第15話 魔王とアマリリス(2)
「お前、あれほど練度の高い魔術を日常的に練習しているのか」
「ええ。あれはただ体の調子を整えるための、ちょっとした運動ですの」
「ちょっとした、運動?」
「エクササイズとでもいいましょうか。健全な心身を保つためには、エネルギーを使うことをしませんとね」
そう言うアマリリスは、確かに心身共にはつらつとしている。
(あれほどの魔術を展開しておいて、ちょっとした運動とは恐れ入る)
「練度が高いとはいっても、私
魔王はアマリリスの生活を思い返す。
そう言えば、魔術で水を呼ぶのではなく、いちいち井戸に汲みに行っていた。
火を起こす際も、魔術で小さな火花を起こし、それを焚きつけに移すだけで、最初から大きな火を出現させていたわけではなかった。
「転移魔術は達人級でありながら、生活魔術が使えないということなどあるのか」
「目の前に実例がいるじゃありませんの。まあそれに、転移魔術は魔力を消費しますから、エクササイズにはちょうどいいんですの」
そう言ったアマリリスは、少し表情を曇らせて、
「最初は転移魔術を一つ展開するだけでも、ほどほどに疲れてよく眠れたのですが、最近は何度も何度も展開しないと疲れなくなってしまって。だからあんな、無意味な曲芸みたいな魔術の使い方をしているんですのよ。我ながら馬鹿みたいですわ」
「当然だろう。練度が上がれば消費する魔力も少なくなるからな」
「それ、お母様にも言われましたわ。まあ、私の魔術はあり余る時間と体力を費やすための暇つぶしみたいなものですから、あまりお気になさらず」
母という言葉に、魔王はさらに質問を重ねる。
「お前の母はどういう人間だったんだ」
「普通の平民で、司書をやっていましたの。私ゆずりの美貌でお父様を篭絡した、といいたいところですが、実際は栗色の髪に琥珀色の目という地味な外見で、日がな一日本ばかり読んでいたとか」
「お前ゆずりの、美貌……?」
「異論は受けつけておりません。ただまあ世の中には蓼食う虫も好き好き、あるいは卵を一つの籠に入れるなという言葉がありまして」
「その二つは結構意味が違うと思うのだが」
「こと私の両親については、両立する言葉なんですのよね~これが」
タスマリア王国の王は、多種多様な女との相手に子をなすことで、王位継承権を持つ者に多様性を持たせようとしたのだ。
王曰く「目まぐるしく情勢が変わるこの時代、貴族であることだけがとりえの馬鹿ばかり量産しても仕方がない」のだそうだ。
「賢い娘なら他にもいたでしょうが、その中から破天荒なお母様を選んだのは、まあ蓼食う虫も好き好きとしか言いようがありませんわね」
「なるほど。理解した。その母は、お前が幽閉されそうになるのを止めなかったのか」
「もう亡くなっていますもの。私が十歳の時に。それからは祖母に育てられましたが、祖母も五年前に亡くなりました」
そう告げたアマリリスの声が、微かに強張っていることに、魔王は気づいた。
アマリリスは淡々と告げる。
「一瞬だけですけれど、私が王位継承者としてかなり優位に立ったことがありましたの。他の候補者が落命したり、後ろ盾となる貴族が失脚したりしたもので。……そのせいで命を狙われ、ついには屋敷に盗賊たちが押し入ってきたんです。そのせいで母は亡くなりました」
「そうか。だがお前は無事だった。盗賊どもは目的を達せられなかったわけだな」
「当然ですわ。お母様は盗賊もろとも自爆したんですもの」
「自爆?」
魔王が驚いたような声を上げると、アマリリスはしてやったりとばかりに笑う。
けれどそれは、魔王の目には、強がっているように見えた。
「ええ。
「思い切った真似をしたものだ」
「本当に。せめて遺体くらい残してくれれば、取りすがって号泣もできましたのにね。爆発の威力が強すぎて、ほとんど何も残っていなかったそうです」
ちなみに、とアマリリスは天気の話をするような調子で補足した。
「下手人はすぐに判明しましたので、私は彼らを捕まえ、遠い島に流罪といたしました」
