第16話 ヘドロ島の首都

 がらんとした街を二人で歩いた。


 五分ほど歩いたが、すれちがった住人といえば、犬の散歩をする老夫婦とウォーキングをする老婦人二人組だけだった。

 

 公園の前を通ると、ラジオ体操をする年寄りの集団しかいなかった。


「若い住人は仕事か?」


 夜は乃雨に訊ねた。


「そうよ。子供たちは学校」


「ちゃんと電気や水道も通っている。街並みも計画的できれいだ」


「ありまえじゃない。ゴミの埋め立てが終わったら、島は東京都の二十四番目の区になる予定だったんだから。その開発事業のために、都の職員やその家族もたくさんこの街で暮らしていたわ」


「でも二十二年前に島は閉鎖された。財政難と政治の混乱で」


「みんなが島を去ったわけじゃないわ。ここを第二の故郷とした人たちも大勢いた。さっき見たラジオ体操のお年寄りは、みんな東京都の元職員よ」


「都の退去勧告に従わなかった人々か」


「ええ。彼らが現在の美しい街の基礎を作ってきた。都時代が終わってからも、いろんな人間が神楽には流れ込んできたけど、みんなで力を合わせて街を発展させてきたのよ」


「ヘドロ島には、独自の火力発電所もあるって聞いたけど本当か?」


「中古のおんぼろだけどね。いま世界中が脱炭素の流れだから、びっくりするほど安値で中古の火力発電設備が取引されているの。それを金槌社ゴールデンハンマーの代表が購入して、街の電力問題を解決してくれた。水道水だって、代表がシンガポールから格安で引きとった中古の海水淡水化プラントだし。おかげで人口が増えても、なんとかやっていけてるわ」


「その代表って、どんな人間なんだ?」


「七年前に雷神チームとやって来て、ボロボロだった神楽を再建したヒーローよ」


「突如ヘドロ島に現れたヒーローか。まるでヘドロ王だ」


「ちょうど雷神チームはそのとき七人だったわ」


「ヘドロ王と七人の騎士じゃないか」


 そういえばヘドロ王物語も、出版されたのは七年前だ。奇妙な一致だった。


「私からも質問していい?」


 乃雨が首を少しまわした。横目で夜のことを見上げる。


 昨日からずっと、かたい表情だった。そういえば大学で会ったときも、彼女の笑顔は少しぎこちなかった。あまり他人と接するのが得意ではないのだろうか。


「あんたに膝を叩かれたトビーが言っていたわ。棒きれで膝の外側を叩かれただけなのに、痺れて足が数分間動かなくなったって。東洋のツボじゃないかと疑っていた」


「拳法ではツボじゃなくて経穴けいけつって呼ぶ」


「はり治療で使われるツボとはちがうの?」


「基本的には同じだ」


「なんでそれで足が痺れるの?」


「人体には血や気といった生命活動に必要な代謝物質があって、それを東洋医学では『気血栄衛きけつえいえ』という。このバランスが乱れると病気になるんだ。気血栄衛の通り道を『経脈』といい、経穴を刺激して経脈のバランスを整えることで、病気を治すのが東洋医学なんだ」


「つまりその逆のことを、トビーにやったわけね」


「そのとおり。おれの無泰むたい流は、古代中国にルーツがある。彼らは四十七の致命的な経穴を発見して『深穴』と名づけた。達人になると足どころか心臓だって止められる。あまりにも危険だから、使い手が皇帝から命を狙われたって話だ」


「ホントかしら」


 こけおどしだと乃雨は思ったのだろう。夜も本当のことはわからない。


「おれの師匠が言うに、皇帝から逃れてきた伝承者が千年前、日本に流れ着いて無泰流を創始したらしい。主に帯刀の許されなかった僧のあいだで伝わった。侍の甲冑は棒じゃ貫けない。ゆえに無泰流棒術では、鎧の隙間を縫う『深穴』への一撃必殺を極意とした」


「ま、トビーが実際にやられて証言するんだから、実力は本物なんでしょうね。でも昨日も話したけど、変な気は起こさないように」


「わかっているよ」



 話していると、町工場の集まるエリアに入った。トタンの建物が軒を連ね、金属を叩く音や機械の動く音が鳴り響いていた。


 乃雨の車椅子が『鉄学工房』という看板を掲げた工場へと吸い込まれていった。夜もあとに続いた。


 工場の扉は開けっ放しで、まるで訪問者を威嚇するようなプレス機やせん断機の獰猛な動きが、外からでもよく見えた。


 工場に入ると、この世の終わりみたいな騒音だった。鉄を機械でぶっ叩く音や大型送風機のモーター音、アーク溶接の音など、頭が痛くなりそうだった。


 乃雨は慣れた様子ですいすいと奥へ進み、作業台で図面を描いていた作業着の男と話しだした。


「夜、ここの社長が使っていないノートパソコンをくれるって」


 ぎっこんばったん、やかましい物音に負けないよう、乃雨は声を張った。


「古いやつだぜ。動くか確認したほうがいい」


 男は言った。六十代後半くらいだろうか。よく日に焼けて、深いしわが目尻に刻まれていた。角刈りでゴリラに似たいかつい顔なのだが、背が低く小柄なせいでキャラクター的な愛嬌もあった。


