第12話 はりねずみ=魔王


「まあディル様、ごきげんよう。よろしければりんごをおひとついかが?」

『ちょっとあんたっ、頭下げなさいよ! 魔王様よ!』


 ソフィアの言葉を聞き、まじまじとはりねずみを見つめる。


「……魔王って、はりねずみですの?」

『あああ私のことをこうもりとかいうのはいいけどっ、魔王様をはりねずみ呼ばわりはやばいわよあんた!』

「いえ別にこれは嫌味とか罵倒とかではなくてですね」


 信じられない。ドラセナ城に来て初めて話した相手が、魔王だったなんて。

 ちっとも魔王な感じがしない。はりねずみにしか見えない。


『分かっている。本当に俺がはりねずみに見えているのだろう』

「ご理解頂けて嬉しゅうございますわ」

『だが妙な点がある。お前は今どこを見て話している』

「ええと、ディル様は床の上に立っていらっしゃるので、そこを見下ろしていますわ」

『俺はお前が首を上げて、目を合わせて話しているように見える』

「あら、ディル様はお背が高くていらっしゃいますのね。ディル様の世界では」

『だから煽るの止めてよひやひやするでしょ!』


 ソフィアが声を押し殺して叫ぶ。別に煽っているつもりは毛頭ないのだが。

 ディルがくつくつと喉の奥で笑った。


『妙な体質だ、アマリリス。だが興味深い。お前の体質の源を探れば、ドラセナ城の呪いを解けるかもしれん』

「それは困りますわね。呪いを解いて解放されたら、あなたは人間を害する気ではありませんか」

『俺が人間を害したとして、お前は何が困るんだ?』


 言葉の意味が分からずに、一瞬戸惑う。

 その隙にディルが、畳みかけるように猫撫で声で言った。


『ドラセナ城に幽閉された、元王位継承者。ここへ閉じ込めた人間を恨みこそすれ、救いたいなどとは思わんだろう』

「私が王都への復讐を願っている、とお思いですのね。そしてあなたはそれに便乗しようとなさっている。ふふ、魔王とは思えない安っぽい脚本ですこと」

『なに?』

「これは意図して煽っておりますのでお間違えなきよう。――甘く見られたものですわ。私はこれでも生まれた頃より、王の何たるかを叩き込まれた身。民草に害が及ぶような真似は死んでも致しません」

『言うではないか、小娘!』


 ディルの体が一回り大きくなり、体中に生えた棘がぎらりと輝いた。


「こればかりは譲れませんの。ドラセナ城の呪いが解ければ、あなたは”大侵攻”を再開するのでしょう。我が国の動ける男たちが四割死に絶えた、あのおぞましい戦争を繰り返すのでしょう。それだけは絶対に阻止しなければなりません。民のために」

『王位継承権を失った女が、一人前によく吼える』

「おほほ、もはや吼えることしかできぬ身ですもの。ついでに噛みついてさしあげましょうか?」

『良いのか? 俺ははりねずみなんだろう、棘がお前の身を苛むぞ』

「そのお可愛らしい棘がどこまで私を傷つけることができるのか、見ものですわね」


 大言壮語は貴族のたしなみだが、それでも魔王を相手にここまで言いきるのは恐ろしい。冷や汗が止まらない。

 それでも、魔王がこの城の封印を解いて抜け出してしまうことは、絶対に、断じて、避けなければならないことだ。

 ”大侵攻”の悲劇を繰り返さないためにも。

 努めて笑顔を浮かべ、じっとディルを睨みつける。


『魔王相手にその態度を貫き通せる度胸は誉めてやろう。だが向こう見ずな態度はお前に悲劇をもたらすぞ』

「幽閉以上の悲劇がどこにあるというのかしら?」

『そうだな、例えば俺の花嫁になるとか』

「そうですわね、魔王のはなよ……ハァ?」


 すごい馬鹿なこと言ってる、この人。頭どうかしてんじゃないの。

 その気持ちが顔に出てしまったのだろう、ディルが勝ち誇ったような笑い声をあげた。


『そうだ。お前を国王にし、俺がその婿の座に収まれば良いのだ。それで俺の目的は達成される』

「ええっと……。私としたことが、どこから突っ込んでいいのやら……」

『幽閉という手段がとられたのは、いずれお前を呼び戻す算段があるからだ。お前はまだ王都にとって利用価値がある。俺にとっても。ゆえに、俺の花嫁となれ』


 完全に虚を突かれ、向こうのペースに持っていかれそうになったが、こらえる。

 私は努めて何気ない声で、


「あら、幽閉は幽閉でしてよ。私が王都に戻ることは、金輪際ございません」

『どうかな。俺はお前が王宮に返り咲く未来が見えるぞ』


 確信めいて告げられる言葉を受け流す。こんなの、はったりに決まってる。

 私は王宮でやっていたように、動揺を上手く飲み下し、


「とは言え私は、はりねずみの花嫁になるつもりはございませんの。もし私を花嫁にしたければ、せめて人間の姿をなさることね」

『あ、あ、あんた……魔王様の求婚を、断るつもりなの!?』

「はりねずみを夫にする趣味はございませんもので」

『度胸あるのね、あんた……』


 ソフィアは絶句している。彼女の価値観では、魔王に逆らうなどとんでもないことなのだろう。

 だが私だって、はりねずみの姿をした魔王と結婚する、なんてトンチキな未来はご免こうむりたいのだ。

 けれど魔王は気分を害した様子もなく、むしろ楽しそうな様子で、


『断言しよう。お前は俺の花嫁になり、俺の目的を達成する礎になってもらうぞ』

「では私も断言いたします。断固としてお断り申し上げますわ」

『その余裕がいつまで続くかな。――俺はここで失礼する。ああ、まさかドラセナ城を出ていくとは言わんだろうな?』

「……ええ、生憎と私の居場所はここしかありませんもの」

『それは重畳!』


 そういってディルは――否、魔王は影に吸い込まれるようにして消えた。

 ソフィアはおろおろと私と床を交互に見つめていたが、


『その……。リリスは本当に魔王様のお姿がはりねずみに見えているの?』

「ええ。でも先程、少し大きくなったように見えたから……。もしかしたら、見え方は魔力量に比例しているのかもしれませんわ」

『自分でも理由は分からないのね?』

「王宮にいた時に鑑定を受けましたが、精霊の加護も、魔術的な性質も、特にありませんでしたもの」

『そう。もし思い当たるふしがあったら、すぐ魔王様に言った方がいいわ』


 ソフィアは生真面目に言う。


『魔王様は、目的を遂げるまで諦めない方だから』

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