2002年 冬
2002年 冬
彼女と初めて出逢ったのは、久しぶりにこの地域に大雪が降った日だった。
当時7歳だった彼女は、1年前から僕がいた施設に入ってきた。
部屋の隅っこにいた僕に話しかけてくれた女の子。
僕の手を取って一緒に遊んでくれた女の子。
最初はそんなイメージだった。
でも、何故か彼女の周りには人がいなかった。
もっとたくさん友達がいたっておかしくないのに。
なんで僕にばかり話しかけてくるんだろう。
そんな疑問が頭の片隅に残り続けた。
その原因は、初めて一緒に学校へ行った日に悟った。
底が擦り減ったスニーカー、糸がほつれている手提げ袋、ボロボロのランドセル
コートを着ずに、薄手のズボンとTシャツで教室に入る彼女の姿。
所詮、田舎の港町。
どこかの大都会とは訳が違う。そう漠然と思っていた。
だけど、彼女を異質かのように見る同級生の視線。
あちらが彼女に壁を作ったのか、彼女がこの分厚い壁を築き上げたのか。
僕には分からなかった。
ただただ、彼女と彼女を取り巻く環境を眺めることしか
そんなことしか、僕には出来なかった。
*
午前の授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。
小学校低学年は、給食の時間が終われば下校になる。
「おい、そこの雑巾女、可哀そうだから牛乳くれてやるよ」
「こいつ母ちゃんに捨てられたらしいぞ」
「うわー、お前がそんなんだから嫌いでいなくなったんだ」
ほらよっと言いながら同級生は、彼女のスープに牛乳を入れた。
トクトクと注がれる乳白色の液体が、具の少ないコンソメスープを侵食するかのように濁らせていった。
「うわあ、うまそうだな」
「ほら、早く食べろよ」
「おい、聞いてんのか―「バシャッッ」
言葉が出なかった。
何を言われても黙っていた彼女が、突然立ち上がったと思ったら同級生にスープをかけたからだ。
「スープが冷めてて良かったね」
そう冷たく発した彼女は、「帰ろ、六ちゃん」といい、僕の手を握って教室を後にした。
引っ張られながら教室を出るとき、視界の端には、わなわなと震えて涙目の同級生の姿がいた。
*
学校から無言のまま、早歩きで進む彼女に引っ張られながら、東屋に着いた。
「私、やっぱりここが好きだな」
十数分ぶりに口を開いたと思ったらそんなことを言い出した。
「そんなことより、寒いからもう帰ろう」
「なんで?私は大丈夫だもん」
「大丈夫じゃない。ちゃんと明日からは施設で貰ったコートを着てこ」
「六ちゃんまでそんなこという」
彼女と出会って数週間。
彼女は施設に来たとき、手提げ袋で持ってきたものしか身に着けない。
いつだったか、彼女と仲良くなったばかりのときに聞いたことがある。
「物を貰うのがやなの。だってみんな私を可哀そうって目で見てくるんだもん」
そう彼女はぷっくりと口を尖らせて言っていたのを思い出した。
それを聞いたときは、深く考えなかったけれど、
今日の光景を目の当たりにして、さすがに黙ってはいられない、そう思った。
それを後押しするかのように、ベンチに座る彼女を見れば、
強がっていても、袖から見える手には鳥肌が立っていた。
「僕は可哀そうだなんて思わない!ほんとは誰よりも強いって知ってるんだから!」
何もできない弱い僕だけど、そんな僕だけど、彼女に思ってることを大きな声で叫んだ。
驚いたように目を見開いた彼女。
ああ、失敗しちゃったかな…。変なこと言っちゃったかな…。
そう思っていると、彼女の瞳がぼんやりと滲んできた。
乱雑に袖で目を擦りながら、頬をわざとらしく膨らませて言った。
「…もう、六ちゃんがそこまで言うなら、明日からちゃんとコート着るよ!」
「約束だからね…!」
笑わないで!と僕の頭をぺしっと叩く彼女は、たとえ泣いていても、鼻が赤くても、綺麗だった。
宝石のような涙を流す彼女は、
意地っ張りで、
でもどこか繊細な心をもつ、そんな人だった。
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