小説を読んでも文章力は上がらないと悟った話

 小説読んだら文章力が上がる。

 そんな話を聞いたことはあるだろうか?


 かくいう私、黒髪も以前まではその意見に賛同していたのだが、最近では「あれ? 意外と小説読んでも意味なくね?」と懐疑的だ。


 勿論、壊滅的に文章力が無い人間が小説を読めば、それは多少意味があるかもしれん。

 言うなれば、偏差値30の人間が読書を通じて、45〜55ぐらいまでは上がる。


 でも、そこから先は不可能ではないかと。


 正直な話、文章力というのは定義が難しい。何を基準に上手いのか下手なのかを図るのかが、極めて抽象的で、非合理的である。


「いやいや。でもさ、語彙力が上がるよ!」

「文章構成が学べるじゃん!!」


 と、反論もありそうだが、私にしては回り道しているようにしか感じられないのだ。


 語彙を増やしたいのならば、読書を行うよりもネットでググる。もしくは類義語をAIに尋ねてしまうのが手っ取り早いだろう。


 文章構成が学びたいのならば、文章技術本を片っ端読んだ方が早い。やみくもに小説を読みまくっても、何の意味もないと思う。


 小説読んだら文章力が上がる。

 これはスポーツ観戦しただけで、自分もプロ選手と同じような行動ができると勘違いしてしまうものと同義な気がしてしまう。


 と言えども、文章の場合は、素人でも簡単にプロの真似ができてしまう。

 だからこそ、皆様も成長した気になってしまうのだ。本当に質が悪い。


◇◆◇◆◇◆


 ここから先は私自身の実体験になるのだが……。


 小説を読んだら文章力が上がる。

 その理由は他作品から語彙や文章構成を無意識の間に奪ってきているだけだと考えられる。

 で、この状況が深刻な問題になると……。


 小説を読まないと、小説を書けない可能性がある。自分の力で文章を紡ぐ能力が欠如し、誰かの文章を奪ってしまう可能性が。


 昔読んだ小説の中で『星が消えた夜空みたいな瞳』という表現が出てきた。

 私はこの表現を「美しい」と本気で思った。素晴らしいとね。

 で、ことあるたびに、似たような表現を用いるようになってしまった。


 しかし、これは間違いだった。

 自分が本来成長するべき機会を失ってしまったのだ。


 読んだ小説から「これいいな!」と思った語彙や表現を、自分の小説でも使う。これは誰もが経験したことがあるはずだ。でも、便利すぎるあまりに、私たちの文章想像能力を養うことを止めてしまっている可能性が高い。


◇◆◇◆◇◆


 文章を紡ぐプロセスを簡単に説明する


(言語化が難しかった)


《目指すべきプロセス》


①頭の中で内容を考える(抽象的)

「食べる」「勉強する」「体を動かす」

②考えた内容を言語化する(具体的)

「食べる」→「熱々のシチューをスプーンで掬ったあと、勢いよく口に放り込む」

「体を動かす」→「座り仕事は体勢が悪くなる。体を解す意味で、腹筋と腕立て伏せを行った」


 基本ここで終わる。

 まだ改善の余地があれば……。


③内容に似合う語彙や表現を探し出す


《危険な状態》


①頭の中で内容を考える(抽象的)

「食べる」「勉強する」「体を動かす」

②深く考えず、他作品の語彙や表現に頼る


他作品の文章

『僕と彼女はパンを咀嚼する』

『彼女は本の虫だ』

『両手を上げた状態で跳躍する』


「食べる」→「シチューを咀嚼する」

「勉強する」→「勉学の虫だ」

「体を動かす」→「両手を上げて跳躍する」


 前者のプロセスは、自分が書きたい文章を自分の頭で言語化しているのに対して、後者のプロセスは自分が書きたい文章を他人の文章から探しているのだ。


 言うなれば、海外旅行へ出かけたときに、最低限の英会話フレーズを覚えて、喋っている感覚に近い。自分が考えた文章ではなく、他人が考えた文章を適した場面で、使用する感覚だな。


 お恥ずかしい話だが、文章が思いつかないときに私は小説を読みあさっていた。自分が思い描く《抽象的な》世界に適した表現を一生懸命探していたのだ。正直な話、このパターンに陥ると、沼地獄である。


 小説を読まないと、小説が書けないという残念な書き手に変わるのだ。


◇◆◇◆◇◆


《危険な状態》に陥っていると気付かない方も多いかもしれない。


 私自身、最近まで自分が危険な状態であると気付いていなかった(笑)


 読書を通じて、私たちは語彙や表現をストックしている。

 実際に文章を書こうと決意した際に、私たちはそのストックした語彙や表現を上手に使用してその場その場を乗り切っているのだ。


「いやいや……黒髪さん。そんなはずないでしょ?」と疑いの目を向けられるかもしれないが、『美少女』を描写してくださいと言われて、皆様は何回書けるだろうか??


 一回目、二回目はまだ書けるはずだ。

 でも、それが三回目、四回目……と増えるたびに、書けなくなるのでは?


 自分の限界がどのくらいか分かってもらえただろうか??

 十回も書けない人たちは、ストックした語彙や表現で戦っていると考えられる。この方法では必死に掻き集めたストックが尽きたら、完全に終わる。


 この状況から抜け出すには、思考プロセスを変えるしかない。

 文章を紡ぐためには、自分の頭に浮かぶ内容を言語化するしかない。

 具体的に言語化させるのは、結構難しいし、体力を使うし、疲れる。


 でも、確実に成長できる。というか、適切なプロセスである。


 長々と説明したのだが、要するに——。


『文章は自分の頭で考える』というお話でした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る