第15話 あなただったんですね


 鼓動が早くなる。


「……あたしが看病した王宮魔導師は、あなただったんですね」


 アリスが過去の夢を見たのは、単なる偶然などではなく、彼の面影が記憶に引っかかったせいなのだ。あどけない美少年の印象が強く、立派な青年となった今のウラノスと重ねることが全くできなかった。だから、ずっと心の中でくすぶることになってしまったらしかった。


「その反応ですと、すっかり忘れられていたようですね。君が来るのを楽しみにしていたのに」

「だって、先生はあたしに再会したとき、そんな素振そぶりは一瞬たりともしなかったじゃないですか。眼鏡をかけて、雰囲気も違ったし……」

「眼鏡は研究のし過ぎの影響ですよ。雰囲気は意図的に変えました。上を目指すためにも都合が良かったので。それに、アリス君と繋がりがあると知れたら、贔屓ひいきだとねたむ者も出てきましょう。そうでなくても、ロディア君のように嫉妬しっとする人もいるのですから」


 さらさらと答えられてしまった。アリスはうつむく。


 ――確かに、贔屓されて合格を得たいとは思っていなかったけど……。


 そう考えると、自分がまるっきりウラノスのことを忘れていたのは好都合だったように思えてくる。妙な誤解を生まないためにも、それがいい。


 ――でも、どうしてこんな大事な、あたしがここにいる要因になっている出来事を忘れていたの?


「あ……」


 自問して、アリスは心の奥底に閉じ込めていた気持ちに意識が向いた。言葉となって、口からこぼれ落ちる。


「……あたしは、ずっと、あなたから魔法を習いたかったのよ」


 あの日々の記憶を忘れていたのは、忘れようとしていたからだ――そこに至って、やっとすべてを思い出した。

 顔を上げて、アリスは続ける。


「あたし、あなたをうらんでた。王都に行くことなどできないって知っているはずなのに、王宮で待っているだなんて言ったから。なんて意地悪いじわるなことを言うんだろう、どうして視察団として来てくれないんだろうって、ずっとずっと恨んでたっ!」


 感情のままにアリスはウラノスにぶつけた。どんどんとあのときの気持ちが呼び起こされる。

 アリスが魔法を学びたいと本気になっていたのは事実だ。だが、視察団としてやって来た王宮魔導師たちに魔法を教えてと頼んだ理由はそれだけではない。ひょっとしたら再会できるんじゃないか、せめて彼のうわさくらいは手には入るんではないかと、淡い期待を抱いていたからだ。もしかしたら、魔法を学ぼうと努力していることが彼に伝わるんじゃないかと思ったからだ。それが幼い彼女なりに考えた、当時できたことのすべて。


「探していたのに。会いたかったのに。あなたは一度もあたしの故郷には現れなかった。だからあたしは、魔法を教えても良いって言ってくれたフィロさんを頼って、必死に学んだのよっ。あなたを忘れたい一心で。もう二度と会えないだろう人から魔法を学ぼうなどと思わないようにっ!」


 封印してきた想いを全部ウラノスにぶちまけた。これが、九つになる前のあの日から抱え続けてきた自分の気持ちだ。

 怒りのままに叫んで肩で荒く呼吸をするアリスを、ウラノスはそっと抱きすくめた。


「っ!?」

「アリス君? 私と君は再会することができましたし、これからは私が君の先生です。君の願いはまもなく叶いますよ」


 落ち着くようにと背中を撫でられている。アリスは身をよじるが、彼の腕の中からは抜け出せない。

 ウラノスはアリスの耳元で優しく囁く。


「寂しい思いをさせてしまったことは謝ります。今まで黙っていたことも」

「…………」


 抵抗が無理だと判断したアリスは、しぶしぶウラノスに合わせる。無言のまま、ただ耳を傾ける。


「私は王宮で待つと約束しました。その理由が、君には伝わっていなかったようですね」


 ウラノスは回していた腕をとくと、アリスの肩に手を置いて向かい合った。


「君にはもっといろいろな経験をさせてあげたいと思いました。あんなに幼かったにもかかわらず、自分の将来に夢や希望を持てない君だったから。世の中には様々な選択肢があって、君自身にも価値があるということを証明してやりたいと考えてしまった。それが、尽くしてくれたアリス君に対して私ができる最大の恩返しだと――」


 そこまで告げると、彼はため息をついて視線を外した。


「君に私の気持ちが伝わっていなかったのなら、私が君を思ってしてきたことはただの自己満足でしかなかったということでしょう。フィロ君にも指摘されていたことでしたし……おとなしく認めておけば良かった」


 最後はぼそりとつぶやいて、アリスの肩から手をどけた。そしてくるりと背を向けてしまう。


「――結局、君は私の意図とは関係なく王宮魔導師採用試験を受け、合格を手にしました。それはまぎれもなく君の努力が実を結んで得られたものですよ。自信を持って、行きたい道に進めばいい。私は君を応援いたします」


 そう告げて、彼は眼鏡をかけ直すとアリスを肩越しに見やった。


「私の年来の思いは聞かなかったことにしてください。溜め込んできてしまったものを、誰の邪魔もされないところで吐き出したかっただけですから」


 彼の笑顔には寂しげな色がにじんでいた。


「どうして……」


 アリスはうつむいてこぶしを作る。そして唇を動かした。


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