第20話 死神
ちょうど真下のリビングから、言い合うような声がして、夜は目を覚ました。
枕の横に置いた卓上時計を見ると午前九時をまわっていた。
ぐっすり眠ってしまったらしい。
自分の能天気さというか、順応力の高さに呆れてしまった。
一階に下りる。
まず洗面所で顔を洗い、それからリビングへ向かった。
朝っぱらから話し合っていたのは乃雨と彼女の姉の桜花、そして昨日トレーラーを運転していた丸メガネの男だった。
「お、噂のヒーローくん、やっとお目覚めかい」
丸メガネの男は軽い調子で言うと、ソファから立ち上がり握手を求めてきた。
今日はタクティカルベストを着ておらず、ワイシャツにチノパンだった。昨日は四十歳くらいに見えたが、私服だともっと若く感じた。坊主頭でぶ厚い丸メガネをかけ、少しこけた頬という外見のせいで、戦前の書生といった風貌だ。
「九条ヒロシだ。元自衛隊員で、いまは雷神チームにいる。よろしくな有村君」
手を握り返すと、彼はそう自己紹介した。
なぜかにやにやしているので、どうかしたのか尋ねると、「こんな名前だが、憲法九条は改正派だぜ」とボケをかましてきた。
「こいつは仲間じゃない、九条」
ソファに座る桜花から、冷ややかな声が飛んできた。腕を組んでおり、絶対に握手などしてくれそうになかった。
「つれないなあ。有村君のおかげで島は救われたのに」
「関係ない。こいつの仕事は『SAKURA』を制作することだ。それができなければ行方不明になる」
「お姉ちゃん!」
乃雨が慌てた。
「気にするな有村君、彼女なりのジョークさ」
あはは、と九条も無理に笑った。
「かまいません。仲間じゃないのは事実ですし」
ここは桜花を刺激しないほうがいい。夜は言葉を選んだ。
「しかし昨日は本当にすごかったな。乃雨ちゃんをかついで、警察の包囲を突破するなんて」
あらためて九条が言った。
「もし九条さんがトレーラーで来てくれなかったら、途中で力尽きていました」
「いいねえ、謙遜も忘れないその精神」
そう言って九条は、夜の心臓のあたりを指で突いた。さらに調子に乗り「乃雨ちゃんのカレシにぴったりじゃないのか」とふざけたことを言うので、「くだらない!」と桜花から一喝された。
「昨日はあれからどうなったんですか」
さっさと話題を変えたくて夜は九条に訊ねた。
「警察なら乃雨ちゃんがEXOギアで追い払ったよ。まるで鬼だったぜ。警察車両を次々とスクラップにするんだからな。やつら泡を噴いて逃げていったよ」
「でもこっちの損害も小さくなかったわ」乃雨は浮かれていなかった。「今回はなんとかなったけど、次は耐えられるか……」
「次はもっと戦力を投入してくるだろうな。それを弾き返せても、その次はもっと大戦力で来る。東京と地理的につながっている以上はどうしようもない」
「だったら私が何度だってみんなを守る」
「思い上がるな! 一人でなにができる」
いきなり怒声が飛んでくるから、夜の頭は完全にシャキッとした。
「私はもう、お姉ちゃんに守ってもらうだけのひ弱な女じゃないわ」
「自力ではEXOギアにたどり着けなかったくせに。無力な子供がいきがるな」
「いつまでも子供あつかいしないで。私だって兵士よ!」
二階まで聞こえていたのは、この姉妹ケンカだったらしい。
にらみあう姉妹に、九条もうんざりした様子だった。
「フォークボール作戦を成功させよう。それですべてがうまくいく」
「もとよりそのつもりだ。EXOギアになど頼らん」
桜花が吐き捨てた。
「まあ、そのためには『SAKURA』が絶対に必要なわけだが」
ソファに座りなおした九条から、夜は視線を向けられた。
「フォークボール作戦ってなんですか?」
そういえば以前、ウパニシャッドも話していた。
だが質問した夜に、また桜花からの横槍が飛んできた。
「黙っていろ、おまえは人質だ」
「もう、そんな言い方はやめてよ」怒ったように乃雨が言った。「夜がいなかったら、私たちは壊滅していたのよ」
「どうだか」
桜花は吐き捨てると、ソファから立った。
殴りかかられるのかと警戒する夜。
しかし彼女はテーブルの上からハンドバッグをつかみ「仕事に行ってくる。今日も遅いぞ」と乃雨に告げると、足早にリビングから去っていった。
「すまんな有村君」
九条が弁解した。「昨日の今日だし、彼女も気が立ってる」
「気にしません」
とはいえ桜花が去ったことで、ホッとしたのも事実だ。
夜はソファではなく、近くのダイニングチェアに座った。
「でも信じられない。本当に乃雨が、たった一人で警察を撃退したなんて」
「言ったでしょう? 私が鍵を握るって」
形のいい鼻をつんと持ち上げ、乃雨は得意げだった。
「あんなものをどうやって動かしたんだ?」
「心を通じ合わせるのよ」
「茶化さないでくれ」
