第12話 ヘドロ島のテロリストたち
両手を縛られ、目隠しまでされ、夜はトラックの荷台に乗せられた。どこへ向かうかも教えられず、発言すらも許されなかった。
三十分くらい走っただろうか。トラックから降ろされた。
両脇を抱えられながら、無理やり歩かされた。あたりは静かだ。なぜか気温が下がって肌寒い。どこかの山奥だろうか。
拉致された理由がさっぱりわからなかった。ひたすら恐怖心と向き合わされる拷問のような時間が続いた。
建物に入った。
空気が温かくなり、BGMも聞こえた。沖縄民謡だろうか。ラーメン屋のような出汁のいいにおいがした。
椅子に座らされたあと、ようやく目隠しを外された。
明るさで目がくらむ。飲食店のようだ。琉球をモチーフにした内装から、沖縄料理店だと推測した。
赤いバンダナの男が、となりのボックス席に腰をおろした。監視役だろう。二本のナイフでジャグリングをしながら、じっと夜のことを見ていた。
ムチのようにしなる腕と細く鋭角的な体つきから、ヒョウを連想した。
相手がサバンナの殺し屋なら、自分は逃げ場をなくしてたたずむインパラといったところか。
相手も喋らないので、ひたすら無言の時間が流れた。
テーブルのメニュー表に視線を落とした。
ゴーヤーチャンプルー
ミミガーシークワーサーポン酢
とろとろラフテー
ソーキそばの島ラー油マヨ焼きそば
山羊の酢みそ和え
ナーベーラーみそ煮
自家製ジーマーミ豆腐
アグー豚のハンバーグ
やはり沖縄料理店だ。
走行距離からも都内である可能性は高い。東京の沖縄料理店だけなら、かなり絞れるのではないか。
もっとメニュー表から情報を得られないか。バンダナの男に用心を払いつつ、さらに探った。
泡盛とうちなー季節料理
ニライカナイ
店の名前だ。これは有力な情報になる。
あとは連絡手段さえ確保できれば、警察を呼べる。
店の奥から白いコック服を着た料理人風の男が、ホールに入ってきた。
男は七十代くらいで総白髪だった。年齢のわりにピンとした背筋で、戦前の偉人の肖像画を思わせる厳格そうな白い口ひげが特徴的だった。
「そいつはなんだ、タウチー」
男が赤いバンダナ男に訊ねた。タウチーが彼の名前らしい。
「例のターゲットですよ」
タウチーが答えた。
「うちの店で騒ぎを起こすんじゃねえぞ」
「そういう店長は、なんでそんな物騒なもん持ち歩いてるんですかね」
タウチーが指したのは男の右手に握られた出刃包丁だった。
「ふん、いま仕込み中なんだ。まったく、傭兵ってのはがさつでかなわねえ」
と言ったあと、彼は店の自動ドアのほうを見やった。
自動ドアから中年の男女が入ってきた。一人は五十代くらいでサラリーマン風の男、もう一人は白衣を着た同年代くらいの女性だった。
「もう閉店した」
コック服の男がぶっきらぼうに言うと、
「いやだなあ知念店長。今晩、商談に使うと予約したでしょう?」
サラリーマン風の男は、立てた人差し指を左右に揺らした。それから夜のほうに向きなおり、こう軽快な調子で言った。
「『あなたに正義を売らせてください』。はじめまして、弁護士の風間といいます」
彼は金色の名刺をテーブルに置いた。
ド派手な服装だった。白い帽子に白いスーツ、白いネクタイ、そして青いシャツ。『Smooth Criminal』で踊るマイケル・ジャクソンみたいだ。
ただし風間本人は、ただの短足おじさんにしか見えなかったが。
「手荒なまねをして申し訳ございません。しかしご安心を。私は弁護士です。ヘドロ島で企業専門の弁護士をしております」
ヘドロ島? 夜は自分の耳を疑った。
その反応を見て、風間は演技がかった笑いかたをした。
「おやおや。二十二年前、財政難で国と東京都から見捨てられたゴミ処分場に、なんで企業なんてあるのか、という顔をしていますね?」
そんな顔はしていないはずだが。しかし風間はおかまいなしに進めた。
「それを話すと長くなります。とりあえずヘドロ島には現在、いくつもの企業があるとご理解ください。たとえばリサイクル工場や鉄工所は品質のよさで広く知られていますし、WEBサイト運営や金融といった情報産業も盛んです。それらを統合するのが持ち株会社の
