第21話 EXOギア、そして共振する心

 キッチンで遅めの朝食を作ってくれている乃雨だったが、うしろめたさで夜は気まずかった。


 九条はウパニシャッドから呼び出されて離席した。

 リビングには自分の他に乃雨しかいなかった。


 夜はソファでそわそわした。


「魚、焼くけどいい?」


 乃雨から訊かれる。

 あまり食欲などなかったが、夜はうんとだけ答えた。


 胃がきりきりした。

 九条に話した内容を、あとでウパニシャッドが直接聞きに来るというからだ。


「怒ってるだろうな」


「ウパニシャッドが? かもしれないわね」


 恐いの?

 アジの干物を袋からとり出していた乃雨が、上目づかいに見てきた。


「べ、べつに――」


「あんたは警察とも勇敢に戦って、私を助けてくれたじゃない。らしくないわ」


「自分でも謎だ。なんであんな無謀なことしたのか」


「そう。でもカッコよかったわ」


 乃雨はアジの干物をグリルに放り込んだ。


 いまなんて言った?

 ぽかんとして夜は、味噌汁を温めだした乃雨のことを見つめた。


 落ち着かなくなり、夜はソファから立ち上がった。

 外の空気でも吸おうと窓際へ向かった。


 カーテンを開けると、街並みが見えた。

 手前から庭、道路、マギ、向かいの家という並びだった。


 マギ?


 夜は窓を少し開け、顔だけを出した。


「なんでおまえが、ここにいるんだよ!」


「腹が減った」


 マギは道路の真ん中に立っていた。黒いローブでフードまでかぶり、まるで一つの黒いかたまりだ。これでは地縛霊とか怨霊とか、不吉なものしか連想しなかった。


「だからなんでここにいる」


「私は観測者だ。そばにいて当然じゃないか」


 まさかずっとそこに立っていたのか?

 いつからだ? なぜそこまでしてつきまとう?

 

 夜の困惑をよそに、マギは庭まで侵入してきた。


「私も中に入っていいか」


「おれの家じゃない」


「いいにおいがするな」


 マギは鼻をくんくんさせた。


「帰ってくれ。おまえが現れてからロクな目にあっていないんだ」


「それはおまえが“ヘルメスの鍵”だからだ」


「ヘルメスの鍵?」


「七つのピラミッドを建設せし、わが祖先の予言だ。『いずれ大ピラミッドから十個の素数を見つけだす者が現れる。それこそがこの惑星を統べる真の王にして、われらに永遠の生命を授けたまう”ヘルメスの鍵”である』」


「頭でも打ったのか?」


「いいや。空腹で目はまわっているが」


 マギの腹からゴロゴロと音が鳴った。


「だから家にはあげられないって」


「案ずるな。私はおまえが生みだした幻影。他の人間には見えていない」


「幻影?」


「そうだ。まさか私の存在が現実だと思っていたのか?」


 マギからじっと見つめられ、夜は反応に困った。


 たしかに現実感のない女だった。いつも現れるのは、決まってピンチのときだ。脳が見せる幻覚だったとしてもおかしくはない。


「じゃあ、おまえは――」


「すべて妄想だ。あのウェブサイトを見たときから、おまえはずっと妄想にとりつかれている。おまえは無意識にピラミッドの不思議なパワーを信じていた。だから私のような幻影を作りだしたのだ」


