花火と嫉妬としまもよう

狗巻

第1話


 ちょうど一年前の今頃。和真が中学二年生だったあの夏、町の花火大会で偶然安祐美の姿を見かけた。安祐美は紺と白のしまもようの浴衣に、真っ赤な帯を締めていた。その隣にはお揃いの柄の浴衣に濃紺の帯を締めた背の高い男がいた。薄暗くなった空の下で二人の姿は映えて見えた。

 和真は友人達との待ち合わせに遅れそうで、昼間の暑さが残る中Tシャツに短パン姿のまま汗だくになりながら全速力で自転車を漕いでいた。しかし安祐美達の姿が目に入ったその瞬間、時間が止まった気がした。和真は自転車を漕ぐ足を休め、息を詰めて二人の後ろ姿を見送った。

 いつかは来ると覚悟していたはずだった。でもいざその時が訪れてみると、その事実は思った以上の重力で和真の胸を叩きつけた。和真は声を出すことも出来ないまま、再び正面を向いて自転車のペダルに体重をかけた。涙も出なかった。ただ一刻も早くその場から立ち去りたい。そう思った。


***


 和真と、一つ上の安祐美は幼馴染みだった。和真と安祐美の家は隣同士で、一人っ子の和真は安祐美を慕い、彼女の後ろをついて回った。お互いの部屋が向かい合わせだったので、家に帰ってからも合図を決めて懐中電灯で照らし合い、二人で窓越しに話をしたり、ふざけ合ったりしていた。

 近所には同年代の子供も多く、和真はたまに彼らにからかわれることもあったが平然としていた。好きな人と仲良くして何が悪い。でも成長するにつれて和真は次第に周りの目が気になるようになってきた。安祐美は前と変わらず和真と親しく接してくれていたのに、和真は彼女に対して邪険な態度を取るようになり、空気を察した安祐美も和真と距離を取るようになった。

 幼い頃は自然に接することが出来ていたのに、年を重ねる程、好きな人に素直な感情を出せなくなっていく。和真は勉強机に肘をついて安祐美の部屋の窓を眺めながら、大人に近づいていっているはずの自分の大人気ない振る舞いに葛藤と苛立ちを覚えた。


 安祐美が一年先に中学に入ってからは完全に疎遠になり、和真は時折遠目にセーラー服姿の安祐美を見かける程度になった。早く一年が過ぎればいい。そうすれば安祐美と同じ中学に通うことができるのに。そう思いながらやっとの思いで翌年の春を迎え、安祐美と同じ中学に入学した。しかし中学での一学年の差は思った以上に大きく、和真はまともに安祐美に話しかけることも出来ないまま、年月が流れていった。

 だから、花火大会で安祐美と男と歩いていたとしても和真には文句を言う権利もなかったのであるが、それでも彼にとってそれは大きな衝撃だった。その後何度も和真は二人の後ろ姿を思い浮かべた。その度に和真は、水滴が落ちるタオルを絞るような、胸が締め付けられる感覚に苦しんだのだった。


***


 やがて安祐美は中学を卒業して地域で一番の公立高校に進み、中学三年生になった和真は安祐美と同じ高校に進むことを決心していた。正直頑張らないと合格出来そうにもなかった為、和真は友人からの誘いも断って勉学に励むようになった。

 そんな和真の噂を聞きつけたのか、ある日家の前でばったり顔を合わせた安祐美が和真に話しかけてきた。


「和真君、うちの高校受けようとしてるんだって?」

「ああ。お袋から聞いたのか?」


 まともに会話するのは何年ぶりだろう。和真は鼓動が速くなるのを感じながら、努めて素っ気ない態度で安祐美のブレザーの制服姿を眺めた。しばらく会わない内に、安祐美は少し痩せて女らしくなっていた。昔はショートカットだったサラサラの髪の毛も、今は伸ばして肩で切り揃えてすっかり今時の女子高生だった。