「本当だって。私と”ヴァルナ”は一心同体だもの」
「ヴァルナ? それってヘドロ王の騎士で、巨人族の――」
「あー! お姉ちゃんハンカチ忘れてる! もう、しょうがないなあ」
いきなり大声を出すから、メガネのレンズを拭いていた九条が、驚いてメガネを落としそうになった。
「EXOギアって、ヘドロ島で開発したんですか?」
夜は九条に訊ねた。
「まさか。あれはもともと日本政府のものだよ」
「なんでそれがヘドロ島に?」
「三年前にも今回みたいな事件があったんだ。そのときあのEXOギアが、政府によって持ち込まれた。おれたちを相手にテストする気だったのさ。それをおれたちが奪取したってわけ」
「それじゃ強盗じゃないですか」
「政府だってこっそり民間人で新兵器のテストをもくろんだんだ。おあいこさ。そもそもEXOギアは建前上、レスキューや治安維持用のものだからな。ヘドロ島に持ち込んだことも、政府は隠してた」
「九条さんも昨日見たでしょう、私の活躍」乃雨が言った。「私とヴァルナがいたら島を守れるわ」
「いいや乃雨ちゃん、むしろ『過ぎたる力は身を滅ぼす』だよ」
桜花と同じで、九条も乃雨に頼るのは慎重なようだった。彼女の興奮を静めるべく、ゆっくりとした口調で彼は話しだした。
「おれたちの戦力なんてたかが知れてる。逆にあっちは何万人という警察と自衛隊を抱えてるんだ。政府からしたら、ヘドロ島に暴れてもらうほど戦力投入の口実を得られるってもんさ」
「でも戦わないと守れないじゃない」
「戦うことだけが戦略じゃないよ」
「たしかに戦車なんか投入されたらお手上げですもんね」
ぽつりと夜も自分の考えを述べた。
「それがなによ! 私のヴァルナで全部スクラップにしてやるわ」
「落ち着け。そのつど戦闘で勝つことを考えるのは素人だ。おれたちは戦略で勝つ」
ビジネス書にありそうな言葉だったが、元自衛隊員としての知見だろうか。
「そのためのフォークボール作戦、って言うんでしょう?」
「そのとおり。この絶体絶命の状況から一発逆転できるのは、代表とおれたち雷神チームが七年かけて準備してきたフォークボール作戦しかない」
夜は九条から希望を託されるような熱いまなざしを受けた。
「その鍵をにぎるのが、有村君さ」
みぞおちあたりがキュッとなった。
そんな目で見つめられても困る。
どうせバレるのは時間の問題だ。だったら早く白状したほうが、彼らのためにもなるのではないか。
夜は意を決した。
「じつはおれ、『SAKURA』なんて作れません。うそをついてました」
しん、とリビングが静まり返った。
九条など笑顔で固まったままだった。
「すみません、うそをついて」
「そうか」
九条はさらっと言ったが、その声は若干裏返っていた。
「しょうがないわ。巻き込んだ私たちに、文句を言う資格なんてないし」
こうなることも想定していたのだろうか。乃雨はあっさりと受け入れた。
「そうだな、うん、他の方法を考えよう」
その前に飲みものをもらえるかな。
九条は言うと、ソファから立ち上がった。冷蔵庫まで歩くと、中から冷えた麦茶のボトルをとり出すのだが、それを額にあてた。
「夜は気にしないで。これは私たちの問題だし。すぐ家にだって帰れるわ」
「あ、ああ」
なぜだろう。あまりうれしくなかった。
あんな父親のいる家だから、というのもなくはない。
だがそれよりも、この島でやるべきことが自分にはあると思いはじめていた。
「原始の炎――」
「なに? またヘドロ王?」
「いや、そうじゃない。昨日、警察といっしょにいた男が話してなかったか?『原始の炎を探しにいく』って」
「そういえばそんなこと言ってたわね」
「ちょっと気になったんだ。なぜヘドロ王と同じものを国も探すのか」
「それは本当か? 有村君」
九条が反応した。
「たしかその男は『調査官』って呼ばれてました」
「政府内で『調査官』と呼ばれるのは、内調の職員しかいない」
「内調?」
「内閣情報調査室だよ。いわゆるスパイ機関だ」
「なんで政府のスパイが、ヘドロ王と同じものを探すんでしょうか」
まさか日本政府もヘドロ王物語のファンなのかな、と冗談を飛ばそうと思ったが、まじめな顔で考え込む九条を見てやめた。
「どんな風貌だったか覚えてるかい?」
「背広を着てました。やけに痩せてて猫背で、顔色も悪くて、死神みたいな男です」
「乃雨ちゃん、そいつの姿をヴァルナからも見たかい?」
「いいえ、見てないわ」
乃雨は不思議そうな顔をした。
「まずいな……」
九条はつぶやくと、お茶をグラスに注ぎ、いっきに胃に流し込んだ。
それからゲップ代わりといわんばかりに言う。
「そいつ、まだ島に残っているぞ」
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