第39話 旅
魔王は信じられない光景を目撃する。
まるで巨人が、好き勝手に建物を引っこ抜いて、無造作に積み上げたように。
新築の修道院が十九、聖女の背後にばらばらと立ち並んでいる。
悪夢めいた眺めだ。馬鹿みたいに口を開けた聖女の顔と合わせて、いつまでも見ていたくなる。
だが、魔王の心は弾まなかった。
「アマリリス?」
アマリリスの姿がない。この偉業を成し遂げた張本人が見当たらない。
嫌な予感がした。こういう予感ほど当たってしまうのが腹立たしかった。
魔王は鼻をひくつかせ、アマリリスの匂いを探る。
「アマリリス!」
叫ぶ声は空しく響く。
魔王は振り返り、頭を抱えながら何事か叫んでいる聖女に向かって、
「お前がやったのか!」
「知らないッ! 私じゃない!」
金切り声で応じた聖女は、魔王の声に狼狽を見たのだろう。
髪を掻き乱したまま、口元にだらしない笑みを浮かべる。
「想定外、なんですね? あの女がいなくなったのはあんたも知らないことだった」
「……」
「っは、ははははははは! ざまあみろ! あの女がいなくなったくらいで、私の悔しさは収まらないけどッ! ほんの少し、ちょっぴり、溜飲が下がりました!」
何かにとりつかれたように笑い続ける聖女の声は、もう魔王の耳に入っていない。
魔王は既にドラセナ城の本体に戻り、ソフィアに命令を飛ばしていた。
「ソフィア。アマリリスの行方は」
「アマリリスがいなくなったんですか!? 魔王様、ずっと見ていらしたのでは……!」
「一瞬目を離した隙に、煙のように消えた。そもそもなぜアマリリスにあんな真似ができた? あんな膨大な魔力を使えた?」
アマリリスは、特定の修道院に展開された魔術陣を引き剥がし、更にその修道院を一か所に集めてのけた。
十九を超える巨大な魔術陣を、遥か遠くから引きはがす。それだけでも尋常ではないのに、転移魔術まで行使した。
「あれは一人の娘が、何の代償もなしにできることじゃない」
代償。
自分の発した言葉が、妙に響いた。魔王は硬直し、その言葉の意味を玩味する。
「……アマリリスは、自分の身と引き換えに、あれほどの魔力を行使したのか」
「そんな……!」
ソフィアは眉をひそめたが、魔術に長けた彼女には、魔王の言葉が正しいであろうことが分かってしまった。
代償のない力はない。それは魔術だって、魔族だって例外ではない。
それでもソフィアは、引き絞るような声で訴える。
「でも、アマリリスは。魔王様に何か言わずにいなくなってしまうような人間では、ないはずです……!」
魔王は答えず、ただじっと足元を睨み付けていたが、やがてふと顔を上げて、地図の上を見やった。
そこにはラヴィーノの手帳を解読する際に使った、翡翠の玉が転がっている。
風もないのにその玉が、ゆらりと揺れて、魔王を誘う。
「……」
魔王は静かにその玉を摘まみ上げた。
すると、かちりという音と共に、足元が沈み込む。
覚えのある感覚に、魔王は抗わず、ただ飲み込まれるままに姿を消した。
ふと気づくと、魔王は小さな部屋にいた。
豪奢なソファにテーブル、毛足の長い絨毯に、タイトルが判別できない本が並んだ本棚。
窓には全てカーテンがかかっており、部屋にあるべき扉はない。
「ディルムッド」
「……お前は!」
魔王の名を呼んだのは、長い赤毛を持つ知己だった。
優男風の出で立ちで、白くて長い衣をまとっている。
魔王がかつて親しくしていた頃と少しも変わらない容姿なのに、その目ばかりが、何かに倦んだように暗く光っている。
「今はサキと名乗ってる。どうかその名で呼んでくれ」
「……サキ。ここはどこだ」
「俺の店だよ。求める者しか入れない、世界の『狭間』にある空間だ」
サキはソファに腰かけると、魔王にも座るよう促した。
魔王は少し迷って、サキの向かいに座った。
しばらく沈黙が続く。魔王は微動だにせず、ただ紅玉のごとき目でサキを見つめている。
根負けしたサキは、ため息と共に、用意してきたように話し始めた。
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