「そう。合格判定結構厳しいって聞いたよ。勉強見てあげようか」


 安祐美は昔そうだったように、和真の顔を覗き込んで姉のような口調で言った。


「いらない。いつまでも姉貴面してんじゃねえよ」


 和真はそっぽを向いて吐き捨てるように言った。安祐美はそんな和真の様子をしばらく眺め、やがて口を開いた。


「和真君、毎日勉強漬けだってね。お母さんが心配してたよ。明日花火大会でしょ。一緒に花火観ない? たまには息抜きしても罰当たらないよ」

「はあ? 何で安祐美と花火なんて観ないといけないんだよ?」


 去年の花火大会での安祐美と男の後ろ姿が脳裏をかすめて、和真は思わず声を荒げていた。


「そんな怒らないでよ。とっておきの場所につれてってあげるから」


 受験を控えた中学三年生を花火に誘うなんてふざけてるのか、行く訳ないだろう。和真はそう口に出そうとした。でもそれは和真の本心とはかけ離れた言葉だった。安祐美と一緒にいたい。そもそも和真が勉強を頑張っているのも、安祐美と同じ高校に行きたい一心なのだ。それなのにここで意地を張って断ってしまっては、きっと後悔する。ここで恥ずかしさを我慢して素直に「行く」と言うだけで、明日安祐美と共に時間を過ごすことが出来るのだ。和真が散々躊躇した後に小さく頷くと、安祐美は白い歯を見せた。


「なかなか素直でよろしい」


 安祐美の屈託のない笑顔を見るのは久しぶりで、和真は照れ臭さと嬉しさで顔が熱くなるのを感じた。


***


 翌日、和真はクローゼットの前でどの服を着て行こうかしばらく迷っていた。浴衣など着て行って張り切っているように思われるのは嫌だったし、安祐美が私服だったら恥をかいてしまいそうだ。散々迷った後に、無難にお気に入りのTシャツとハーフパンツを選んで、無造作に髪をセットした。緊張の面持ちで安祐美の家のインターフォンを鳴らすと、二階の窓から安祐美が顔を覗かせた。


「和真君、もう少しかかりそうだからちょっと待っててね」


 しばらく待っていると、玄関から浴衣を着た安祐美が出てきた。去年と同じしまもようの浴衣に赤い帯だった。髪は軽く巻いてアップのお団子にしている。足元は帯と同じ色の鼻緒の下駄を履いていた。


「待たせちゃってごめんね」


 そう言って安祐美は和真に微笑んだ。和真は安祐美のいつもと違う楚々とした姿に見とれていた。これから安祐美を連れて一緒に歩けるのかと思うと和真の心は弾んだ。


「遅い」


 舞い上がる気持ちを隠してぶっきらぼうに答えると、安祐美は「ごめんごめん」と手を合わせて和真の横に並んだ。


「行こっか」


 そう言って安祐美は歩き出す。慣れない下駄のせいか、いつもより歩幅が狭い安祐美に合わせて和真はゆっくりと歩いた。いつも年上を強調するかのように振る舞う安祐美の女の子らしい姿に、和真は心密かにときめいていた。


***


 楽しげに話す安祐美の近況報告に相づちを打ちながら、和真は導かれるままに歩いた。久しぶりの和やかな雰囲気に、何も飾らず共に時間を過ごした子供時代が戻って来たような気がして、和真は浮き足立っていた。

 やがてあるビルの前まで来た所で安祐美は足を止めて、小さな籠バッグから鍵を取り出した。


「ここ、叔父さんが所有してるビルなんだ。屋上から花火が良く見えるんだよ」


 ドアを開けてビルの中に入る。ひんやりとした空気が身体を包み、暑い外との温度差が気持ちいい。


「涼しいね。生き返る」


 安祐美は目を閉じて深呼吸した。安祐美の思ったよりも長い睫毛を眺めながら、和真は落ち着かない気持ちになる。静まりかえったビルに安祐美と二人きりだなんて、一昨日までの自分は予想もしていなかったシチュエーションだった。エレベーターのボタンを押すと、年季の入った扉が重苦しい音を立てて開いた。

 エレベーターのやけに響く動作音を聞きながら、二人は黙って最上階まで上がった。安祐美の背中が自分のすぐ目の前に見える。真っ白なうなじが目に入り、和真は心臓の鼓動が速くなるのを感じていた。かん、かんと下駄の音を立てながら最上階から非常階段で屋上まで上り、安祐美は屋上に繋がるドアを解錠した。

