第17話 守りたいもの


「あら、ごきげんようソフィア。なるほど、魔王は男性。覚えましたわ~!」

『弦楽器のように美しく響くあのバリトンボイスはどう考えても男でしょうが! まったくもう、どこか抜けてるんだから、リリスは!』

「そう怒らずとも。先入観は判断を曇らせますわ」

『大体男じゃなきゃあんたに求婚なんかしないってば』

「うえええそのお話はやめて下さいます? 虫唾が走りますわ。それに女性が女性に求婚をする場合もありますし」


 言いながらも私は心の中で拳を握り締めていた。

 ソフィアは魔王のことをよく知っていそうだ。

 将を射んと欲すればまず馬から、はりねずみについて知りたくばまずこうもりから。


「ねえソフィア、魔王ってどんな外見ですの」

『それはもうお美しくていらっしゃるわよ! 月の光を写し取ったような輝く銀色の髪、ピジョンブラッドのように美しい瞳、偉大さを感じさせる広い背中、叡智えいちの輝きを思わせるその額……!』

「ふむふむ、魔王はおでこが広め、と」

『よりによって拾うとこそこ!? あと頭が良いって意味だからねそれ!!』

「あと苦手なものとか、嫌いなタイプの人とか、好みじゃない味とかご存じだったりする?」

『な、何でそんなネガティブな情報ばっかり欲しがるのよ……』


 ソフィアはしばらく考え込んでいたが、


『魔王様個人のことを説明するよりも、ダンジョンを見てもらった方が早いと思うわ』


 と言って、翼を大きく広げ、私の前に一枚の鏡を出現させた。

 ざくろの実が彫刻された銀縁の鏡で、私の背丈よりもずっと大きい。

 そこに映し出されたのは、洞窟と思しき場所だった。薄暗い中、松明の明かりがともっている。


「ここは……」

『ドラセナ城の真下にあるダンジョン。私たち魔族にとっては最後の砦よ』


 広い空間に、木造の家や店が立ち並んでいるのが分かる。

 人間に近い生活様式をとるダークエルフや、人狼といった魔族たちが暮らしているのだろう。


「これは魔族なんですのよね? 私の目には、ねずみにしか見えませんわ……」

『ええ? つくづく変な目ね。黒い魔素を持つものが歪んで見えてるのかしら?』

「王都にいたときはこんなことはありませんでしたから、そうかもしれませんわ」


 魔族たちは買い物をしたり、それぞれの仕事をこなしたり、酒場で飲み交わしたりして、日々を暮らしている。それは人間と何ら変わらない。

 だが傷を負った魔族も多く見受けられるし、洞窟内は湿気が多くて日差しが差し込まないので、どこか陰気臭い印象を受ける。

 道行く魔族の顔もどこか晴れない。


 自分がひどく身勝手なことを考えているのは承知のうえで――弱い者たちが、辛い状況に置かれているのを見ると、どこか焦燥感に駆られる。

 元王位継承者だった頃の癖で、弱い者たちが虐げられている状態をどうにかしなければ、と思ってしまう。

 魔族をこの状況に追い込んだのは、私たち人間であるというのに。


「洞窟内では作物を育てることができませんわよね。皆様どうしているのかしら」

『野菜や果物を育てる魔術を使って何とかしてるわ。本当は地上で太陽の光を浴びながら育てた方がいいのだけれど、ダンジョンを出たら人間たちに殺されるから』


 ソフィアは淡々と説明する。


『もちろん、全ての魔族をここで管理してるわけじゃないわ。ダンジョンは他にもあるし、魔狼なんかの魔獣は、数が多いから大陸のあちこちで暮らしてる。人間と結婚した魔族は、人間のふりをして今でも街や村で暮らしているって聞いたことがある』