「で、この兄ちゃんは誰なんだ乃雨。まさか彼氏か?」


「んなわけないでしょう!」


 乃雨は噛みつかんばかりに車椅子から身を乗りだして否定した。


「兄ちゃん、名前は?」


 男に訊かれ、夜は答えた。「有村夜です」


「おれは飯塚哲治てつじ。鉄を叩き続けて五十年。この鉄工所で社長をやっている。いっとくが哲学の哲だぞ」


 鉄板ネタなのだろう。

 一人だけ笑う哲治に、乃雨が言った。


「夜にパソコンを見てもらうわ。どこにあるの、てっちゃん」


「そこの書類の下に埋もれているよ」


 すぐそばの事務机を哲治は顎で示した。


 乃雨にとってくるように促され、夜はパソコンをとりに行った。


 いたって標準的なノートパソコンだった。


「安物だし期待はすんなよ」と哲治。


「とりあえず動けばOKです。プログラミングだけなので」


「ほう、兄ちゃんプログラムなんてするのかね」


「はい」


「そういうのに強いんだったら、一つ頼まれてくれねえか」


「なんでしょう」


「数日前から仕事用のパソコンが故障してな、困ってたんだ」


「故障って、どんなふうに?」


「電源をつけても、青い画面のまま動かないんだ。キーボードをいくら押しても、うんともすんとも言わねえ」


「見せてもらえますか」


 すると哲治は事務室から一台のノートパソコンを持ってきた。作業台の上に置くと、電源をつける。たしかにブルースクリーンでエラーメッセージが表示された。


「顧客情報みたいな大事なデータは、バックアップをとっていたから無事なんだが、図面や求人のテンプレートなんかはこの中だ。できればとり出したいんだが」


「たぶんできますよ」


「本当か!」


「保存したい外付けメモリーをください」


 夜の求めに応じて、哲治がUSBメモリをとってきた。夜はそれを故障したノートパソコンに差した。あとはセーフモードで再起動し、ハードディスク内のデータをUSBメモリに移すだけだった。

 

 なんでもない復旧作業だったが、哲治はいたく感激して手まで握ってきた。


「ありがとう、助かったぜ」


「お安い御用です」


「有村君、ぜひ新しく買うパソコンも、おれに代わって選んでくれないか。くわしくなくて困っていたんだ」


「いいですよ。予算を教えてください」


「十万円ってところだ」


「だったらタブレット型がいいですね。最近は安くて性能がいいですから」


「任せる任せる」


 哲治は笑みをこぼし、夜の肩を叩いた。そして乃雨のほうを見やり「頼りになる男だ。おれのところにくれないか」と言った。


「そいつは小難しい理論を大学で学んでいる秀才よ。てっちゃんみたいに現場で汗をかくタイプじゃないわ」


「なんだ、兄ちゃん大学生かい」


 哲治は目を丸くした。


「はい。情報学を学んでいます」


「そんな賢そうな人間が、なんで乃雨なんかと仲良くしているんだ」


「ちょっとてっちゃん、それって私がバカだと言いたいわけ?」


 また乃雨が車椅子から身を乗り出した。


「い、いや、そういう意味じゃない。ただ不思議に思ってな」


「彼は神楽の協力者なの。わけあって私が世話しているだけ」


「そうかそうか、悪い。でもどうりで雰囲気がちがうと思ったよ」


「どういう意味ですか?」


 夜は訊ねた。


「ここはかりそめの楽園だ。外じゃ生きていけない弱虫が避難してくる」


「また自分を卑下して」怒ったふうに乃雨が言った。「てっちゃんは負け犬じゃない」


「いいや、おれは負け犬だ。父親から継いだ会社を潰して、家族同然だった従業員も路頭に迷わせた。なのに自分だけが、ヘドロ島でおめおめと鉄を打ってる。本当なら死んで償うべきなのによ」


「てっちゃんに生きることを許さないのなら、それは社会がまちがっているわ」


「いいんだ乃雨」言うと哲治は夜に向きなおった。「この街には、おれみたいな人間がわんさかいる。でもそんな連中が協力して、いまじゃこのとおり胸を張れる立派な街になった。兄ちゃんも力を貸してやってくれ」


「いえ、おれはそんな大それた人間じゃ……」


 と、かしこまる夜の手を哲治が握ってきた。

 鉄のように硬い皮膚だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る