第14話 魔王とアマリリス(1)



 ――思い出すだけで、苦いものが込み上げる。

 魔王は”大侵攻”の血の匂いを振り払うように首を振り、自分を鼓舞するように呟いた。


「『鈍感令嬢』の様子を見に行くとするか」


 魔王は姿を消し、ドラセナ城に幽閉された、変わった令嬢の生活を観察しに向かった。


 アマリリスは王族とは思えぬほど生活力の高い娘だった。

 炊事に洗濯、掃除といった仕事を、淡々とこなしている。

 どれも際立って上手なわけではなかったが、独りで生活するなら十分だ。


(一人暮らしの経験があるのか? いずれにせよ、異色の王位継承者だったのだろうな)


 身の回りのことを終えたアマリリスは、鼻歌を歌いながらコレクションの手入れにかかる。

 魔王からしてみれば、趣味の悪い呪具としか見えないものを、アマリリスは愛おしそうに撫でたり、埃を払ったりしている。


(あの娘のコレクションには、大体呪術がかけられている。人を殺しかねない呪いを身近に置いておいてあれだけぴんぴんしているのは、やはり鈍感だからか……?)


 しかし、ただ鈍感であるというだけで、呪いが効かないなどということがあるだろうか。

 魔王やソフィアの姿が小動物に見えているのも、彼らの黒い魔素を感じ取れないほど鈍感だから、と説明できなくもないが、ただの体質が、魔族の見た目が変わるほどの影響を及ぼすとは考えにくい。


 知らぬ者の目には、優れた容姿と気品を持つ娘にしか見えない。

 けれどその内には、何か秘密が隠されている。

 魔王はそう確信していた。


「ああ、今日も私のコレクションは素敵でしたわ~! さて、そろそろお稽古をしなくちゃね」


(稽古?)


 アマリリスは何も持たずに、城の裏庭に向かった。

 かつて野菜畑として使われていたのだが、手入れをするものもいない今は、更地となっている。

 アマリリスは地面に置かれたぼろバケツを二つ手に取ると、離れた場所に置いた。

 さらに自分はそこから数十メートルほど遠ざかった場所に立ち、空中に魔術陣を描画し始める。

 白い指先は驚くほど俊敏に、過たずほの白い線を空中に描き出した。


(速い。それに正確だ。転移魔術の魔術陣だな)


 アマリリスは二つのバケツの位置を入れ替え、さらに片方のバケツを空中に転移させた。

 まるで奇術師がボールを操るがごとく、次々と転移魔術を用い、バケツを縦横無尽に操る。


(速度、正確性、いずれも素晴らしい。だが、あの程度の物であれば、移動させるのもそう難しくはない)


「ウォーミングアップはこのくらいでいいかしら。さて、参りますわよ」


 指先が踊り、アマリリスの目の前に巨大な魔術陣が出現する。

 それを裏庭の納屋に向けたアマリリスは、なんと、それを空中に移動させてしまった。


(あの大きさのものを持ち上げるか……!)


 しかも空中に移動させたまま、位置を保っている。納屋は落下することなく、空中でぴたりと静止したままだ。

 アマリリスはそれを右手でキープしながら、さらにいくつもの物を移動させる。


(そもそも片手で魔術陣を描画し、保持するのだって大変だ。それを顔色一つ変えずやってのけるとは)


 それからアマリリスは、納屋を色んな場所に転移させ、そのたびに魔王を驚かせた。

 アマリリスの描画する魔術陣は、緻密であり無駄がない。全ての線が必ず何かしらの意味を持ち、彼女の魔術を構成している。

 それは見事な布を織るのに似ていた。

 線の一つ一つを丁寧に描画しきることで、魔術は厚みのあるものになり、破ったり防いだりできなくなる。


(恐ろしい娘だ。鈍感令嬢などと言っていたが、とんでもない。魔術の才能はダークエルフに比肩する……)


 アマリリスの描画する魔術陣を子細に観察していた魔王だったが、その耳がかすかな溜息を聞き付ける。


「気が散るので、覗き見はご遠慮頂けませんこと? ディル様」


(この程度の透明魔術も看破してみせる、か……。本当に鈍感なのか、怪しくなってくるな)


 そう思いながら魔王は、アマリリスの前に姿を現す。


「ごきげんよう、ディル様。今日もお可愛らしいおててですこと」


 魔王を「見上げる」アマリリスは、嫌味っぽくそう言う。

 当然だが、魔王は自分自身がはりねずみに見えたことなどない。

 だがアマリリスには、はりねずみに見えているのだ。

 彼女自身は地面にちょこんと立っているはりねずみを「見下ろして」喋っているのだろうが、魔王の目からはアマリリスが自分を「見上げて」喋っているように見える。


(このずれが鍵になる。考えろ。なぜこんな認識の相違が生じるんだ?)


「ちょっと、無視するのは止めて頂けません? 私礼儀のなっていない殿方は嫌いでしてよ」

「これはこれは。花嫁に失礼をした」

「うええ、まだそんな寝言ほざいてやがりますの……? 誰がはりねずみの花嫁になどなるものですか」


 そういってそっぽを向くアマリリスの横顔は、まだかすかに幼さを残している。

 魔王はそれを興味深そうに眺めながら、


「もしかしたら、お姫様のキスで人間になるかかもしれんぞ」

「おええええちょっと本気で止めて下さいな! あなたのような変態小動物からお姫様と呼ばれたところで嫌悪感しかなくってよ!」

「なんだ。俺は本気だぞ。何事も試行錯誤が大事だ」

「もっと試行なさいませ。キスは最後の手段に取っておいたらいかがかしら」

「手っ取り早い方法から試すというのも大事だと思うが」

「手っ取り早い? 乙女の唇に対してあまりにも失礼では?」

「鈍感なのだろう? 唇の一つや二つ」

「私は寛大なので教えて差し上げますけど、大事なファーストキスは一つきりですのよ、魔王様。たった一つしかないものを、あなたなんかに差し上げるわけには参りません」


 いつになく強い語調で拒否され、魔王は少し虚を突かれた。


「……ファーストキス? 初めてのキスということか?」

「ちょっと嫌だ私に説明させますの? 他になにがあるというのかしら」

「いや、意味は分かるのだが。幽閉はあっさり受け入れたくせに、なぜ最初のキスにこだわる? そういう宗教なのか?」

「宗教ってあなた、乙女心を邪教みたいにいうの止めて下さいまし。いやまあ多少邪教めいたところはありますが」


 そう言ってアマリリスはため息をつく。


「私にだって、初めてのことくらいありますし、その初めてを大事にしたい気持ちもあります。さ、お分かりになったのなら、あんまり気色悪いことはおっしゃらないで、聞きたいことがあるのならさっさと質問なさったら?」


 どうやら機嫌を損ねたらしい、ということは、魔王にも分かった。

 だが小娘の機嫌など、魔王にとっては些事でしかない。

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