「ですが、魔獣には牙が、人間と結婚した魔族には、配偶者という味方がいます。このダンジョンにいるのは、それらを持たない、弱い魔族ということですわね」

『そう。そもそも魔王様がこのダンジョンに籠城したのは、彼らを守るためだもの』

「えっ?」

『あんたたちの歴史ではどうなってるか知らないけど、魔王様はこれ以上弱い魔族を殺されないために、このダンジョンに閉じこもったの』


 その言葉に私は、人間側の歴史が都合よく歪められていたことを知る。

 人間たちは魔族を殺しきれなかったのだ。

 なぜなら、魔王が弱い魔族を守るために、ダンジョン内に籠城したから。


『見て』

「あ、天井……」


 鏡には、洞窟の天井部が映し出されている。

 夜空を模した天井にはきらきらとシリウスが輝いており、魔力を感じた。

 と同時に、あれがただの空の真似事をするための魔術ではないことを悟る。


「あれ、目隠しですわね。ダンジョン内部の様子が見えないようになっている。かなり緻密な魔術ですわ、鳥肌が立つほど」

『魔王様が展開した魔術よ。人間たちがここの様子を探れないように。黒い魔素が漏れないようにしているの』

「しかもこの魔術が、ダンジョンを覆うように展開されている。だから”大侵攻”の時、人間はここを攻め切れなかったのですわね」


 強固な守りに、人間たちは疲弊しただろう。

 そしてこう考えたはずだ。

「最も凶悪な魔王を無力化できているのだから、これは人間側の勝利と言って良いだろう」と。

 そうして歪められた歴史の影で、魔王はひっそりと自らの責務を果たし続けていた。


 この状況では、魔族が”大侵攻”を再開しようとしているというのは考えにくい。


「もしかして、この魔術を展開するための魔力は、全て魔王がまかなっていますの?」

『そうよ。弱い魔族は、魔力もちょっぴりしかないから。もちろん、私たち魔力の多い魔族が手伝ってはいるけれど、微々たるもの』


 悔しげに言うソフィア。

 だとすれば魔王は、ほとんど一人で魔族たちを支えていることになる。


「――その自己犠牲は大いによろしいですが、持続可能なのかしら」


 私の呟きに、ソフィアが反応する。


『どういう意味よ。魔王様が力尽きるわけないでしょう!』

「いえ、これは個人の能力云々の話ではなく、たった一つの存在に頼り切るやり方は、とっても危険というお話です。修道院での慈善活動でも同じことが言えますわ」


 慈善活動をするにもお金がいる。

 転移魔術のポートを貸し出すことで現金を得ているが、そのポートはいつ潰されてもおかしくはない。

 だから私は他にも貴族から出資者を募ったりして、現金収入のルートを幾つか確保することで、何か不運が起こっても対応できるようにしている。


「魔王がある日突然倒れたらどうしますの」

『私たちは魔王様の右腕よ! 私たちが食い止めるに決まってる!』

「魔王の馬鹿みたいな魔力量で維持していた防御を、あなた方が代わりに担うとすれば、それはどれだけもつものなのかしら。その場合、弱い魔族たちをどうやって避難させれば、被害を最小限に留められる……?」


 そもそも政というものは、たった一人の強者がいればいいというものではない。

 細かい作業、地道な書類仕事、平時からの絶え間ない目配りとケアが必要だ。

 もちろん、魔王一人でこれらを仕切っているということはないだろう。

 ソフィアを始めとする魔族の貢献があればこそ、ダンジョンを維持できているわけだ。

 とは言え、これら生活の基盤となる安全が、魔王の双肩にかかっているということは、少し注意が必要な気がした。


「防御は一層だけでは不十分です。何層にも分かれているからこそ、攻め込まれたときに、民を逃がすための時間が稼げるのですわ。――ええ、改善が必要ね」

『何考えてるのよ、あんた』

「なーんにも?」

『何にも、って……』

「幽閉されてると暇なんですのよ。私のあり余っている魔力と体力を消費するのに、付き合って下さいませんこと?」


 ソフィアは不審そうに私を見ていたが、私が計画を説明し始めると、その目に好奇心を浮かべながら聞き入ってくれた。

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