第16話 調査開始
現れた時と同様、前ぶれもなく帰ってゆくはりねずみを見送り、私はお稽古の続きに取り掛かった。
昔から体力や魔力が余りがちで、転移魔術のような難しい魔術にチャレンジすることで、エネルギーを消費していた。
けれど魔王の言う通り、魔術が熟練してしまうと、消費する魔力が少なくなり、エネルギー発散の目的を果たしてくれなくなる。
「転移魔術で魔力を浪費するのも、この狭い場所じゃ限度がありますわね……。別の魔術に挑戦してみようかしら」
こうして、次に練習する魔術のことを考えていると、母のことを思い出す。
母はいつも私に厳しく、何か新しいことを身に着けると、すぐに次のチャレンジを用意するような人間だった。
「……お母様のことを他人に話すのって、初めてだったかも知れませんわ。王宮では周知の事実でしたものね」
あの魔王は、慰めの言葉も口にせず、それでも、と言った。
逃げるべきであったと。二人が生き延びる術を、どうにか考えるべきであった、と。
何だか新鮮な気持ちになった。
父である国王でさえも「娘を守るために散った我が妻を誇りに思う」と言っていたのに。
「もちろん理解していますのよ。お父様の血を引いた私こそ、チェスにおけるキング。私が生き残らなければ話になりません。でももし、お母様が逃げるという選択肢を取っていたら……」
今でも母は私の側にいてくれただろうか?
山賊たちはたくさんいたから、いずれ追い詰められて、無惨に殺されてしまったかもしれない。
それに、王位継承者として熾烈な争いをする中で、命を落としていたかもしれない。
「それでも、あの屋敷に独りで残されるよりはましだったのかしら」
祖母がいてくれたとはいえ、私は独りぼっちだった。
王位継承者の争いというものは、せんじ詰めれば敵を否定するための戦いだ。
否定し、否定される中で、私をほんとうに大切に思い、存在そのものを肯定してくれる母の不在は、堪えた。
それに何より、置いていかれた悲しみは、幼い私の心を締め付けた。
「いやですわね、私ったら。魔王に置いてきぼり仲間、なんて言ってしまったわ」
でも仕方がない。
あの瞬間、はりねずみの小さな瞳に、確かな悲しみを見出してしまったのだ。
同類の悲しみ、私とおんなじ辛さを感じ取ってしまったから。
「……本当は、認めたくないのですが」
一緒に逃げてくれたら良かったのにと泣き叫ぶ十歳の頃の私に、あの魔王が味方してくれたことを。
慰めるように、その手を差し伸べてくれたことを。置いていかれる悲しみに、寄り添ってくれたことを。
――それがとても、嬉しかったことを。
「いけない。相手のペースに飲まれるなんて、このアマリリス一生の不覚。敵を知り己を知れば何とやら、攻勢に転ずるためにもここは動かなくては」
ここは、魔王のことについて、もっと詳しく知る必要がある。
帝王学では”大侵攻”に関する知識をみっちりと叩き込まれる。
とは言え、人間側の名前はこのくらいしか記憶に残っていなかった。
図書室には、魔族に関する書物はあまりないように思えたが、根気強く探せば何か見つかるかもしれない。
幽閉された身だ。時間だけはたっぷりとある。
勇ましく図書館に向かい、あちこちの書架を探して回る。
「魔王とは、魔族を統べるものであり、黒い魔素を最も多く持つもの、なんですのよね。名前ではなく称号のことで、魔族におけるリーダーのようなものだとか。選出方法は不明。恐ろしく強くて”大侵攻”前は、あちこちにあるダンジョン……海におけるサンゴ礁のように、魔族の生態系に寄与する空間のことですわね。そこを移動して、魔族を守護していたと聞いていますわ」
ちなみにこの大陸のあちこちに百以上もあったダンジョンは”大侵攻”の後、四にまでその数を減らしている。
その中でも最も大きなダンジョンが”大侵攻”の時に魔王が立てこもった、私の足元にあるダンジョンだ。
昔は魔族を狩って素材を得る冒険者などがいたそうだが、今ではダンジョンに入るためには、王宮の大魔術師の許可が必要だった。
魔族は、黒い魔素が大地から湧き出る場所に出現するめ、魔族が絶滅することはない。
だが、増えるスピードはあくまでゆるやかだ。
「魔王はもうこのダンジョンにしかいられないのですから、他のダンジョンを封じる必要はないと思いますが。でもまた魔王が復活して”大侵攻”を再開したら厄介ですものね」
魔王が使う魔術については、帝王学を学ぶ時に教わった。
”大侵攻”の際に猛威を振るった魔王は、タスマリア王国の記録にしっかりと残されている。
逆に言えば”大侵攻”以外の魔王の情報は皆無といっていい。
どこから現れたのか、何年生きているのか、そういった基本的な情報もないのだ。
「見た目の情報も、はりねずみであるということしか分かりませんし……。何なら声が低い女性という可能性もあるんですのよね。くっ、せめて私にはりねずみの雌雄判別ができればっ」
『男に決まってるでしょ!?』
本棚の影から、こうもりのソフィアが飛び出してきた。
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