第13話 昔話・大侵攻
魔王は椅子に深く腰掛け、六十年前のことを思う。
「ご報告申し上げます。ダークエルフ率いる第七部隊が壊滅状態、応援に向かっていた第六部隊は敵の歩兵部隊と戦闘中」
「ならば第一部隊を回せ、グリフォンどもの機動力で一気に負傷者を回収するんだ」
「対応可能なグリフォンは五体で、一部隊に満ちません」
「グリフォンに女のドワーフを騎乗させて向かわせろ。女の体重であればグリフォンの負担にならん。戦闘は可能な限り避け、負傷者たちの収容を優先させろと伝えよ」
「はっ」
部下である
魔獣たちの持つ黒い魔素は、人間たちの毒となり、魔獣と人間を決定的に分かつ要因となった。
地上から魔獣を駆逐しかねない勢いで攻撃してくる人間たちに、魔王は一つの疑問を抱いていた。
「……この攻勢。尋常ではない」
魔王は長い銀色の髪が、水盤の水に浸るのも気にせず、あちこちで展開されている戦況をじっと見つめていた。
人間たちの攻撃に迷いはない。
街に住んでいた人狼の家族を、村人たちは容赦なく斬りつけて殺した。
商会を運営していた、賢くも善良なダークエルフの女を、村人で追い回して殺した。
弱い魔獣の暮らす小さな森を、武装した兵士たちで取り囲み、火をつけて根絶やしにした。
「人間は度し難く愚かだ、だが……ここまできっちりと、殺しができるものか?」
訓練された兵士ならばいざ知らず、武器を持ったこともない村人が、徹底的に殺しをやってのけるのが、魔王の気にかかっていた。
「そもそも人間たちの仕事はいつも適当だ。手抜き、適当、目こぼしが当たり前。だというのに、この戦争に限って仕事を完遂してのける。――妙だ」
「失礼致します、魔王様。人間の捕虜の検査が終了しました」
執務室に入ってきたのは、ダークエルフのソフィアだ。
ソフィアは魔術で、魔王の前にいくつかの数値を並べてみせた。
「前線に立つ兵士たちは総じて、身体強化、思考力麻痺の魔術がかけられています。ごく弱い暗示程度のものですが、戦争という特殊な条件下では強力に作用するものと考えられます」
「思考力麻痺か。簡単な魔術ではないな。強力な魔術師がいるようだな……」
「あと、兵士たちの体には小さなあざがありました。片翼を模したようなあざです」
「全員か?」
「ほぼ全員です」
魔王は目を細め、顎に指を当てて考え始めた。
ソフィアはそれを見守りながら、誰にともなく呟く。
「人間たちは今回の戦争を、大侵攻と呼んでいるのだそうです。魔族たちが侵攻してきたと主張しています」
「先に弓矢を放ったのは人間の方だ」
「彼らは正当防衛だとも言っています。魔族がいるだけで人間が滅びるから、と」
「俺たちの黒い魔素が、彼らにとって毒であることは、今に始まったことではない」
黒い魔素を無毒化するための研究や、黒い魔素から人間を守るための道具開発など、魔族たちは人間と共に努力してきた。
それが急に手のひらを返したように、魔族を攻め立てるようになった。
「……どうしてこうなっちゃったんでしょう。私たち、何か悪いことをしたのかしら」
途方に暮れたように呟くソフィア。
魔王は、それに対する言葉を持たない。
だから行動で示すほかない。
「第七部隊が持ちこたえられそうにないな。俺が出る」
瞬間、魔王の背中からほとばしる魔力に、ソフィアは総毛立った。
凄まじい気迫。信じられないほどの邪気。黒い魔素を凝縮したような、闇の重み。
魔王は戦場に降り立ち、人間にとって毒となる魔力を存分に振るい始めた。
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