第6話 謎めく令嬢
「ドラセナ城……。昔はあそこの地下にダンジョンがあって、魔王が拠点にしていたのよね。六十年前の”大侵攻”で魔王はダンジョンに籠城、そのまま膠着状態になって……」
「魔王が出て来られないように、蓋として使用されたのがドラセナ城。魔王を封じ込めるために、世界各地の呪いや弱体魔術をふんだんに詰め込んだ重石だ」
呪いや弱体魔術は、魔族だけではなく、人間にも効果を及ぼすものだ。
魔族たちにとって居心地の悪い空間なら、人間にとっても同じこと。
「そんなところに人間が住めるものなの?」
「住めるはずないだろう! 俺はドラセナ城の方角を見ただけで寒気が走るっていうのに!」
「そんな場所にどうして住んでいるのかしら……」
夫の真っ青な顔を見、妻は顎に指を当てて考え始めた。
「そう言えば二週間くらい前に、国王陛下の紋章をつけた一団が通りかかったそうよ。行先を聞いた宿屋のマリアは、ドラセナ城って言ってたって」
「その一団と何か関係があるのか? 幽閉されて、とか言ってたが」
「幽閉……そうよ、それだわ! マリアが聞き出したところによると、あの城に一人の女の子を閉じ込めるって話をしてたから。何でも王位継承権争いに敗れたとかって」
「王位継承権争い、か」
キリアンたちのようなただの村人には、貴族の考えることは分からない。
妻は心配そうな口調で、
「だからって、あんな十代の女の子を一人でお城に住まわせるなんて、正気の沙汰じゃないわ」
「……もしかしたら、ただの女の子じゃないのかもしれない」
「えっ?」
「お前、感じなかったのか? あの子から感じる妙な気配! あの子はただ者じゃない……!」
額に冷たい汗をかきながら、キリアンが必死に言葉を探す。
店先に令嬢が立っていると考えただけで、がけっぷちに立っているような気持ちになっていた。
「あのう」
声は夫婦の真後ろから聞こえ、キリアンは妻をかばうようにして振り返った。
けれど令嬢は先程の場所から一歩も動いていない。微笑みはそのままに、声だけがやけに近くに聞こえる。
その微笑みは――先程よりも深くなっていないだろうか?
完璧な弧を描く口許。それは先程より吊り上げられていないだろうか?
ゴブリンのように。化物のように。
それに確か、はりねずみが食べられる果物を、と言っていた。はりねずみを使い魔にしているのだろうか。
考えてみれば、はりねずみは時々邪悪な顔をしているし、この令嬢の使い魔にふさわしいかもしれない……!
「私、出直して参りましょうか。――それとも、ドラセナ城に住むような女に、お野菜は売れませんか」
「い、い、いえっ! そんなことはございませんっ!」
「ああ、良かった。……二度とこのお店に足を踏み入れられないかと思いましたわ」
キリアンにはそれが、遠回しに「私を拒むならこの店を潰す」と言っているようにしか聞こえなかったが、その邪推を懸命に頭から追い払った。
妻と手分けして大量の野菜を箱詰めにすると、令嬢はそれを手元のバスケットに難なくしまいこんでしまった。
きっと圧縮魔術だろう。
村を訪れる客人たちも使っている、普通の魔術だというのに、キリアンはなぜかびくりと肩を震わせてしまった。
自分も圧縮されてしまうかもしれない、と思ったのだ。
「新鮮なお野菜ですこと! お料理するのが楽しみですわ。また寄らせて頂きますわね」
そう言って令嬢が代金にチップを大幅に上乗せして渡してきたときでさえ、キリアンは警戒心を隠せなかった。
令嬢はそれをさほど気にする様子もなく、鼻歌など歌いながら店を出て行った。
「っ、はあ~……」
今まで感じていた圧力が消え、キリアンはどっと疲れを感じた。思わず地面にしゃがみこんでしまう。
額の汗を手の甲で拭いながら、
「ドラセナ城に幽閉されて、けろっとしてる令嬢か……。厄介なことになりそうだなあ……」
と、ぼやくのだった。
しかし、厄介者が夜もまた訪れることを、今のキリアンは知らない。
*
「それにしても、八百屋さんの驚き方ったら尋常じゃありませんでしたわね……。ドラセナ城って、そんなに恐ろしい場所かしら」
新鮮な野菜を買えたのは良かったが、八百屋の店主にあそこまで怯えられるとは思わなかった。
あんまり大声で話すから、店先にいても奥さんとの会話が聞こえてしまっていた。
「ドラセナ城の地下にダンジョンがあって、魔王が拠点にしていたのは初耳でしたわね。いえ、”大侵攻”のことはもちろん知っていましたけれど、その結果魔王は命を落とした、と習いましたもの」
まさか私が今住んでいる場所が重石となって、魔王を封じ込めているとは知らなかった。
それを貴族である私が知らず、村人である彼らが知っているのは不思議だが……おおむねどこかの家同士での権力争いがあった結果、貴族間ではその事実を
私と母が一緒にいられたのはほんの十年ほどで、それ以降は家庭教師をつけることしか許されなかったから、私の知識にも限りがある。
母の娘としてはいささか恥ずかしいことだが、無知に気づけただけましだ、と前向きに考えよう。
「……幽閉されている間は暇だし、少し勉強でもしてみようかしら。確かドラセナ城にも図書室があったはず。大体呪われてそうですけれど、まあ私の体質でしたら問題ないでしょう」
呟きながら、私は八百屋で包んでもらったりんごのことを思い出す。
はりねずみはりんごを食べるのだそうだ。ディルがまた現れたら、振る舞ってみよう。
「ディル様なら魔王のことや、ドラセナ城のことも知っているかしら。また会える日が楽しみですわ」
あの黒々としたつぶらな目を思い出し、私は微笑んだ。
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