 思いあたるのは魔女ミュールスだ。そういえば直前にハム子と『ヘドロ王物語』の話をしていた。


「たしかに妄想だとしたら、辻褄が合うことも多い」


「ようやく気づいたか」


「きっと疲れてるんだな。このところ睡眠不足だったし」


「わかったら窓を開けてほしい」


「おれの妄想ならすり抜けて入ってこいよ」


 ドアを開けてやった。


 マギは家にあがりこむと、すれちがいざまに言った。


「すまない、うそだ」


 キッチンにいた乃雨が目を丸くし「あんた昨日の――」と絶句した。


「このうそつき女!」


 夜は叫ぶが、ときすでに遅し。


 マギはフードをとると、乃雨に挨拶した。


「昨日会ったな。車椅子の――」


「乃雨よ」


「乃雨か、よろしく頼む。私は『東のマギ』。マギと呼んでほしい」


 マギはことわりもなく、さっきまで夜が座っていたソファに腰を下ろした。


「夜、あんたの知り合いなの?」


「ちがう、こんなやつ知らない」


「恋人同士だ」


 でたらめを言うマギ。


 乃雨の視線がとたんに冷たくなった。


「やっぱり東京の男なんてサイテー。カノジョを勝手に連れ込むなんて。見直して損したわ」


 ただでさえ危うい立場なのに、あらぬ疑いを招いてどうする。夜はマギをにらみつけた。


 しかしマギはもう部屋でくつろいでいた。自分のスマホをいじりながら、乃雨に話しかける。


「昨日は災難だったな」


「あなたにも助けられたわ。お礼を言わないとね」


「その必要はない。それよりも『EXOギア』というらしいな、昨日のあれは」


 スマホをいじる指を止めると、マギは読み上げるような調子で喋りだした。


「インターフェイスにBMI(ブレイン・マシン・インターフェイス)を組み込んだパワーアシストスーツは、『スマートスーツ』あるいは『EXOスーツ』と呼ばれる。『EXOギア』はこれを大型化したもので、従来の”装着”するものから”搭乗”するものへと大きく進化したものを指す。

 現在までに少数の試作機しか世界には存在しない。BMIとは脳とマシンを物理的に結びつける技術で、脳波を電気信号に変換して機械を動かす。逆に脳の特定部位を電気的に刺激し、においや痛みなどの感覚を人間に与えることもできる。たとえば歩くという動作を具体的にイメージすることで、実際にEXOギアは歩くし、転んだら本当に痛い」


「くわしいのね」


「私はなんでも知っている」


 マギはスマホを裏返した。ウィキペディアが表示されていた。


「そんなにすごい技術なのか」


 夜は感心した。


「もともとは医療用らしい。たとえば全身麻痺の寝たきり患者が、BMIと接続したロボットアームと電化製品で、日常生活をとり戻したという実例もある。しかしBMIには適正があり、誰でも思念を送れば自由に動かせるわけではなかった。高額なコストもあり、医療用としては広まらなかった」


「で、そいつを兵器に転用したのが、EXOギアってわけか」


「日本はロボット大国だ。この分野でも世界をリードしているらしいな。試作機もすべて日本で開発されたものだ。バッテリーには全個体電池が採用され、装甲も電磁装甲という大電流によって弾丸も溶かす次世代型のものらしい。さらにパイロットはBMIによって、思念だけでコンピュータも操作する。驚くことにインターネットという電子の海すら、思念で自由自在に泳ぐそうだ」


「そんな簡単な話じゃないわ」


 朝食を載せたトレイを乃雨が運んできた。ダイニングテーブルにそれを置くと、マギの前には水の入ったグラスだけを置いた。


「BMIには適性があって、私はたまたま合っただけ。訓練もなにも受けてないし、高度なことはできないわ」


「おまえは歩けないから、誰よりも歩くことを上手にイメージできた。BMIが共振したのかもしれないな」


「人の体のことをそんなふうに言うの、ちょっと無神経じゃない?」


「気に障ったらすまない」


 マギは右手でグラスのふちに触れた。まるで形状でもたしかめるようにぐるっと指先を滑らしてから、人差し指の爪で叩いてキン、キンと音を鳴らして遊びだした。


「夜、さっさと食べて。もうすぐウパニシャッドたちが来るわ」


 いつまでも窓際で突っ立っていると、乃雨から注意された。

 

 腹が減っては戦はできぬ。

 ウパニシャッドと対峙するためにも、いまは栄養をとらなければ。


 乃雨はキッチンに戻っていった。

 入れ替わりで夜がテーブルまで近づいた。


 そのときだった。

 

 キン、キンというマギの鳴らす音が、トレイの上のグラスからも聞こえてきた。しかも水面には波まで立っていた。

 

 夜は戸惑うが、さらにおかしな現象が起きた。もっと遠くからも、かすかに音が聞こえてきたのだ。


 キッチンで乃雨も自分のグラスの前で固まっていた。彼女のグラスの水も、同じように波紋が立っていた。


 Aという音叉を鳴らすと、離れた位置にあるBの音叉も鳴りだす共振(共鳴)の実験を、夜は思い出した。あれと同じだ。


「われわれは相性がいいらしい。離れていても同じ周波数で揺れている」


 マギは微笑を浮かべた。

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