第14話 乃雨との再会

 タウチーの案内でニライカナイから出た。


 もう目隠しはされなかったが、どこへ向かうかは教えてもらえず、暗い街を無言で歩かされた。


 しばらくして着いたのは、赤レンガの住宅だった。バリアフリーが施されており、玄関まではスロープになっていた。


 その住宅の二階へ案内された。


「ここが今日からおまえの寝室だ」


 とタウチーから宣告された。


 八畳ほどの広さで、家具はベッドとテーブルとからっぽの本棚だけ。ずっと使われていないのだろう。少しカビ臭かった。


 タウチーが気をきかせて窓を開けてくれた。


「必要なものはあるか?」と訊ねられるが、回答に困った。


「プログラムを作るんだから、パソコンくらいはいるだろ?」


 タウチーは笑った。


 あらためて見ると若かった。おそらく年下だろう。人懐っこそうな笑顔だし、悪い人間には見えなかった。だが彼も傭兵なのだ。


「スマホを返してほしい。連絡しないと家族が心配するんだ」


 訴えると、タウチーはあっさりと了承した。


 向かった先は一階のリビングだった。


 リビングはキッチンとのあいだに仕切りがなく、家具もソファとテーブル、テレビくらいしかなかった。


 まるでモデルハウスのようにすっきりした空間だ。

 なぜ広く空間をとっているのかは、住人を知って理解した。


「なんか用?」


 キッチンの冷蔵庫の前で、パックの牛乳をラッパ飲みしていた乃雨が、口元をぬぐいながらタウチーに言った。


「夜が家族に連絡したいらしい」


「いいわ。ここでかけてもらうけど、いい?」


 キッチンカウンターの上にある巾着袋を乃雨はとった。中に入っていたのは、没収された夜のスマホだった。


 しかし携帯ゲーム機を子供からとりあげた母親のように、こう彼女は夜に注文をつけた。


「心配しないように伝えたらすぐに切る、いいわね」


「了解だ」


 彼女からスマホを渡されると、夜は晴子にかけた。


 午後十一時前。まだ仕事中だろう。


 四回、五回、六回……。心の中でコールの回数を数えた。

 じっと乃雨に見つめられるから、気を紛らわせたかった。


 九回目のコールで、やっと通話はつながった。


「いま手が離せないからあとでいい?」


 晴子は小声だった。


「大学の研究室で合宿があって、しばらく帰れそうにない」


 夜も単刀直入に話した。


「どういうこと?」


「ほら、姉ちゃんにも話しただろ。いま研究室で大事な発表会を控えていて、その準備で忙しいって。それでしばらく大学に泊まって、たまった仕事を片づけようと思うんだ」


「わかった。好きにしなさい」


 晴子は早く会話を終わらせたがっていた。


「また連絡する。親父たちには姉ちゃんから話しといて」


 夜は電話を切った。


 すっと乃雨の腕が伸びてきた。夜はおとなしく彼女にスマホを渡した。


「おつかれさま。タウチーはもう帰っていいわ」


「本当に大丈夫か?」


「あとは私とお姉ちゃんでやる。心配しないで」


「でも……」タウチーはなにか言いかけたが、それを引っ込めた。「わかった。なにかあったら連絡をくれ」


「今日のことは本当にごめんなさい」


「そう思いつめるな。乃雨はよくやっている」


「ありがとう」


「じゃあ、おれは帰って休ませてもらうよ」


 タウチーは夜にも一瞥をくれた。さすがに「おやすみ」と言うのも変なので、夜は無言のまま彼が去っていくのを見送ることにした。


「座ったら?」


 静かになったキッチンの前でたたずんでいると、乃雨から声をかけられた。


 夜は窓際にあるソファまで歩き、座った。


 そのあとを乃雨も車椅子で追ってきた。


「本当にごめんなさい」


 急にしおらしくなって乃雨が頭を下げてきた。


「解放はしてはくれないのか」


「それだけはできないの」


 彼女の長いまつ毛が、彼女自身の心情でも表すように伏せられた。

 つらそうに見えたが、これが演技ではないとなぜ言える。


「この家、私の自宅なの。姉の桜花と二人暮らしよ」


「きみの車椅子を押していた女性か。彼女も仲間だったんだな」


「あなたが『SAKURA』を完成させるまで、私が身のまわりの世話をするわ」


「そりゃどうも。じゃあさっそくアレルギー食品のリストでも出そうか?」


 その冗談に、くすりとも乃雨は笑わなかった。


「私のことは乃雨って呼んで。月島だと姉と紛らわしいから」


「おれも夜でいい」


「じゃあ夜、縛ったりはしないけど、逃げてもムダだと言っておくわ。知ってのとおりヘドロ島は、江東区と桟橋でつながってるけど、そこには常に見張りがいる。他の出口を探そうと街から出ても、まわりは深い森だから遭難するだけよ」


「ここは本当にヘドロ島なのか?」


「そうよ」


「きみのような女の子が暮らしてるなんて」


「この島は故郷だもの。両親は島に住みながら働いてた東京都の元職員。私も姉も、この島で生まれ育った。故郷で暮らすのが悪いこと?」


「悪いなんて言ってない」


「やっぱり東京の人間なんて嫌い。私たちのことを蔑視してる」


「ひとを誘拐しておいて、その言いぐさはなんだよ」


「それについては謝罪するわ。本当に手ちがいだった。私たちは南条教授と交渉がしたかっただけなの」


「きみもテロリストの仲間なのか?」


「テロリストじゃないわ。『雷神チーム』よ」


「雷神チーム?」


「傭兵部隊よ。神楽を実質統治してる金槌社ゴールデンハンマーに雇われてるの。金槌社がヘドロ島の政府だとしたら、雷神チームは軍隊ってところ」


「もしかして乃雨、きみも――」


「私も傭兵よ。姉もね」


 乃雨は上着のポケットから、折り畳んだビラをとり出した。それを広げて夜に見せつける。


「あのメガネの男の人に伝えておいて。異星人がピラミッドを建てたとかいう話。とってもおもしろかったわ。バカバカしくて」


 泣くぞ、望月先輩。


「きみもヘドロ島の独立をめざしてるのか?」


「ええ。いまになって日本政府が奪還しようと躍起だけど、ここは私たちの故郷よ。奪わせはしないわ」


「それについては肯定も否定もしない。特定の政治イデオロギーには与しない主義なんだ」


「そう。よかったわ。ちょっとインテリっぽく見えるし、もし反論してきたら、ぶち殺そうと思ってた」


 初めて乃雨は笑顔を見せた。


 初対面の人間に、政治と宗教と野球の話をしてはいけない。古から伝わる格言は、本当だったのだ。


「夜、あんたは棒術の使い手みたいだけど、おかしな気は起こさないでね」


「おれが棒きれで傭兵チームに挑むほど無謀に見えるのか?」


「でもトビーを倒したじゃない」


「トビーって?」


「あんたに膝を叩かれた人。うちの傭兵会社の社長なの。最近ちょっとお腹が出てきたけど、歴戦の兵士よ。そんなトビーがあんたのこと高く評価してたわ。うちに欲しいくらいだって」


「そりゃどうも」


 そういえば、と夜は話題を変えた。


「乃雨、あのとききみの声が聞こえた」


「私の声?」


「つかまったとき、巨人みたいなのが現れて、きみの声がした」


「ああ、それ」


「あれはなんだ? 兵器なのか?」


 ヘドロ王の騎士にも巨人がいたけど――。という言葉は飲み込んだ。


「それ以上はNG。もとの世界に帰りたかったら、深入りはしないで」


 軍事機密ってことか。

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