相手だ。
「『原始の炎』は絶対に守る。ヘドロ島に封印しておくべきものだ」
「なら決まりだな」
トビーがぽん、と手を叩いた。「おれと九条と乃雨で、これから十一番地区へ向かう。ウパニシャッドは神楽に残ってくれ。いまは街の守りも手薄にはできん」
「気をつけろ。単独で乗り込んできたのなら、スパイは相当な手練れだ」
「あいよ。それと風間だが、あいつへの報告はどうする?」
「あの弁護士は信用できん。おれたちだけで解決する」
「了解。そんじゃ、仕事にかかるとしよう」
「トビー、こいつも連れて行け。スパイの顔を見てる」
ウパニシャッドから一瞥をもらい、夜は自分が呼ばれたわけを理解した。
話し合いは終わったようだった。
ウパニシャッドだけが車両から降りた。
「さて、おれたちも出発するか」
トビーがオーディオの音量を上げた。ヒップホップが流れる。
「『原始の炎』っていったいなんですか?」
たまらず夜は訊いた。
「それを教えるのは難しい。実際に見た人間はいないからね」
九条が答えてくれた。
「でも『原始の炎』って、物語の中だけの存在なんじゃ――」
ヘドロ王と騎士たちが冒険をする理由でもある。この世界を統べる究極の力であり、手にした者に永遠の玉座を約束する。
いっぽうで人類を滅亡させるほど強力なエネルギーも持つ。
そんなものを欲しがるんだから、ヘドロ王は決して善人ではないのだろう。
そういう自分だって、人類滅亡という望月の警告を無視して、ピラミッドの暗号を解いたわけだが。
「それが現実に存在するかもしれない。……って言ったら有村君は信じるかい?」
「本当ですか!」
夜は身を乗り出した。
「おれたちはヘドロ島に封印された『原始の炎』を監視してる。ここへ来た七年前からな」
「それじゃあヘドロ王と騎士たちって、九条さんたちのことだったんですか!?」
「まさか。おれたちは裏社会で生きる傭兵だぜ」
「ではなぜ『原始の炎』を監視するんでしょうか」
「悪いやつらに盗まれたら大変だろ? それにいつか本物のヘドロ王が来るかもしれないしな」
九条は夜にウインクした。
「ぺらぺら喋りすぎるのが、おまえさんの悪い癖だ。さっさと車を出せよ」
トビーが九条の肩を小突いた。
九条は肩をすくめ、ビッグトレーラーを発進させた。
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