第22話 プレゼン開始



「聖女様にお会いする、ねえ」


 私はお出かけ着を脱ぎ、簡素な室内着に着替える。

 兄と別れた私は、ドラセナ城まで転移魔術で戻って来た。

 サキから買い取ったコレクションは、一旦部屋に置いておいて、あとでゆっくり整理するつもりだ。


「私、あんまり事を大きくしたくないのですけれど。サキったら何を考えて、私をお兄様のところに飛ばしたのかしら」


 あの時お使いを頼まれなければ、いや、膝の上に転移させなければ、魔王の気配なんて気づかれなかったし、聖女に会うなんて面倒な話にはならなかった。

 だが、私が幽閉された理由は聖女にある、と知ることができたのは収穫と言えたかもしれない。


「恨む気持ちは全くありませんが、聖女様といっても意外と俗っぽいんですのねえ。私が始めた慈善活動に横やりを入れられていたら厄介ですけれど、そこは聖女様の御心を信じましょう」


 幽閉されてから、慈善活動には一切かかわっていない。

 私がいなくても活動が進むように体制を整えているし、幽閉された王族がのこのこと現れては、向こうに気を使わせてしまうからだ。


「でも私、伊達に『鈍感令嬢』ではないのですけれど」


 黒い魔素は鈍感な私の体を苛むことはない。

 王宮にいた頃、念のために医者や魔術師に診てもらったが、私の鈍感さは感覚が鈍いだけではなく、人間が普通ならダメージを受けるようなものでも、無効化してしまえる類の鈍感さらしい。

 カバやサイの皮膚が異様に分厚く、獅子に噛みつかれても微動だにしないのと同じことだそうだ。


「……魔王がはりねずみなら、私はカバかサイかしら。それはそれで楽しそうですが」

『何を一人でぶつぶつと言っている』


 そう言いながら現れたのは、あれほど探したはりねずみの魔王だった!

 その瞬間、聖女のことは頭から吹き飛んだ。

 今すべきは過去を振り返ることではなく、目の前の問題に取り組むことだ。

 私はしゃがみこみ、一週間ぶりの可愛らしい姿を堪能する。


「ごきげんよう、魔王様。本日も愛くるしい棘でいらっしゃいますわ」

『魔王”様”? なんだ、ついに俺と結婚する気になったか?』

「寝言は寝ておっしゃいな。探しましたのよ、一週間どちらに行っていましたの」

『探した? 俺を? 何のために』


 少し驚いたように言うはりねずみに向かって、私はかわいらしく首を傾げてみせた。


「私をダンジョンに連れて行って下さいませんこと?」

『断る』

「まあまあ、世間知らずの令嬢のお守りだと思ってぐっとこらえて下さいまし」

『それを自分で言うか。……何を企んでる』


 ぎろり、とはりねずみらしからぬ眼光で睨まれ、私はそっぽを向いてひゅーひゅー口笛を鳴らした。


『ちゃんと吹けていないぞ。ソフィアが何か言ったな、ったく……。あれは話しすぎる』

「いいえ、彼女はしっかりと要点を押さえていてよ。単刀直入に申し上げて、今のダンジョン運営は健全とは思えませんわ」

『部外者ほどよくさえずるものだ』

「まあ、私の口笛が鳥のさえずりのように聞こえるだなんて、お上手なんだから。何が健全ではないかと申しますと、やはり魔王一人でもたせているというところかと」


 はりねずみはため息をつき、さっさと背を向けてしまう。

 私はその行く手を阻むように立つと、


「もし、仮にですわよ、誰かに攻め込まれたとして、その場合の守りが手薄です。戦える魔族ももちろんいるのでしょうが、”大侵攻”の時に比べてはるかに数が減っていると聞いておりますわ」

『攻め入られることなどない。この俺が守りを固めている限りな』

「ええ、それは理解していてよ。ですが世の中何が起きるか分かりません。私の母は爆散しましたし、私は幽閉されています。一寸先は闇とはこのこと! おお、恐ろしいっ」


 白々しく叫ぶと、はりねずみは足を止めてじっとり睨んできた。

 私の演技の見事さに目を奪われているらしい。かわいい魔王だ。


「ですから私の転移魔術が役に立つのではと思いましたの。万が一あなたの守りが破られても、魔族は別の場所に避難すれば良いのですわ」

『お前は何も分かっていない。避難したところで、人間に迫害されることに変わりはない。どうどう巡りだ。人間の方が数が多い以上、小手先の作戦は意味がない』

「まあ、見事なまでのペシミストぶり。尊敬しちゃいますわ~」


 煽ってみるが、はりねずみはそれには乗らずに、ふいとそっぽを向くだけだった。

 軽いノリではだめらしい。攻め口を変えて、さらに煽ってみるとしよう。


「魔王とかいっても、為政者としては大したことありませんのね。いくらあなたがダンジョンを守っているとはいえ、あなたが破られてしまえば、魔族は滅ぼされるのに」

『俺の守りは破られない。”大侵攻”の時も、これからも、それは確実だ』

「あなたにとってはそうでしょう。ですが、守られている魔族から見たらどうかしら」


 はりねずみは足を止めた。

 ここが急所か。


「安寧はずっと続くものかしら。魔王の機嫌を損ねた瞬間、なくなってしまいやしないかしら? いいえ、もしかしたら、魔王一人ではずっと守り続けることなんてできないのかも、と彼らが思っている可能性だってなくはない――」

『黙れ』


 心なしかはりねずみの棘が鋭さを増したような気がした。

 魔王が最も気にしていること、それは魔族の動向らしい。考えてみれば当然ではある。

 魔王は魔族を守る存在なのだから。

 と同時に、今の彼は魔族を守ることで精いっぱいなのだと悟る。

 ”大侵攻”が魔族側から再開されることはまずない、と確信できた。


「別に大した話じゃありませんのよ。あなたが魔族を守るために骨身を砕いていることくらい、誰の目にも明らかですわ。ただ、ほんの少し、誰かの助けがあっても良いのではないかと思いまして」

『それでお前が役に立てるとでも?』

「立てますわよう。私の転移魔術、ご覧になりましたでしょう?」


 私はにっこりと微笑んだ。


「本気になったら、ダンジョン内の魔族全てを、数百キロ離れた場所に転移させることくらい、朝飯前でしてよ」


 この言葉が魔王の心を動かしたのかどうか、定かではないが――。


『分かった。話だけ聞いてやる』


 と、寛大なる魔王様は仰せになったのだった。

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