第30話 宣戦布告



 私は聖女を見下ろしながら告げる。


「魔王や魔族の現状も知らないで、よくもまあぺらぺらとオウムのように喋ることができましたわね」

「なっ……!」

「それに魔族を滅ぼしたい動機とやらも、子どもじみていらっしゃる。それで本当に魔王を殺せるとお思い?」

「思ってるに決まってる! アハハ、馬鹿なの鈍感令嬢サマ? だって私は白い魔素を持つ聖女ですよ? 魔王を始めとした魔族の天敵、そして今や、修道院で私の言うことを聞かない者はいない。聖猊下せいげいかとて、私の命令に応じないわけにはいかないんです」


 よろりと起き上がった聖女は鼻血を出していたが、血を拭おうともせず唇まで垂れ流すに任せている様が、いっそう彼女の表情に禍々まがまがしさを加えていた。

 私は彼女の言葉を思い出した。


「貧民なんか何人死のうとどうでもいい、ですか」

「当然でしょう? まさか私に道徳を説こうってんじゃないですよね?」

「いいえ、それは私が散々言われてきたことですもの。あなた王宮をご存じ? あそこではね、敵対する者に人権はありませんのよ。奉仕活動をする私への風当たりの強さったらもう、ハリケーン並みでしたわよ~!」


 ですから、と私は聖女から少し離れる。

 恐らくは仕返しをしようとしている彼女の拳が、不器用に握り締められていたので。

 案の定、聖女は見え見えの軌道で腕を振り回したが、私は半身になってそれを避けた。


「私が言いたいのは、手垢のついた言葉で私を止められるとは思わないで下さいまし、ということです」

「へえ? じゃああんたは何をするんです?」

「あなたの主義と私の主義が真正面からぶつかっている以上、戦うしかありませんわね。ぶちのめしてさしあげてよ」

「できるわけないです。なぜって、魔族はもうほぼ負けているに等しいから」


 聖女はいたずらを企む子どものようにニタニタと笑っている。


「魔族どもの首に縄はかかってる。あとはそれを引き絞るだけでおしまいです、ご愁傷様! 幽閉された鈍感令嬢にできることなんか一つもありはしないんですよ!」

「それはやってみないとわかりませんわね? 私の拳があなたの顔面に綺麗に入ったように」

「この……っ!」


 聖女は腕を振り上げたが、それは兄によって止められた。


「聖女殿。妹の暴言は謝罪しよう。妹が黒い魔素に侵されていないことも把握した」

「暴言の前に暴行について謝罪して欲しいんですけどね」

「聞きたいことがある。あなたは魔王を追い詰めているのか? もし魔王というキングにチェックをかけているのなら、それを国王にも報告せよ」

「そんなことしてる暇ないです。大体私は、レオナルド・ラヴィーノをむざむざ死なせた王族を信頼していませんので」


 レオナルド・ラヴィーノの狂信者と堕した聖女は、兄の手を振り払って、後ずさった。


「何にも悪いことはしていません。ただ魔王を殺して、魔族を滅ぼすだけ。人間にとってメリットのあることしか私はしていませんから、そんな顔で睨みつけないで下さいよ」


 聖女は卓上のベルを鳴らす。

 部屋のすぐ外で控えていたと思しき修道士たちが、部屋の中に駆け込んでくるなり、すごい形相で私たちを睨んだ。

 まがりなりにも王族である私たちにこの振るまいだ。

 よっぽど命が惜しくないと見える。

 かちんときた様子の兄を押し留め、私は慇懃無礼なまでに丁寧なお辞儀をした。


「お忙しい中面会のお時間を割いて頂き、感謝申し上げますわ、聖女様」

「さっさと出て行って下さい」

「ええ、でもその前に。――残念ですが、私はきっとあなたの企みを完膚なきまでに打ち砕くと思いますの」

「はあ?」

「ですからどうか、恨まないで下さいましね」

「幽閉されてる女が何を言ってんだか。はいはい、負け犬の遠吠えは聞きましたから、ほんとにさっさと出てって下さい」


 私と兄は修道院を辞去し、静かに馬車に乗り込むと――。


「はああああああああのクソ女何考えてますの!? 魔族を滅ぼす? 魔王を殺す? ただの聖女のくせに片腹痛いですわよ~!」

「王族に、というかアマリリスに対してあの態度は何なんだ!? 今からでも不敬罪で首刎ねられるぞ王族の気まぐれで死んだ聖女など掃いて捨てるほどいるからな貴族法の判例ここで暗誦してやろうか!?」


 と、大音量でキレ散らかした。

 このシンクロ具合はさすが兄妹、と言ってもいいだろう。兄がいて良かったと初めて思った。


「あれを野放しはさすがにまずい。お父様に進言する。お前への罵詈雑言も含めて厳罰を与えてもらおう」

「ですが多分正攻法で反論してきますわよ。魔族の根絶は、あの女の言う通り、メリットしかありませんもの」

「まあな……。だが実現不可能だろう。あれは聖女の大言壮語に過ぎない」


 私もそう信じたいが、魔王を始めとする魔族が弱っている、という現状がある。

 魔族どもの首には縄がかかっている、と聖女は言っていた。

 とすれば、事態は向こうの思惑通り進んでいると見て良いだろう。


「……止めなければ」

「魔族を助ける、ということか」

「それ以外に何がありますの」

「アマリリス、お前の博愛の精神は美しい。だが、魔族は私たち人間に害を及ぼすものだ。それらの命をいちいち慈しむことは、神に等しい御業みわざであり、人間の身には過ぎた真似だと思う」

「そんな崇高なものじゃありませんわ」


 神の視点で――つまり、命あるものは全て尊い、というような考えで、魔族を助けたいと言っているわけではない。

 と同時に、聖女の考えが、邪悪なものとも思わない。もちろん私の主義とぶつかる時点で、聖女には考え直してもらわないといけないけれど。


「これは奉仕活動の延長にあるものですわ。つまりどこまでも『お嬢さんの暇つぶし』の域を出ないものと思って下さいまし」

「お前の奉仕活動は、お嬢さんの暇つぶしの域を超えているだろうに……そもそも暇つぶしで聖女率いる修道院を敵に回すか」

「私幽閉されてますのよ? 潰すべき暇が大きすぎますから、修道院ぐらいを相手にするのがちょうどいいと思いますの」


 幽閉されているということは、失うものは何もないということだ。

 そもそも、聖女の顔面に一発お見舞いしてやった今、聖女と私はバチバチの対立関係にあることが確定した。

 だからもう、ひたすら前へ進むしかないのだ。


「……暇つぶし、と言い切るのだな、お前は」

「え?」

「きっと何か心の中で決めていることがあるのだろう。そうでなければここまで奉仕活動に熱中しない。……だがそれは、誰にも明かせないものなんだな」


 どこか寂しそうに言う兄は、心配するように私を見た。


「お前は決して本心を明かさない。王位継承者としては完璧な振る舞いだ。だが幽閉された今でも、そのように厳格に振る舞う必要はない」

「……」

「お前がそこまで、誰かを助けたいと思う気持ち、その理由は、私にも言えないことか」

「そういうわけじゃ……ないんですのよ。ただ、本当に大したことではないのですわ。単なる意地とでも言いましょうか、いずれにしてもお兄様にお聞かせするほどのことではないのです」


 これは拒絶だと分かっていながら口にした。

 兄はそうかと言って軽く微笑むだけだったが、その眼差しには確かに寂しさが宿っているのが分かった。

 かすかな罪悪感を覚えながらも、私は思う。本当に、他人に告げるまでもないことなのだ。

 これは私の単なる我がままなのだから。

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