 重たいドアを開いたその先には、錆びついた鉄の柵で囲まれたそんなに広くはない屋上の景色が広がっていた。ここらのビルの中では一番高い場所にあるようだ。


「今は何の変哲も無いビルの屋上だけれど、花火大会が始まったら、それはそれは綺麗に花火が見えるのだよ。期待してね」


 安祐美は得意げに鼻の下をこすった。花火なんて見えなくったって俺は安祐美と二人きりで居られるだけでいいよ、と思ったがそれを言葉になんて出せるはずもなく、和真は黙って薄暗くなった空に視線を投げた。


「去年は昼間の余熱で暑くってとても長居出来なかったけれど、今年は涼しいからゆっくり観られそうだね」


 何気ない一言に、和真は去年の花火大会での安祐美と男の後ろ姿を思い浮かべた。男と安祐美はここで花火を見たのだろうか。どす黒い気持ちが和真の胸を蝕む。


「去年は誰と来てたんだよ?」

「ん?」


 不思議そうな表情で和真を見上げる仕草がもどかしくて、ついきつい口調で安祐美に詰め寄ってしまう。


「俺、見たんだよ。安祐美が男といる所」

「ヤキモチ焼いてるの?」


 核心を突かれ、和真は言葉に詰まる。


「そんな訳ないだろ」

「じゃあその質問に答える義務はないね」


 そう言って安祐美はそっぽを向いた。和真はもどかしい気持ちで安祐美の横顔を睨んだ。安祐美のアップにした髪から耳に垂れる後れ毛がそよ風に吹かれて揺れた。風が夏の熱気で上がった体温を奪っていく。


「もうこんな時間。もうすぐ花火始まるね」


 安祐美が腕につけた時計に目を落として呟いた。日が落ちて、辺りは既に暗くなってきていた。やがてこの屋上は真っ暗になるだろう。そんな中で安祐美と並んで立っているのは何だか不思議だった。


「子供の頃さ、よく二人で布団の中に潜り込んでキャンプごっこしてたよね。あれ、すごく楽しかったな」


 そう言えばそんなこともあった。二人とも一人っ子だったから、お互いの家に遊びに行っては姉弟のように仲良くしていた。暖かい布団の暗闇の中で笑い合った記憶が脳裏に蘇り、和真は懐かしさに胸が一杯になった。あの時の安祐美と自分の息づかいまでもが、つい昨日の出来事だったかのように現実味を帯びて思い起こされる。


「あの頃の和真君は可愛かった。その和真君がこんなに大きくなって、私と同じ高校を目指してくれるなんて感慨深いね」

「別に、安祐美がいるからあの高校に行きたい訳じゃないからな」


 心を見透かされた気分になって、和真は慌てて否定した。


「へえ」


 含みを持たせた表情で安祐美はえくぼを浮かべた。


「まあ進学の動機は置いといて、和真君が行きたいんだったら私は手助けするよ。可愛い弟みたいなものだしね」

「だから、姉貴風吹かすなって」


 和真は拗ねた気持ちになって抗議した。良いようにあしらわれている感じが腹立たしい。そんな和真の気持ちを知ってか知らずか、安祐美は和真の話を軽くかわし、屋上の入り口の屋根を指さして手招きした。


「あそこに座ろう。花火良く見えるから」


 安祐美の浴衣の裾から露わになる素足にハラハラしながら、和真は安祐美が屋根に登るのを手助けした。そしてその後を追って難なく高台に上る。


「随分簡単に上るんだね」


 少々気分を害した様子で安祐美は和真を見上げた。和真にとっくの昔に身長を追い越されたことを未だに認めたくないらしい。お姉さんぶっているくせに割と大人気ないよなと苦笑しながら、和真は安祐美のすぐ隣に腰を下ろした。花火大会の決行を伝える花火の合図が聞こえる。


「ねえ、子供の頃一緒に花火大会に行ったこと覚えてる?」


 安祐美は音の鳴った方に顔を向けたまま、和真に身を寄せるようにして話しかけてきた。浴衣の袖が和真の腕に触れ、何だかくすぐったい気持ちになりながら和真は頷いた。


「覚えてる。安祐美の家族と俺の家族とで行ったよな。昼間から張り切ってビニールシート敷いてスタンバイしてさ。天気いい日だったからすげえ暑かったけど、夜の花火のこと話しながら待ってたら苦にならなかった。あれは楽しかったな」

