第4話 はりねずみ



「まあ! 可愛らしいはりねずみですこと」

『はり……ねずみ、だと?』

「おしゃべりができるということは、どなたかの使い魔かしら? ああ、ご挨拶が遅れてしまいましたわね」


 私は立ち上がり、地面に座り込んで、小さなはりねずみを覗き込んだ。


「初めまして、私このたびこの城に幽閉されました、アマリリス・デル・フィーナと申します」

『……この俺に名を明かすか。心臓を預け渡したも同然だぞ』


 はりねずみはなぜか男らしい低い声をしていた。

 つぶらな瞳と小さな鼻先はとても愛らしくて、私は思わず笑顔になってしまう。


「見た目と声のギャップが可愛らしいですわね」

『ちょうど良い。名も頂戴したことだし、俺の力を見せてやろう――。<痛みよ走れ、疾風はやての如く>』


 その瞬間、はりねずみに触れようとした指先が、ちくりと痛んだ。

 そうか、はりねずみには針があるんだった。いきなり触ろうとしたら、針を立てるのも当然だろう。


「急に触ろうとしてごめんなさい。驚かせてしまいましたわね」

『なに? 我が魔術はお前の真名しんめいを縛り、心臓を締めあげられるほどの痛みを与えるはずだ! まさか偽りの名を……!?』

「本名でしてよ。それより、心臓が締めあげられるほどあなたを驚かせてしまったのですね。本当に申し訳ありませんわ」


 私は後ずさり、はりねずみから距離を取った。

 考えてみれば、相手は私の両手のひらに収まるほどの、小さな生き物だ。

 そんな生き物にとって、私は恐ろしい巨人に見えるだろう。

 いきなり手を伸ばしたらびっくりするのも当然だ。


『お前……。なぜ俺の魔術が通じない? いや、このドラセナ城で、人間がなぜそんな涼しい顔をしていられる!?』

「ここはとても快適なお城ですもの」

『快適なはずがあるか! ここは呪われた城、かつての魔王の墓標だ』

「へえ~」

『へえ~!? 何だその興味がなさそうな感じは!』


 はりねずみははっとしたように私を見た。つぶらな目を見開いているのが可愛らしい。


『はりねずみと言ったな。まさかお前には、この俺の姿が、はりねずみに見えているのか』

「ええ。可愛らしい小動物ですわ」

『しょっ……』


 言葉を失ったはりねずみは、ふと横を向いて呟いた。


『この女……。ドラセナ城の呪いが効いていない上に、俺の姿を正しく認識できていない……? 何か魔術的な仕掛けがあるのか?』

「あら、それならご説明できてよ、はりねずみさん」

『俺ははりねずみなどではない』

「ではなんとお呼びしたらよろしいの」

『そうだな。ディル、と呼べ』

「素敵なお名前ですわ。私はアマリリスという名ですが――社交界では『鈍感令嬢』と呼ばれておりました」


 今となっては懐かしいその二つ名は、私がここへ幽閉された理由に直結している。


「私は次期国王の継承権争いで、最も無力な存在でしたわ。後ろ盾もなければ、何か秀でたところもない。ですが継承権を持っている以上、どれだけ無力でも、無視できない存在――そういう人間は、ことに女は、あっさりと殺されるのが常道です」

『お前、継承権を持っているのか。……いや、幽閉されたと言ったな。ならば既にお前は王都に入れない、すなわち継承権争いからは脱落した』

「ええ。命を落とすことなく」

『それは妙だ。力のないやつは真っ先に殺される。俺ならば毒を用いるだろう。メイド辺りに罪を被せられるから』


 聡明なるはりねずみことディルは、もしや、と呟いた。


『お前には、毒が効かないのか?』

「あと呪いも効かないようです。おかげさまでこの通り、ぴんぴんしておりますわ」


 そして、と私はにっこり笑って告げる。


「呪いも毒も効かない私は、ひょっとしたら何か魔術的な才能があるか、精霊の加護を受けているのかもしれない――。そう思って、周りの人たちは鑑定をしましたが」

『したが?』

「魔術的な才能も、精霊の加護も、ぜんっぜんありませんでしたわ~!」

『……ということは、まさか』

「ええ。私がこうしてぴんぴんしているのは、ひとえに、鈍感だからですの」


 理由は不明だが、呪いも毒も、そよ風程度にしか感じない。体にダメージも受けない。

 ゆえに『鈍感令嬢』というわけだ。


「あっ今、そんなのあり得るのか? って思われましたでしょ? でもあり得るんですのよね、残念ながら」

『自分自身が証拠というわけか。……ふん、まあ思い当たる節はないでもない。このドラセナ城で、あれほどイビキをかいて爆睡できるのならば、少なくともここの呪いはお前に影響を及ぼしていないのだろうよ』

「あらやだ、私ってばイビキかいてました?」

『凄まじいイビキだった。象がいるのかと思った』

「まあ、淑女に向かって象はひどすぎましてよ」

『あれだけのイビキをかいておきながら淑女を名乗るのか? 面の皮も象並みに厚いのか?』

「そんなクソ真面目なトーンでジョーク飛ばすのやめて下さいます? 笑えませんわ」

『ジョークで押し通そうとするその胆力だけは認めてやる』


 ディルはそう言うと、とにかく、と私を見上げた。


『俺の城は人間の住む場所ではない。荷物をまとめて去れ』

「ええー。私ここに幽閉されているので、去っても行くところないのですけれど……というか、ここってディル様のお城でしたの? 辺境伯の持ち物ではなく?」

『辺境伯の持ち物だが、ここは居城というよりは、重石だからな』

「重石? どういうことでしょう」


 ディルは答えてくれなかった。ふん、とその小さな鼻を鳴らす。


『ドラセナ城は人間が長居できる場所ではない。速やかにあの珍妙な私物を持って出て行け』

「あら、私のコレクションの珍妙具合を分かって下さいますのね!? も~どうしてあんな奇妙な色使いなのかしら? あのタペストリーなんか特に、」


 語ろうと思ったのに、ディルは煙のように姿を消してしまった。

 逃げ足の速いはりねずみである。

 私は彼(恐らく雌ではないだろう、確信は持てないが)とのやり取りを思い出し、ふっと口元を緩めた。


「なかなか素敵な同居人がいるじゃありませんの。楽しくなりそうですわ」

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