「殺さなかったのだな」
「ほとんど人のいない島です。いずれ病気か事故で命を落とす相手に、私がわざわざ手を下す必要もございません」
語尾が、注意して聞いていなければ分からないほど微かに震えた。
それはアマリリスなりにけりをつけた結果だったのだろう。
(相手を殺さなかった。そこにこの娘の
魔王はそっと手を伸ばし、アマリリスの手に触れてみる。
暖かい手だった。
「……ちなみに、これはお前の目にはどう見えている?」
「可愛らしいはりねずみが、小さなおててで私の靴の先を触っていますわ」
そうか、と言って魔王は手を引っ込めた。
「あら、慰めてくれたのではありませんの?」
「実験をしただけだ。俺はお前に触れたのに、お前はそうだと分からないらしいな」
「すねないで下さいな。一応、お礼だけ言っておきますわね」
はにかんだアマリリスは、ぱっと表情を変えて、
「ですが私はお母様が誇らしくもありますのよ! 何と言っても国王の妻の中で、敵もろとも爆散する死に方をした女性はいませんし、全員殺しきった、というのも清々しいですわ! やり切りましたのよ、あの人は」
「そうだな。その選択肢を選べる女はなかなかいないだろう」
普通の女ならば、隠し扉の中で、娘と一緒に震えるか、盗賊たちの気をそらすために剣を握るくらいが関の山だろう。
男だって、屋敷に入って来た山賊を全員殺すのは至難の業だ。
「だが、それでも言う。彼女は逃げるべきだったと思う。死に物狂いで。全てを打ち捨てて。お前と共に、山賊から逃げ、二人が共に生き残る術をどうにか考え付くべきだった」
全ては今更で、後知恵にすぎない。
逃げることなど不可能な状況だったのかもしれない。部外者である魔王が口を挟めることなど何もない。
だが魔王はあえて言った。
(死んでしまえばおしまいだ。だから、どうにかして生きなければ――生き延びなければ、未来はどこにもない。だから俺は”大侵攻”を……)
「ほんと、そうですわよね」
あっさりとした同意の言葉に、魔王は顔を上げた。
アマリリスの表情はどこか穏やかだ。それはとりつくろった、社交の仮面なのかもしれないが。
(この表情が、彼女の素なのかもしれない。だとすれば、王宮で王位継承者として振る舞うために、さぞや無理をしたのだろう。――強い女だ)
「それに関してだけは、あなたの言葉に賛同しますわ、ディル様。知恵というものは、生き延びるために使わなければなりません。死んだらおしまい、行き止まりですものね」
「ああ。それに死ぬということは、誰かを置き去りにするのと同義だからな」
「あなたも、どなたかに置いていかれたことがありますの」
アマリリスは眩しそうな顔で問う。それは一瞬、涙をこらえているようにも見えた。
だから魔王は、ぽろりと零れた本心をそのまま口にしていた。
「たくさんの仲間に置いていかれたとも。”大侵攻”の時にな。どいつもこいつも、俺の先を行ってしまって――誰も帰ってこなかった」
「……そう。では私たち、置いてきぼり仲間ですわね」
ふっと微笑んだアマリリスは、その笑みの奥に、巧みに感情を隠してしまった。
少し勝気な眼差しを取り戻したアマリリスを見、魔王は呟く。
「お前はいつもそうして、本心を隠し続けていたんだろうな」
礼儀正しく聞こえないふりをするアマリリス。敏い娘、強い女。
彼女を見ていると、魔王の体に力が湧いてくる気がした。
どこまでも一人で立ち続けようとするアマリリスを前に、弱気な真似はできなかった。
「そうだ、だから俺は、今度こそ魔族を守らなければならない」
きっぱりと言い切った魔王は踵を返し、その姿を影に沈める。
「邪魔をした」
「本当ですわよ。今度いらっしゃるときは何かお土産を持ってきてくださいまし。お茶を淹れて差し上げますから」
朗らかなアマリリスの言葉に、返事はなかった。
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