「うん。あの時寝転がって見た花火、すごい綺麗だった」


 あの日のことは和真も良く覚えている。目を輝かせて花火を見上げる安祐美の姿は印象的だった。その時も安祐美はしまもようの浴衣を着ていた。今着ている紺と白ではなくて水色に白とか、もう少し淡い色合いの組み合わせだったかもしれない。浴衣姿の安祐美がやけに眩しくて、その時初めて和真は安祐美のことを女の子として意識したのだった。


「そういえばさ、安祐美ってしまもようが好きだよな。昔もそういう柄の浴衣を着てた気がする」

「そう言われるとそうかもしれない」


 安祐美はしみじみとうなずいた。


「うちのお母さん、裁縫が趣味でしょう? その時の浴衣も今着てるこの浴衣も、お母さんが作ってくれたんだよ。ついでだからって言って年の近い従兄弟の分まで一緒にあつらえるの。だから、男の子でも着れるようにしまもようの柄を選ぶことが多かったかも」

「へえ。従兄弟と仲いいんだな」

「うん。お兄ちゃんみたいなもんだよ。家族ぐるみで一緒に花火見に行ったりもするし」


 知らなかったな、と思いながら改めて安祐美を見やった。彼女のことは何でも知っていると思っていたが、知らないことが次から次へと出て来る。どんなに身近に居た人間であっても、全てを知るなんてことは到底無理なのかもしれない。よく考えてみると、自分自身のことですら、全てを知っている訳ではないのだから。

 辺りはもうすっかり暗闇に覆われ、二人が座っている場所は月の光と隣のビルの窓から漏れる照明でうっすらと照らされている程度だった。安祐美の白い肌が闇の中でぼんやりと浮かんで見えた。手を伸ばせば安祐美に触れることが出来る。思わず安祐美の掌を握ろうとしたその時、花火の爆発音が鳴り響いた。


「あっ始まった」


 安祐美が顔を上げたので、和真は慌てて手を引いて安祐美と同じ方向に視線を向けた。真っ暗な夜のキャンバスに黄色と白の小さな粒でちりばめられた大きな華が広がり、瞬きながら闇に溶けていく。


「うわあ、綺麗……」


 そう呟く安祐美の顔が花火の閃光に照らされる。潤んだ目が真っ直ぐに花火を見つめていた。長い睫毛が瞬きもせず正面を見据えている。続いて花火が打ち上がるひゅうという音が連続で鳴り響き、遙か頭上で何発もの華が弾けた。ピンクやらエメラルドグリーンやらの夏らしいパステルカラーの円が連なり、その賑やかな美しさに圧倒されて、安祐美も和真もただただ空を眺めた。


「今年ももうこんな季節かあ。つい最近新年を迎えたばかりだと思ってたのに、本当に時が流れるのって早いね」


 安祐美がしんみりとした声で言う。和真としては、安祐美が卒業した後の中学校での時間は抜け殻みたいで、時の流れの遅さをもどかしく思っていた位だった。でも一般的には安祐美の感覚の方が普通なのかもしれない。


「俺も早く高校生になりてえよ」


 柔らかい夜風が頬を撫で、夏の夜の蒸し暑さを和らげてくれる。


「私も和真君が同じ高校に来てくれたら嬉しいよ」


 本当に? ただの気休めだとしても安祐美にそう言ってもらえるなんて嬉しい、と和真は思う。


「でもやっぱり成績が心許ないんだよな」


 このままでは安祐美と同じ高校に行くなんて夢のまた夢かもしれない。和真は恨めしい気持ちになって安祐美に視線を返した。和真の気持ちを察したのか、安祐美はぽつりと言った。


「実は私も去年は従兄弟に勉強見てもらったりしてたんだよ。従兄弟がちょうどうちの高校のOBだったから」


 和真にとって安祐美の言葉は予想外だった。安祐美は成績も良いし、きっと受験に関しては何の心配もなかっただろうと和真は思っていたのだが、彼女は彼女なりに悩んでいたのかもしれない。