教授って、いったい誰のことだ? 夜は急な展開に戸惑うばかりだった。
「もう拘束は解いてあげていいんじゃない?」
白衣の女性が言った。
「そうだな。おいタウチー、彼の拘束を解くんだ」
風間に指示されて、タウチーがナイフを持ったままテーブルから下りて近づいてきた。
夜は身の危険を感じて体をすくめた。
だがタウチーは、指示されたとおりに夜の両手のロープを切るだけだった。
「あなたを拘束したのは、荒れくれ者の傭兵たちでして。決して暴力は使うなと命じたのですが、念のため本田医師に診察をしてもらいます。もし怪我をしていたら、わたくしどもで責任を持って治療いたしましょう」
風間はもみ手をしながら笑顔で話した。
夜は警戒しつつ、本田医師の診察を受け入れた。
痛いところはないかと彼女から訊ねられ、首を横にふる。それから背中や腕や胸の触診を受けた。
「問題なさそうね」
本田医師は風間に報告した。
「協力感謝します、先生」
「乱暴はしないでね」
「わかっています」
「じゃあ私は診療所に戻るから、なにかあったら連絡して」
使わずじまいの救急箱を抱えて、本田医師は自動ドアから店の外へ出ていった。
それと入れ替わる形で、また知らない男が部屋に入ってきた。タクティカルベストを着て、腰に骨まで楽に断てそうなコンバットナイフを差した大柄の男だった。
「尋問は?」
彼は風間に問うた。
「これからだ」
風間は答えた。
恐い人間には二つのタイプがある。たとえば生活指導の教師とかヤンキーの先輩とかは、なるべく目を合わせずにやりすごしたい一般的なタイプだ。しかしこの男の場合は、逆に目をそらすと喉元をかき切られそうな本物の恐さがあった。
「彼の名前はウパニシャッド。傭兵チームのリーダーです」
風間が夜に紹介した。
「おれの質問に答えろ。『SAKURA』はいまどこにある」
コンバットナイフの入った鞘に手をあて、ウパニシャッドが近づいてきた。殺気を感じた夜は身がまえる。
「ウパニシャッド、そういう態度はやめないか」
あいだに風間が割って入った。
ウパニシャッドを止め、彼はこう弁解する。
「すみません教授、彼も傭兵でして。交渉を戦争とかんちがいしているんでしょう。困ったものです、あはは」
ばあん、と指でピストルを撃つまねをして、風間はおどけてみせた。それで笑ったのは本人だけだったが、彼は続けた。
「私たちは『SAKURA』を求めています。どうか譲っていただけないでしょうか」
「なぜ欲しいんですか」
久しぶりに夜は言葉を発した。喉がからからで、声もかすれて出にくかった。
「くわしいことは話せませんが、ヘドロ島の平和のためとご理解ください」
「平和のためなのに、こうやって人を拉致するんですね」
「おっしゃるとおりです。私は反対したんですよ。しかしこのウパニシャッドは、脳みそも筋肉でできていまして。脅さないと教授は交渉に応じないと主張して……」
風間は右手を額にあてた。そしておおげさに首を横にふったかと思うと「いいえ、それは言い訳です。止められなかった私の力不足。どうかお許しください」と神妙そうに言った。
しらじらしかったが、非難してもしょうがない。
そんなことよりも彼らは重大な誤解をしていた。
「おわびとしてはなんですが、三億円を現金で用意しました」
「三億円!?」
「はい。三億円です。実際に持ってみます? 三十キロもあって重いのなんの」
まるで通販番組のように、風間は両手を広げてオーバーに表現した。それから親指と小指で、電話のジェスチャーをし「いつでもお申しつけください」と笑う。
「ちょっと待ってください。三億円ってなんですか」
「『SAKURA』に出すお金です。足りませんか?」
「そうじゃなくて、意味がわからないんです」
「やはり話し合いでは、らちがあかん」
ウパニシャッドが前へ進み出ようとした。それをまた風間が止める。
「まてまて、あと少しだ、私に任せろ」
「こいつはカネの話でも目の色を変えなかった」
