第7話 王宮

 タスマリア王国には、十五人の王位継承権を持つ若者がいた。

 否、今は十四人だ。国王の五番目の娘であるアマリリスが、ドラセナ城へ幽閉されたためである。

 そしてその中で、次期国王として最も有望視されている青年は、王の執務室に報告書を提出していた。


「良いのですか、父上」

「何がだ」


 弦楽器のような声が執務室に響く。耳に快い声だ。

 この声に命じられたのならば、どんな困難なことでも成し遂げようという気にさせられる。


「本当に――アマリリスをドラセナ城に幽閉すべきだったのでしょうか」


 老齢の男は顔を上げ、直立不動で立つ息子を見つめた。

 長兄、クリストファー。国王と正妃の間に生まれ、家柄、頭脳、容姿共に優れた青年である。

 たった一つの欠点を除いて、非の打ちどころのないクリストファーは、物憂げな表情で呟いた。


「あの城は呪いに満ちています。おまけに足元には魔王のいるダンジョンつきだ。いくら『鈍感令嬢』のあの娘も、平気ではいられないでしょう」

「あれの母親は豪胆だった。娘もその血を引いているし、体質のこともある。存外、幽閉生活を楽しんでいるんじゃないか」

「ですが! 魔王を封じる程の呪いです! いくらアマリリスでも……!」

「アマリリスは聖女を敵に回した」


 その言葉にクリストファーは言葉に詰まる。

 聖女。それは今最も厄介な者の名だ。

 王は淡々と告げる。


「アマリリスの慈善活動は、聖女の奉仕活動と真っ向から対立した。その結果、聖猊下せいげいかの怒りを買い、幽閉される運びとなった」

「そもそも慈善活動が対立するというのはどういうことなのですか。アマリリスは常に貧しい者たち、弱い者たちのために、献身的な奉仕を続けてきました!」


 アマリリスの奉仕は、食べ物や物資の提供に留まらない。

 修道院の修繕、失業者への就業支援、親のいない子供たちへの教育活動。

 ただ貴族から寄付金をもらうだけではなく、彼女の得意魔術でもって、現金収入の手段も確保した。

 目端の利いたアマリリスだからこその発想だ。


「確かにアマリリスは、趣味が良いとは言いがたいコレクションの持ち主ではありましたが……」

「だが聖女の奉仕活動の方が、成果が出ている。――ということになっている。実態がどうであるかはこの際関係ない。聖猊下を味方につけられては、こちらもたやすく手出しはできん」


 タスマリア王国において、聖猊下――全ての修道院の長であり、宗教における王――は相当な力を持っていた。

 祈りの場である修道院が、魔族の持つ黒い魔素まそから人間を守る効果があったからだ。正しい祈りは魔族を阻む。

 そしてその修道院には、ごくまれに、特殊な魔素を持つ乙女が出現した。

 それが、聖女。


 聖女の持つ「白い魔素」は、魔族の持つ黒い魔素を無効化することができる。

 ゆえに彼女たちは修道院に属し、神の名のもとに魔族を打ち払うことを使命とする。

 聖女が持つ白い魔素は清らか、かつ膨大。

 一人で魔族の群れを瞬時に制圧できるほどの強者である。


「聖女は祈りにより魔族を退け、人々に安心をもたらす。そして、彼女は修道院の増設に力を入れ始めた。今や各地で新しい修道院が乱立している」

「聞きました。膨大な金をかけて、修道院を建てているそうですね? 祈りの場であるはずの修道院に、プラチナや宝石をたくさん使っているとか」


 国王はため息をつく。


「どうも神の家の連中は、金は無尽むじんに湧き出てくるものだと思っているらしい。――しかし修道院が足りないことは事実だ。先の”大侵攻”で、人間の兵士を回復させられる修道院は、魔族どもに真っ先に狙われた。修道院を建設すること自体は理にかなっている」


 それに、と国王は続ける。


「事実、聖女の祈りは、黒い魔素に対して有効だ。突如発生する魔獣の群れに対して、村人たちはあまりにも無力……。そんな中で聖女が祈れば、魔獣は死に絶え、村人たちは村を逃げなくてすむ。結果、農地から得られる税収も減らないというわけだ」

「だからといってアマリリスを追放する意味が分かりません……!」


 叫ぶクリストファーを、国王がきろりとねめつける。


「役割が重複しているのだよ。アマリリスの献身的な奉仕は、聖女のようだともてはやされていたと聞く。お前も嬉しそうに報告してきただろう」

「当然です。彼女の行動は尊いものです」

「尊い女は二人もいらない。――聖女の役割は、聖女だけが担うべきものだ」


 国王は書類を手早く処理しながら、吐き捨てるように言った。


「王都にいない人間なぞ捨て置け。問題は山積している。北方のアービナ共和国は兵士を国境線に集結させている上に、魔術師たちに動員をかけている」

「アービナ共和国……以前から我が国の北方に位置する鉱山の採掘権を欲しがっていましたね」


 鉱山の採掘権のために兵士を動員するのは、いささか度を越している。

 そう判断した国王は、密かに北方に戦力を向かわせてあった。


「それだけではない。商工ギルドのドワーフたちが、待遇改善を求めてストライキを起こしていると報告があった」

「連中、いつもストライキ起こしてませんか。まあ、ストライキされても、彼らの技術は唯一無二ですから、無視できませんが」

「だが目に余る。少し釘を刺さねばならん」


 クリストファーの顔が引き締まる。

 これが王の判断なのだ。自分は王座に最も近い存在として、父親から全てを学ばなければならない。


 タスマリア王国は、国土の五割が肥沃な大地であり、海に面した自然豊かな国だ。

 その恵みを狙って他国から侵略されそうになったことも、一度や二度ではない。

 王国の国土は、国民たちに恵みをもたらしたが、彼らを守るためには、並大抵でない努力が必要だ。


 問題は気が遠くなるほど山積みだ。

 王はそれら一つ一つと向き合い、解決していかなければならないのである。

 一瞬でも手綱を緩めれば、被害を被るのは自分自身ではなく、国民たちだ。

 クリストファーは改めて自らに気合を入れなおす。


「私も微力ながらお手伝いをさせて頂きます。何かできることは」

「そうだな。――ではドワーフたちの対応はお前に一任しよう」

「然様でございますか! 全力を尽くして事に当たります」


 ドワーフたちをなだめるのは、一筋縄ではいかないだろう。

 それを一任されたということは、クリストファーを試しているのだ。

 王を継ぐ器であるかどうか、見極められている。

 クリストファーは興奮を押し隠しながら、執務室を辞去する。

 足取りも勇ましく廊下を進む彼の脳裏には、あのどこかのんびりとした腹違いの妹の姿が過ぎる。


「待っていろよ、アマリリス……俺が王になったら、きっとお前を……」


 呟くクリストファーの目には、怪しい光が宿っていた。

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