「自分が目指してる学校の話聞いたり勉強見てもらったりしてもらえるとやっぱり心強いよ。だから私も和真君が困っているならば力になりたいと思っているんだよ」


 そんなことを言ってくれる安祐美の優しさが心底心に染みる。でも安祐美の力を借りることなしに安祐美と同じ世界へと自力で進んでいきたいと和真は思っていた。好きな人に助けられるなんて、何だか格好悪い。


「気持ちはありがたいけど俺は一人で出来るから」


 そう言い切ると、安祐美は心配そうな表情で和真を見た。


「和真君が一人で出来るって言うならば私はこれ以上何も言うべきではないんだろうけれど」


 和真の母親から具体的な成績を聞いていて、それがとても大丈夫だとは思えないだけに気がかりなのだろう。

 また数発の花火が打ち上げられた。こちらを向いている安祐美の上で、大きな音と共にオレンジとレモンイエローの光が弾けて、無数の星となってきらめく。淡い光が安祐美を映し出し、幻想的な姿を描いていた。和真は現実的な話を一瞬忘れて、美しい幼馴染みの姿に見入った。

 安祐美も息を飲んで花火に見入っている。続いて上がった山吹色の色彩が弾けるのを眺めながら呟いた。


「花火、綺麗だね」

「綺麗だ。本当に」


 和真は思わず安祐美への素直な気持ちを言葉にする。そのまま二人はしばらく黙って、打ち上げられては散っていく花火を眺めた。ドンという音が鳴り響くと同時に暖色や寒色の光が弾ける。去年も安祐美は、ここであの男と一緒に花火を見たのだろうか。柔らかい曲線を描く安祐美の横顔を見つめながら、和真はは胸の奥からどす黒い感情が湧き上がってくるのを止められなかった。


「なあ」


 つい強い口調で安祐美に声をかける。


「去年一緒にいた奴って安祐美の彼氏なのか? ここであいつと花火見たのかよ」


 安祐美はきょとんとした顔で和真を見つめた後、ぶっと吹き出した。


「私の話ちゃんと聞いてた?」


 真剣な話をしてるのに何で笑うんだよ? 和真は顔が熱くなるのを感じた。何か大事な話を聞き逃したのかと今までの話を思い返してみたが、安祐美が言っているのがどの話のことなのか分からなかった。安祐美の言いたいことを汲み取ることもできない自分をもどかしく思う。早く安祐美に釣り合うような男になりたいのに。


「どうかしたのかな、和真君?」


 安祐美が余裕の笑みを浮かべて挑発するものだから、和真はつい躍起になって安祐美にぐいと顔を近づけた。地面に手をつくと予想外に安祐美に近い体勢になってしまい、自分から近づいた癖に和真は緊張のあまり固まってしまった。


