第21話 聖女と黒い魔素


「何か妙なものが近くにあるな」

「えっ」

「きな臭い。黒い魔素の匂いだ。……まさかお前、魔王と接触しているのか」

「ええと……」

「ドラセナ城に幽閉するんだ、魔王が出てくるシナリオは予想できたが……。お前があの禍々しいコレクションと共に、呪いまみれのドラセナ城に住む以上、魔王も手出しはできないと思い込んでいた。お前、魔王に何かされてないか? 理不尽な要求を受けていないか? 無体を働かれていないだろうな?」


 心なしか早口で畳みかけられ、アマリリスは身を縮める。

 彼女は唇を微かに舐め、それから事もなげに言った。


「理不尽な要求と言えばそうでしょうね。――私、魔王に求婚されましたの」

「きゅっ……」


 クリストファーは、見目麗しき王位継承者候補ナンバーワンは、小動物のような声を上げたまま、固まってしまった。


「……あの、お兄様?」

「求婚というのは、その、ひざまずいて結婚してくれと申し入れる、あの?」

「お花の球根じゃありませんわよ。……と言いましても、別に魔王に好かれているわけではありませんの。きっと何か企んでいるんですわ」

「愛なき結婚をお前に強いてきたのか!? 何て心の冷たい奴なんだ魔王は! しかもアマリリスを政略結婚に巻き込もうなどと、図々しいにも程がある!」

「そこは別に論点じゃないと思いますけれど」

「一番重要なことだが!? 愛のない結婚など、お父様が許してもこの私が許さん!」

「国王陛下たるお父様がお許しになったら、問題ないのではなくて?」

「……なら私が国王になり、お前の結婚に断固意義を唱える!」


 あきれた、とアマリリスは頭上を仰ぐ。

 兄の強すぎる執着には慣れているアマリリスとはいえ、これはいささか度が過ぎる。


「ともかく。私は魔王になどなびきませんし、あの人をドラセナ城から解き放つつもりもございません。ご安心なさって」

「一つも安心できる要素がないぞ!」


 心底悔しそうに歯噛みする兄を、アマリリスはげんなりした顔で見下ろしている。

 クリストファーはその視線さえも楽しんでいたが、背後に控えていた従者が近寄って来たのを聞き付け、顔を上げる。


「失礼致します、クリストファー殿下。次のお約束の時間が」

「少し待たせろ」

「あいにくですが、ドワーフたちの代表を待たせるのは得策ではないかと」


 クリストファーは苦虫を噛み潰したような顔になり、そうだな、と呟いた。

 ものすごく残念そうな顔になりながら、アマリリスを膝の上から解放する。

 アマリリスは猫のように素早く立ち上がると、兄から距離を取った。


「魔王に目をつけられるとは……。想定外だ。どうにかしなければ――」

「お兄様?」


 クリストファーの目が細められる。


「聖女を強請ゆするか」

「……今、王族が口にしてはいけない言葉を聞いたような気がするのですけれど」

「魔王の持つ黒い魔素に対抗できるのは、聖女の持つ白い魔素の加護。それがあれば魔王も容易に手出しできまい」


 腕組みをしたクリストファーはさらに語る。


「そもそもお前が幽閉されたのは聖女のせいだ。慈善活動をするお前と、修道院を回って慈悲を垂れる聖女……二人の役割が被っているという言いがかりで、お前はドラセナ城に幽閉された」

「ああ、そういう経緯でしたのね」


 アマリリスはけろりとした様子だ。自分が幽閉された理由が聖女にあると聞いても、特に表情を変えることはない。

 しかしこれは王位継承者なら当然のことだとクリストファーは知っている。

 アマリリスは特に本心を隠すのが上手く、国王もそれを買っていた。


「聖女様……というか、聖猊下せいげいかかしら? あの方のお怒りを買う程、私の慈善活動が目立っていたとは思いませんでしたわ」

「お前は金や物資を与えるだけではなく、教育、さらには金融の方面まで足を突っ込んでいたからな。やりすぎたと言えばやりすぎた。お前が幽閉されても、慈善活動が継続できる仕組みを作り上げてあったというのも、修道院側は不愉快らしい」

困窮こんきゅうした人々を救うのに、やりすぎもなにもありませんでしょうに」


 さらりと言うアマリリスは、


「ですが、私は聖女様にとって単なる邪魔者。強請るネタにはなりませんわ」

「ドラセナ城に幽閉されて、すっかり参っている様子を見せれば良い」


 そもそもアマリリスの幽閉自体、かなりの力づくだった。

 修道院側には探られると痛い腹がある。


「そこまでして頂かなくても良いのに」

「何を言う、魔王の側にいるお前に何かあったら大変だ! それに、聖女の様子を一度見ておきたいというのもある」


 クリストファーの表情が、妹を溺愛する兄のものから、王位継承者のそれへと変わる。

 父親譲りの灰色の目が鋭さを増した。


「一度聖女を遠くから見たことがあったが、どうも……妙な印象を受けた。美しく清らかだが、どこかが歪んでいるような気がしたんだ」

「お兄様でしたら、聖女くらい好きな時に連れてくることができるのではないのですか」

「いや、あの聖女は全国を回っているから、王族でもやすやすと呼びつけることができないんだ」

「それもおかしな話ですわね。王族の呼び出しに背く反抗的な態度は、いずれ火種になりうるものですわ。修道院側にとっても良いことは無いでしょうに」


 だからだ、とクリストファーは短く告げる。


「もし聖女たちが何か企んでいるのならば――今のうちに動向を伺っておきたい」

「なるほど。承知しましたわ。私でしたらいくらでも、その口実に使って下さいまし」

「口実ではないぞ! あくまでお前の様子を見させることが第一であって……」


 食い下がるクリストファーに、従者が何事か耳打ちする。

 彼は小さく頷いて、名残惜しそうにアマリリスを見た。


「アマリリス、すまないが、私は所用があるのでこちらで失礼する。聖女と会う日どりが決まったら連絡させよう」

「ええ、お兄様。ごきげんよう」


 靴音も高らかに去ってゆくクリストファーは、背後でお辞儀をするアマリリスを振り返りたいのを、断腸の思いでこらえていた。

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