第40話 旧友


「俺が、門番の任を解かれて追放された後、」

「言葉は正しく使え。お前は禁忌を侵した。魔族としてやってはならない――魔王殺しをした」

「ああ。お前の父親を殺した」


 魔王殺し。

 それは魔族が犯し得る罪の中で最も重い禁忌だった。

 その罪を犯したものは、処刑さえ生ぬるい。

 ゆえにサキは、この空間に追放された。常人が訪れることのできない場所に。

 ここは時間の流れも、空間の動きも定まらない、摂理のない『狭間はざま』だ。


「その後、この店を開いた。年に一人、誰かが訪れれば良い方だったが、十年前からしょっちゅう顔を出すようになった子がいた」

「アマリリスだな」

「ああ。母親が死んだと言っていた。その瞬間彼女は何らかの形で、ここに来る資格を得てしまったのだろう」

「ここに来る資格?」

「ここに来られる人間は、世界からほんの少しだけ浮いているんだ。文字通りの意味で」


 それはさながら風船や雲のように。

 世界からほんの少しだけ遠い存在。ひょんなことからすぐどこかへ流されてしまうような、危うい存在。

 けれどその分、世界のルールが少しだけ通用しない存在でもあった。


「アマリリスに呪いが効かず、毒が通用しないのはそのせいか……。俺の姿が全くの別物に見えているのも」

「ああ。恐らく彼女とお前の存在する『階層』が、微妙にずれているせいだ。何と言っても彼女は浮いているんだからな」


 浮いているというのは、ほとんど同じだが、細部が微妙に異なる階層を生きている、と言い換えることもできるのだろう。

 階層が若干異なるために、アマリリスの目には、魔王がはりねずみに見えたのだ。


「俺は『漂流者』と呼んでいるが、そういう人間は概して、世界の影響を受けにくい。毒や呪いは、彼女にとっては刺激の一部でしかないのだろう」

「だから呪われた品々を嬉々として集めているわけだな」

「これは俺の仮説だが、多分あの呪われた品が、世界にぎりぎり留まっておくための重石になっているんじゃないか」


 サキはそう言うと、目を細めた。


「お前がここに来たのは、アマリリスを探すためか」

「ああ。彼女は、聖女の展開した矢の魔術陣を解除し、修道院に転移魔術を使った後、姿を消した」


 魔王は静かに尋ねる。


「彼女はここにいるんだろう。お前と同じ空間に」

「恐らく」

「探すにはどうすればいい。アマリリスのことを強く念じればいいのか」

「アマリリスは『狭間』に閉じ込められた。『狭間』がどれだけ広い空間なのか、俺にも分からん。見つからない可能性の方が高いだろう」


 サキは、アマリリスのしたことは『狭間』の裂け目を大きく広げるようなことなのだ、と言った。

 アマリリスと『狭間』には、元々微かな繋がりがあり、アマリリスの使う魔力は常に『狭間』から供給されていた。

 日常的に使う魔力をもらう分には、ほんの僅かな裂け目で事足りた。

 だが、矢の魔術陣を引き剥がすほどの魔力量を『狭間』から受け取るためには、裂け目を大きく広げなければならなかった。


「アマリリスは『狭間』の裂け目を大きく広げ、その結果『狭間』側に飲み込まれてしまった。元々世界から浮いている奴ほど飲まれやすい」

「……お前はアマリリスを探せないのか」

「無理だ。『狭間』は広すぎるんだよ。俺だってここに店を構えるために、数百年もかかった」

「つじつまが合わない。お前が追放されたのは百年ほど前のことだろう」

「だから、ここは時間の流れが違うんだよ」


 サキは乾いた笑みを浮かべた。年月が、彼の心をすり減らしているのがよく分かった。

 ここにアマリリスはいるのだ。そう思うと魔王は背筋が震えるような恐ろしさと怒りを覚えた。


「矢の魔術陣について調べ始めたアマリリスは妙に落ち着いていた。まるで、問題はすっかり解決したような顔でいるから、変だと思った」

「……俺が教えたからな」

「何だと?」

「俺が『狭間』から凄まじい量の魔力を受け取る方法を教えた。アマリリスには才能があったから、簡単に――」


 魔王はサキの顔を殴り飛ばした。サキは避けずに拳を受け、床に激しく倒れ込んだ。


「教えたら、アマリリスはそうするに決まっているだろう!? お前はそんなことも分からなかったのか!」

「……はっ。分かってたに決まってるだろう、分かっていてなおそうした。俺みたいなやつを、増やしたかったから!」

「っ、貴様」

「ディルムッド、お前には分かるもんか。魔王として華々しく戦っていたお前には。魔族を守るという使命に燃えていたお前には。絶対的な力を持ち、仲間にあがめられ、頼りにされるお前には、ここで一人過ごす俺の気持ちなぞ永遠に分からない!」


 吼えるサキの形相には、かつて魔王の幼馴染だった頃の様子はない。

 彼が独りぼっちで過ごした年月が、すっかり奪い去ってしまった。


「それに、少しは感謝してくれてもいいんじゃないか? 俺がアマリリスに翡翠の玉を渡したから、お前たちはラヴィーノの手帳を読むことができて、聖女の企みを阻止することができたんだから!」

「アマリリスを探す手がかりは」

「だから、魔族に貢献した俺を、お前たちの世界に戻してくれよ。もう『狭間』は嫌だ、こんな場所で一人で過ごすのは、嫌だ……!」

「アマリリスはどこにいる!」


 サキの悲鳴は、アマリリスの悲鳴でもあった。

 一刻も早くアマリリスを探し出さなければ。魔王はもはやそのことしか考えられない。

 常に冷静な紅玉の瞳が焦りに歪む。滅多にお目にかかることのないその顔を見、サキは醜く笑った。


「手がかりなんかない。お前も『狭間』を彷徨えよ。魔王様くらいの才能の持ち主なら、百億分の一くらいの確率で、元の世界に戻れるんじゃないか?」

「……お前はアマリリスを憎んでいたのか。だから、自分のようになればいいと思ったのか」

「まさか! あれほど眩しくて綺麗でお前に似て、忌々しい娘は他にいないよ」


 かつての幼馴染の顔を見、魔王は一瞬、同情の余地はあるかも知れないと思った。

 だがそれよりもまずアマリリスを見つけることだ。

 彼女を失うということを考えるだけで、心臓が止まるような心地がした。


「俺はアマリリスを探す。もし手がかりが見つかったら、ソフィアを通じて俺に知らせろ」

「……アマリリスが羨ましい。どうせ無理だけど、探してくれる奴がいるんだから。なあ、やっぱり俺も、身を挺して魔族を守るとか、そういう奉仕の精神があれば、追放されなかったと思うか」


 うすら笑いを浮かべるサキ。

 魔王はその顔を再び張り倒したくなるのをこらえて、言った。


「俺はアマリリスが魔族を守ったから探すわけじゃない。――彼女にまた会いたいから、探すんだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る