「和真君ってさ、もしかして私のこと好きなんじゃないの?」


 冗談めかして言う安祐美に和真は瞬時に反論出来ず、ただ黙って安祐美の顔を見つめた


「あれ? 否定しないんだ?」


 すぐさま否定の言葉が返ってくるのを期待していたのだろう安祐美は、困った様子で和真の顔を見上げた。二人の間に訪れた沈黙の間を縫って、花火の音が鳴り響く。


「……本当のことだから」


 今更意地を張っても仕方ないかと諦めて、和真は大人しく頷いた。安祐美は明らかに困惑した表情で、言葉を選びながらゆっくりと話し始めた。


「ごめん、和真君の気持ちには応えられないよ」


 覚悟はしていたが、実際に安祐美の口から否定の言葉を聞かされるとさすがにショックが隠しきれない。安祐美は和真の表情を盗み見ながら言葉を連ねた。


「和真君はこれから受験で大事な時期だから、今はそんなこと考えるべきじゃないよ」


 そう言った後、安祐美は少し躊躇った後に付け加えた。


「それに今更中学生とお付き合いするなんてちょっとなあ」


 やっぱりそうだよな。安祐美の言うことは正しいけれどさ、断られるとそれはそれでへこむ。肩を落としてしょげ返る和真に、安祐美は表情を緩めて言った。


「そんな顔しないでよ。分かった、和真君に特別にチャンスをあげよう。和真君が勉強頑張って無事うちの高校に入学した暁には、交際について真面目に考えてあげるから」


 何だか上から目線の発言だったが、それでも今の和真にとっては願ってもいない言葉だった。和真は満面の笑みを浮かべて安祐美に詰め寄った。


「本当に? 絶対だぞ、約束だからな」

「考えるって言っただけで付き合うとは言ってないからね」

「分かってる」


 決戦の時に向けて、安祐美に釣り合う自分になっているように頑張るだけだ。勢い込んでそこまで考えた所で、ふと最近受けた模試の結果を思い出す。そういえば志望校の合格判定結果は随分と悪くて、一人でこっそりと落ち込んでた所だった。この際、体裁なんて気にしてられない。自分の目的に一歩でも近づくために、利用できるものは何でも利用すべきなのかもしれなかった。


「安祐美、今更言いにくいんだけど……」


 一瞬言いよどんだ所で安祐美はにやりと笑った。


「皆まで言わなくても大丈夫。私が和真君の勉強見るよ。和真君の成績は私が保証してあげるから」


 お見通しだったか。今まで散々拒否してきたのに今頃になってこんなことをお願いするのは非常に格好悪かったが、背に腹は代えられなかった。そもそもせっかくの申し出を意地を張って断ってしまうこと自体、大人げない態度だったかもしれない。安祐美は自分の勉強も忙しいだろうに、和真のことを心配してそんな提案をしてくれていたのだ。口では和真のことなんて相手にもしないような物言いをしているけれど、本心では和真のことを気にかけてくれているに違いなかった。和真は少しだけ調子に乗って、安祐美に言った。


「あのさ、俺が安祐美と同じ高校に受かったら、もうひとつ叶えて欲しいことがある」

「何?」


 そう言って和真を見上げた安祐美の背後で、淡い水色の花火が弾ける。


「来年も一緒に花火を見たい。今度はお揃いの浴衣着て」


 無数の水色の破片が空に飛び散り、瞬きながら消えていく。


「私とお揃いだと、和真君もしまもようの浴衣を着ることになるよ」

「望む所だ」


 即答すると、安祐美は屈託ない笑顔を見せた。


「いいよ。だからちゃんとうちの高校に来てよ? 和真君」


 気持ちが高揚していた和真は、赤色の花火が打ち上がる中、安祐美に顔を近づけた。


「後さ、キスしていい?」


 そう言ってすぐ側にある安祐美の唇に自分の唇を重ねようとすると、すかさず手でガードされた。


「こら、調子に乗るんじゃないよ」


 厳しい口調で咎められる。相変わらず隙がないな。


「嘘です。調子に乗りました。ごめんなさい」


 和真が肩をすくめると、安祐美は表情を緩め、笑って言った。


「和真君。そういうのは、お付き合いしてからじゃないと駄目なんだよ」


 お付き合いしてからならばいいのか? 気のせいだろうか、安祐美は自分のことを嫌がってはいないように思えた。

 これは可能性があるのかもしれない。そう考えると、和真は俄然やる気が湧いてくるのを感じた。


「分かった。勉強頑張る。花火大会終わったらさっさと家に帰ろう。さっそく勉強見てくれよ」


 そう言うと、安祐美は不満げな声を上げる。


「えーっ嫌だよ。今日はせっかく浴衣着てるんだからしばらく余韻を楽しませてよ。勉強なら明日から見てあげるから」

「何だよそれ。人がヤル気になってるっていうのに」


 二人がそんなやりとりをする背後で、花火大会はクライマックスを迎え、花火が華やかに打ち上げられる。良く通る破裂音と、後から追って聞こえるぱらぱらという音が連続で鳴り響く中、和真は心の中で強く思った。

 絶対安祐美と同じ高校に受かってやる。安祐美が勉強を見てくれると言っているんだから、落ちる訳にはいかないだろう。


「頑張ってね。和真君」


 隣で安祐美が微笑んだ。


「ああ」


 和真は大きく頷いて花火を見上げた。

 来年もこの花火を二人で眺めよう。お揃いのしまもようの浴衣を着て。


--完--

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