そう言ったのは知念だ。出刃包丁を夜に向け「若いのに、いい面構えをしておる。わしの店に欲しいくらいだ」と本気か冗談かわからないことを言った。
「こういう人間は指をへし折るのが一番だ」
ウパニシャッドは言い放ち、ポケットから手袋をとり出した。
「かんべんしてくれ。これでも私は弁護士だぞ。拷問なんて認められるか」
「だったら家に帰っていろ。朝までには決着をつける」
「南条教授は必ず説得する。私を信用してくれ」
やりとりを眺めながら、彼らの正体について夜は一つの推定を得ていた。
彼らはヘドロ島を不法占拠するテロリストだ。
最近になってニュースが増えていた。ヘドロ島に独立国家を建設しようと企む連中だと。
だがそんなことよりも、いち早く解かねばならない誤解があった。
「あの……」夜は口を挟んだ。「自分は南条教授ではありません」
風間は目をぱちくりした。
「いまなんと?」
「自分は南条教授の教え子です。南条教授じゃありません」
「またまた、ご冗談を」
「冗談ではありません。学生証を見せましょうか」
夜はポケットから財布をとりだした。中から学生証を抜いて、風間に渡した。
まじまじと眺める風間の顔が青ざめていった。
たしかに南条は二十七歳と若く、おまけに童顔だ。元ハッカーで背広なんか着ない主義だし、よく学生とまちがえられると本人もネタにしていた。背丈も同じくらいだから、遠目で暗ければ勘ちがいもありえた。
「これはどういうことだ。説明しろウパニシャッド」
「うそかもしれない。学生証などいくらでも偽装できる」
「偽装した学生証を持ち歩く教授がいるもんか!」
「たしかめよう」
ウパニシャッドはコンバットナイフを半分ほど抜いた。ほとんど剣のような刃渡りだ。
よく磨かれた刀身が鈍く光り、夜は唾を飲んだ。
「その人はうそつきじゃないわ」
その声でウパニシャッドの手が止まった。
車椅子に乗った女性が、自動ドアをくぐり店内へ入ってきた。
「彼とはキャンパスで会ったわ。ね? 有村君」
その女性はベージュ色のブルゾンと黒色のスカートという大学で会ったときよりも大人びた服装をしていた。すらっとした脚はタイツで覆われ、靴は革のブーツだ。
「あんた、ヘドロ島の人間だったのかよ」
夜は乃雨に言った。
「そうよ。でもあなたに迷惑をかけるつもりはなかった。ごめんなさい」
聞いて夜は嘆いた。きっと暗号解読なんてしたせいだ。明るいうちに帰宅していれば、こんなことにはならなかった。
「なんてことだ」
風間も両手で頭を抱えた。
「ごめんなさい風間さん。手ちがいがあったわ」
「こういうことがないように、姉妹で作戦前の偵察に行ったんだろう」
「本当にごめんなさい」
「どうしてくれる! これで作戦はパーだ。私たちは意味もなく一般人を誘拐した。どれだけ重大なミスかわかるか」
風間は顔面を紅潮させながら、乃雨に向かってがなりたてた。
彼女は委縮してしまい、膝にのせた両手を握りしめ、うなだれた。
「そこまでだ風間。責任はおれにある」ウパニシャッドが言った。「責めるのなら、おれを責めろ」
すると肩で息をする風間から興奮の半分ほどが、すっと引いていった。しかし不満そうな表情だけは浮かべたまま、「どう収拾させる気だ」とウパニシャッドに問うた。
「『フォークボール作戦』に支障はない。ただ学生が一人消えるだけだ」
は?
ウパニシャッドの地響きのような低い声が、頭蓋内で共振したのだろうか。顎を撃ちぬかれたボクサーのように全身から力が抜け、夜は椅子から滑り落ちそうになった。
「待ってウパニシャッド、彼はこの件に無関係よ」
乃雨が訴えた。
風間も真顔になってウパニシャッドと正対した。
「そ、そういう非合法な行為は、弁護士として容認できないな。誘拐までなら……見ないふりもできるが」
「命まではとらない」
ウパニシャッドは言うと、タクティカルベストのポケットからスマホをとり出し、どこかにかけようとした。
まずい。あんなことを言うが命の保証は、たぶんない。
どうやって切り抜ける。この状況を――。
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